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治らぬなら
治してみせよう
SLE
※SLEとはステキなレディーがなるエレガントな病気である。

社会復帰への第一歩?4

2006-06-18 10:47:27 | ☆日記・随筆☆
【前回までのあらすじ】
 uchoは42.195kmを見事完走したことがないためノーベル賞受賞を断念した。よって走り幅跳びで芥川賞受賞をひそかにねらうことにした。一方、三田のもこみちと宝塚のもこみちの間にはさまれたいたいけな難病患者uchoは黒ネコヤマトは引越しもするのかどうかを悩みながら床についた。

次の日、目覚める。
もしかしたらまた全身が動かなくなっているかもしれない。
おそるおそる足を動かす。
動いた

手も動かす。
動いた
全身の痛みもない。
なんだあ、本当に疲れただけだったのね。
ひゃっほう健康ってすばらしい

この日、実は外来の日。
これで元気な姿でダンディアンに会える。

私の通う病院は大阪にあり、宝塚から北海道経由やヨーロッパ経由で行かなければ1800秒で行ける。
若者がつどう街、梅田(「うめだ」。「ばいでん」ではない)には300秒くらいで行ける。

体調が良い、顔が良い、スタイルが良い、性格が良い、頭が良い私は(反論はうけつけない)ふと病院帰りに梅田によって母に昨日稼いだお金で何かおごりたくなった。
どうも、お金があると使ってしまいたくなるタイプらしい。
母に言うと私の申し出を快く承諾した。
おばあちゃんもと思ったが、さすがに梅田まで出る体力がないらしい。
そう、うちのおばあちゃん、ブログでは元気なところばかり書いているが(実際元気だが)実は障害者なのだ。
口は達者でよく勉強(漢字のクロスワード)をしているがひそかに障害者。
うーん。血はあらそえない。私にそっくりだ(口は達者で勉強ばかりしているがひそかに難病患者)。
しかも障害者認定を受けていることを自慢にしているところも私そっくりだ(私は難病認定を受けていることを自慢にしている)。

閑話休題。

母と梅田(「ばいた」ではない)で待ち合わせの約束をして、一人ダンディアンに会いに病院へ。
昨日の帰りはフラフラ、ヘロヘロ、パラパラ、バラバラだったがしっかり寝たらこんなに元気。
私のSLE、随分おさまってきたんちゃうん♪と自意識過剰な気持ちが高ぶり、昔苦しんだ記憶が段々私の頭から消えようとしている(私はいやなことはすぐ忘れるタイプの人間だ)。

診察。
なんとステロイドが13mg→10mgに減った

慎重派のダンディアン。一体どうしたんだ??

去年は、
13mg→12mg(一ヶ月)。
12mg→11mg(一ヶ月)。
11mg→10mg(一ヶ月)。
と13mgから10mgに減らすのに三ヶ月かけたのに。
やはり免疫抑制剤を使っているからだろうか。
10mgで元気だった試しがない。
でも10mgとは安奈淳さんが舞台復帰した量だ。
10mgで多くの人たちが社会復帰している。
ああ、私も社会復帰できるかな?

さあ、テンションが上がってきたところで母と梅田で待ち合わせ。

一年以上ぶりに母におごることができて嬉しい。
毎日のように「親不孝な娘でごめん」と思っているがそんなこと口に出せるわけもない。
しかし最近食事の量の少ない私のことを母は心配して聞いてきたので、
「いや、体調が悪いんやなくて、24才で親の金で食事をしているのが情けなくて食事があんまり喉に通らへんねん」
と正直に答えると
「んまー。おかあちゃんこの53年間一度も自分のお金で食べたことないけど、そんなん思ったことないわーー」
と言ってきた。
そう言われてみればそうだ。母って一体……。と思っていたら、さらに母が言った。
「uchoちゃんな、北の部屋やろ。ドクターコパの風水ではその部屋にいると責任感が強くなっちゃうんやって。だから部屋が悪い。おかあちゃんの部屋と交換しよか」
一瞬やさしい母親の提案に見えるが、母親の部屋の方が私の部屋より狭いし暗いし絶対いやな提案だ。

その日は母とたくさんしゃべって帰った。
中学から大学まで一度も食卓を共にしなかった仲の悪い親子が随分変わるものだ。
病気になって一番良かったことはやはり母との関係改善か?
病気になって良かったことが多すぎて決められないが。
病気にならなかったらあの冷え切った親子関係のまま?
そう考えると、なんだかおそろしい。

【続かない】

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