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たやすく‘悲劇’という言葉は使うべきではない

 早いものでサッカーW杯ロシア大会もベスト4を迎え日本がベル
ギーとの壮絶な死闘の末、敗れてから10日近くが経つ。

 この間メディアが2-0とリードしながら追い付かれロスタイムで
カウンターから決勝点を挙げられたのを同じロスタイムの失点で次に
進めなかった事の類似性から、ドーハの悲劇になぞらえ‘ロストフ
ナドヌーの悲劇’と呼称するのを目にするが大いに違和感がある。

 以前サッカーライターの後藤健生氏がドーハの悲劇の時に‘悲願
のW杯出場という言葉が蔓延っているが悲願というのは全力全霊を
注いで努力してきたにも拘らず達成できなかった目的であり、ドー
ハ以前の日本にとってW杯は行ければラッキー程度のものだったか
ら悲願という言葉は使うものではない’と語っていたのを思い出した。

 つまりドーハより前は日本サッカーがW杯出場を本気で目指して
なかったわけで85年に韓国に敗れメキシコ大会の出場権を獲得でき
なかった時も然りだったのに対して、ドーハでの最終予選こそ日本の
サッカー界が初めて本気でW杯出場を目指して臨んだものだったか
らこそイラク戦は初めて悲劇と呼ぶに相応しいものになったのだ。

 これによれば98フランス大会から本大会出場を続けている日本
だが現実的な目標はグループステージ突破で、02日韓大会の時に
グループステージを突破した後フィリップ・トゥルシエ監督は‘こ
こから先はボーナス'と語っていたのが象徴的だろう。

 だから02日韓大会や10南アフリカ大会でベスト8進出を阻まれ
ても達成感に包まれていたし、今大会などグループステージ突破ど
ころか1勝できるかどうかというスタンスでファンは見ていたため
グループステージ突破は望外の快挙だったわけである。

 そんな中で西野朗監督は決勝トーナメントの事まで考えており、
ポーランド戦の先発6人入れ替えなどの対策を立てて臨んだ結果
ベルギー戦を死闘に持ち込めた一方2-0とリードしての対策まで
立てられず逆転負けを喫した形だ。

 これが現場やメディアにファン達が大会前から本気でベスト8に
進出できると考えていたならばベルギー相手に2-0とリードして
からの逆転負けは正しく悲劇だが、メディアやファンだけでなく協
会トップも‘グループステージさえ突破できれば’と考えていた者
が殆どというのが現状だろう。

 ただ今回の負けは日本にとってベスト8が現実的になった事で、
次回以降のW杯では今回の経験が大いに生きてくるだろうと思う
し次回以降にこのような負け方をした時にこそ‘悲劇’と呼ぶに
相応しいのではないか。

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