ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

マイウクレレ3

2008年01月15日 | UKULELE

望まれていませんが、せっせとマイウクレレ第三弾を書き進めます。
BGMで大好きなベン・ウエブスターとスタン・ゲッツを聞いてます。
日経の「私の履歴書」で知ったのですが、愛すべき元FRB理事長のグリーンスパンは
若い自分に地元のニューヨークでスタン・ゲッツと一緒に同じサックスの先生から
指導を受けていたそうです。つまり机を並べていたということです。
そのときに「世の中にはこんなにスゲー才能のあるヤツがいるのか!」と落ち込んで
それがキッカケで音楽の道に行くのを断念したらしいですよ。
NYUに行く前にジュリアードも卒業したというのに勿体ない話です。
恐るべしグリーンスパン。でも、きっと彼のサックスも素晴らしいに違いありません。

さて、そんなわけでアッという間に2本の愛らしいウクレレが私の下にそろったのですが
最初のコアロハは相変わらず娘が気に入ってしまってなかなか私に貸してくれません。
次に購入したFLEAはたびたび車の中などに置き忘れてしまって
毎日気持ちよくウクレレが演奏できないのでもう1本購入することにしました。
この頃より少しずつ家内はウクレレ購入に関して厳しくなっていきます。
そんなことは意にも介さず、私は黙々とウクレレ道をひた走るわけですが
ある日、いつも通っているウクレレ屋さんで気になる1本を見つけます。
Gストリングのコンサートです。
何の変哲もないスタンダードな形をしていますが、手にとって抱えてみると丁度しっくりきます。
雑な作りで有名なハワイ製品の中でもGストリングは極めて精巧に作られています。
私が見たものも材質から塗装、内部のブレーシングに至るまでとても素晴らしい作りです。
それもそのはずで私がみそめたGストリングは一般の製品ではなくカスタムだったのです。
随所に製作者のこだわりが見られます。
挙げるとキリがないのですがフレットの微調整からサドルの材質、角度調整、
こんなに美しく精巧なウクレレを見たのは初めてでした。
軽く試奏してみると、その音色の軽やかなこと。
ここで初めて私は本当のウクレレの音色を体験することになります。
個人的に私が思うウクレレの最上の音色はオルゴールに近いものです。
オルゴールと同等・同質ではありません。でも限りなくオルゴールに近い。
その摩訶不思議な音色がこのGストリングからは聞こえてくるのです。
これは早速家に連れて帰ってやらねばいかんと思い、後先考えず購入しました。
ところが家に帰って弾き倒しているとなんかシックリこないのです。
そうなんです。決定的にコアロハと比べて音量がないのです。
コアロハに比べてボディーサイズは2回りほど大きいにもかかわらず
音量がないのです。ゲゲーーッ!失敗したかっ!とその当時は思ったものです。
ところが、不思議なものです。材質のコア材が進化しているのでしょうか。
自宅のリビングのスピーカーの前に置いていろいろな音楽を聞かせてあげるごとに
どんどんこの小さなボディーの音が大きくよく鳴ってくるのです。
今では買った当初の数倍の大きさでよく響きます。
ちゃんと毎日弾いてあげてメインテナンスしてあげると楽器というのは
そのパフォーマンスをどんどんきり上げていくのだという好例です。
今でも毎日1時間はGストリングとの時間を作るようにしています。
最初は少し失敗かもと思ったGストリングのコンサート・カスタム・デラックスでしたが、
今では私の手離すことのできない愛器になりました。

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2 コメント

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ベースマン (鎮目 浩二)
2008-01-16 05:34:07
2回ギターで書きましたが今度はベースです、私のバンド遍歴は高校時代に遡ります。3年の時記念にと思ってバンドを組んだのです、何とそのバンドはハードロックが主体で私はギター兼ボーカルと言う今考えても恐ろしいポジションにいたのです。何とも悲惨なバンドでクラブには所属せずメンバーだけで全てをこなしました、へなへな声のボーカルにへたくそな演奏外ではフォーク部の連中がフルセットの機材で千人位人を集めて演奏している最中こちらは音楽室で30人位を相手に演奏していました。これがバンド初め、次が池袋にいた頃N氏主催でドラムを私はベース、ギターは九州からプロを目指して上京して来たアルバイト、ボーカルは新入社員、そしてキーボードは女性と言う編成で初めてスタジオに入って練習しました。この時の演奏は未だにテープが残っております新入社員歓迎会で演奏しました、ここら辺りからまともな演奏が出来る様になりました。次が又N氏ドラムのバンドで私はギター兼ボーカルと言う恐れを知らずの挑戦で泉谷のコピーなどしていました、そしてこれが一番まともなバンドなのですがN氏ドラムで私がベース、後はN氏の友達で編成された「薄頭ブラザーズ」と言うブルースしか出来ないバンドでした。このバンドは歴史が長くその内のメンバーが結婚すると二次会で演奏すると言う仕来りで偶々元のベースの人が行方不明になっていた所の穴埋めに私が加わったのです、それが3年続きこれは本格的なライブハウスでの演奏でした。
と言う事で長々と書いて来ましたが私のバンド遍歴はベースの方が多かったのです、今もこのバンドの演奏はビデオテープに残されていて酔っ払うと良く観たものです。と言う事で私はギターマンならずベースマンなのでした、でもベースは二本しか持ってませんし名機でも何でもないのですフェンジャパのジャズベーが今も部屋に埃をかぶって残っています。折角お互い楽器を持っているのですからバンドでもやりませんか!、ハワイアンバンドなんかカッコいいじゃないですか、私はベースを担当しますよ。
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Unknown (402)
2008-01-16 07:41:03
バンドですか!長いこと他の人と一緒に音楽はプレイしていないですね。関係ありませんが私は数年前に短い期間ですが、どん吉さんからドラムを習っていたんですよ。ハワイアンバンドですか、考えておきますね。
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