tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

仮面ニートの問題

2006年06月17日 23時55分54秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
このブログはgooより提供されたスペースに書いている。gooは検索エンジンを主体としたポータルサイトの運営を行っているが、そのトップページに「退職型ニート」というキーワードが最近注目された一つとして載っていた。すぐには調べなかったけど、気になったのでこのブログを書く前に、調べてみた。

その結果、心理学を経営マネージメントに応用している寺崎文勝氏の「増殖する『仮面ニート族』への対処法」というコラムが引っかかった。その一部を引用すると以下の通り。

64万人とも85万人ともいわれるニートについて、現時点では学校を卒業したものの働くことへの第一歩が踏み出せない「新卒ニート」に関心が集まり、その対策が急がれているが、企業経営においてはむしろ、いったんは職に就いたものの、その後就業意欲を失ってしまった「退職型ニート」の存在に目を向ければならない。
(中略)
働く意欲を持ち、夢や希望を抱いて入社してきた若者が、働く意欲をなくしてしまい、失意のまま退職してしまうのは、若者にとって不幸なのはもちろんのこと、会社にとっても競争力を維持向上するうえで必要不可欠な貴重な戦力を失うという大きな損失を被ることになる。
 若手社員が退職型ニートに転落するのを防ぐためには、退職型ニートの前段階となる「社内ニート」の芽を摘むことが肝要である。社内ニートには2種類あって、一つは、なにかのきっかけで、ある日突然働けなくなって離職するリスクが高い「ニート予備軍」である。このタイプはニートとなってしまうまでは普通に、あるいは人並み以上に働いている者が多い。
 もう一つは、働く意欲や目的を失ったまま働き続ける「仮面ニート」であり、かりそめに職場に身を置いてはいるものの、実質的にニートと変わらない者である。
 このタイプは、本人に働く意欲がない、またはその結果仕事をするうえで必要なスキルを身につけることができないがゆえにやる仕事がなく、仕事を与えてもらえない社内失業状態に置かれていることが多い。
 誤解のないように言っておくが、仮面ニートを「仕事に情熱を持つことなく、会社への帰属意識もないままほとんど働きもせず、ただ来て帰るだけの給料泥棒」と単純に現象面のみを捉えてしまっては本質的な問題を見誤ることになる。


この文章を読んで「み、認めたくないけど、私のことじゃん」と思った。しかし、この文章はマクロな視点から捉えていることにも注意したい。というのも、会社にある仕事には、必ずしも高いスキルが必要ではないが、確実に行わなければならないとんでもなく「重要でありながらグレードの低い仕事」というのがあって、それもまた重要な「仕事」なのである。こういった仕事は、アルバイトや派遣社員、あるいは「低い」と能力が判断された人間に対して回される仕事になっている。しかし、見方を変えればアルバイトや派遣社員以外の雇用で来ている人(正社員か契約社員)は、月々に入ってくる額面が少なくとも、そういった単純な仕事で確実に生活が成り立つくらいの給料がもらえるわけだから、まあ「おいしい仕事」なのかもしれない。現に私の周囲でも自分を高めるような「仕事」に位置づけで仕事を行うのではなく、食い扶持のための「仕事」と思って接している人もいる。断っておくが、彼ら彼女らにやる気や実力がないわけではない。ただそういった下積みの、影の仕事を行わなっている人々の前で、「これも重要な仕事」というような仕事の意義を唱えながら、成果主義などというソリッドな部分を同時並行で出されても、困惑するだけであろう。

重要な視点とは、その仕事において確実に「結果」が出せるような内容になっているかどうかである。やる気があっても、成果を出せない人間は多い。私も必要以上に残業等を行って、ハイハイということを聞いて働いたが、あまり成果が残せていないのが現状だ。かつて、正社員の採用が企業にとって普通であった時代、企業にとって個人は「コマ」の存在であり、本人の希望や適性を無視してでも、動かすことが出来た。しかし、現在こうした方法を取ることで、ともすれば会社が潜在的ニートを生み出すだけの「生産装置」になるだけの危険性を持つことになる。そこへ成果主義などというものを導入すれば、そのシステムで高い評価を生み出すことができる人間など、社会的に見てほんの数パーセントということになる。

実は、近年言われる社会階層差の構造とは、その人間が望む仕事に就けて、きっちり働けているかどうかの問題ということになる。翻って考えてみれば、高い階層にいる人間の数が少なければ少ないほど、望む仕事につけない確率が高いということになる。それはこの国に希望が少ないということになるのだろう。