ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

今更ながら

2007年01月05日 | WEBLOG
私は子供の頃から勉強が大嫌いでした。中学も高校も勉強は適当にさぼってごまかして過ごしてきました。本を読むのは大好きでしたが、今から考えると何かを学ぶというよりは受験勉強などからの逃避でしたね。受験勉強も嫌々仕方なくという感じだったし大学でも遊び呆けてばかりでした。教師が休講で授業が無い時など「バンザーイ!」と叫んでいたくらいです。よくよく考えてみると中学以降の私は学校では友達と遊ぶ以外何もしていなかったということを思い出し愕然としています。当時は物事を学ぶ、とか、学問を教わる、ということがどれほど面白いのかということがまったくわかっていなかったのです。
ところが最近偶然にも人からモノを教わることになり今までの考えが一新されました。社会人になって二十年以上というもの学校や教室などに足を踏み入れる機会がなかったので久々の教室は新鮮です。こじんまりとした教室には窓から透明な冬の日差しが差し込んでいます。テキストの上に顔を埋めて、居眠りしている学生もいます。チョークの白い粉が、ふわふわと教室内を漂っているのも久し振りです。何か懐かしくも緊張感があるのです。先生の話もスゴクよく頭にはいります。ものを学ぶということは、こんなにもおもしろいことだったのか!と、ようやく気付きました。休講になったりすると本気で腹を立てる始末です。
勉強するということが、こんなにもおもしろいということに、どうして早く気付かなかったのかと本気で残念に思いました。しかし、それは年をとって学ぶからこそ、おもしろくてたまらないのだろうとも思うのです。要は若いときにはわからないのです。年をとることによって初めてわかることもたくさんあるということなのでしょう。
もちろん、世の中には早熟な天才も少なくありません。子供の頃から学ぶことのおもしろさに目覚めた人もいるでしょう。ですが、一般に若い頃は学問とは違う方向に興味は向いてるものです。クラスの可愛い女の子のことや、どうしようもなくクダラナイ冗談にばかり興味は働くのです。三十分もじっと座っていると発狂しそうになっていたものです。まして昔の講義というものは先生が勝手にしゃべってばかりで生徒は黙々と講義をノートに書き写していましたよね。実に無味乾燥であーいった授業はいつの世の中でもおもしろくもなんともありません。ところが最近の講義というのは生徒数が少ないのでアットホームな感じがなにやら良いんです。そして教師のほうも以前の教師に比べると格段にクダけてリラックスしたタイプが多いので彼ら自身が気楽にしゃべっていますからこちらもタイヘンわかりやすい。そして昨今の学生がバカなために、そこから更に噛んでふくめるように教えてくれるのですから更に解りやすく有難いのです。専門の学者になるのは別として、勉強をするおもしろさを味わうつもりなら、年をとってから再度トライしたほうがゼッタイにいいですね。ハッキリ言って今こそ我々がモノを学ぶのには絶好の時期だと思うのですが・・・どうでしょう?
若い頃は古典を読んでも、ほとんど実感することがなかったように思います。一応、なるほどなー、などと感心することはあっても、腹の底から、うーん、と納得できるのは四十歳を過ぎてからじゃないでしょうか。「もの言わぬは腹ふくるるのわざ」などという文句も、意味は理解できてもそれだけのことでした。「いやー、ほんとうにそうだよなぁ」とつくづく共感するのは、ある程度、年をとってからのことなんです。年をとるのがおもしろいというのは、こういうことなんだと思います。みずみずしい感性が失われていく代わりに、以前は見えていなかったことが見えるようになる。頭でわかっていたことが、全然違う角度から実感できるようになってくる。学ぶことのおもしろさに目覚めることも、その年をとる効用の一つでしょう。今からでも遅くはありません。もう一度、大学に顔を出してみるのもいいかもしれません。私はいつまでも欲張りですから今後、医学、建築、音楽、芸術、哲学なんか勉強しようと思案中です。欲張りすぎですね。

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2 コメント

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鏡ですね (鎮目 浩二)
2007-01-08 09:13:26
あまりの事に返信が送れてしまいました、I氏の今の生き方が鏡となり今の自分の人生の愚かさに気が付いてしまったからです。I氏の”変化”ではなく”進化”している姿があまりに眩しくて思わず自照してしまったからです、この年になって私の日常を鑑みると余りに”愚か”です。輝きがないんですねきっと、本も読まなくなってしまい一体此れからどお生きていくかの指針が全く立っていないのです。年末年始は大酒を喰らい意味も無くその後も飲み続けほうけています。まったく何としたものでしょう、私が一番勉強をしたのは小学生の時でした。塾に通い良い成績が取りたくて毎日5時間位机にかじりつき参考書を学び続けそれが何の苦にもならなかったのでした、それが中学になると”英語”と言う難物にぶつかり挫折しました。まぁそれでも高校、大学と進んで行ったのだから世間並みだったかも知れませんが後は大学時代からの本格的な読書以外にはどんどん”学ぶ”姿勢を失ったのです。もっとも読書は勉学ではなく楽しみだったので面白い本ばかり読みふけり肝心の経済学など全く勉強しませんでした、社会人になっても読書は最大の楽しみでしたが読んだ本は小説と文学論ばかりでそれも体系的に読む訳ではなく漫然と興に任せて読んだだけですから。だから今のI氏の”向学心”が眩しいのです、生き方に常に好奇心と探究心が感じられ素敵な大人だなと思いました。どうぞ思う存分学んで下さい。
健康管理もしかり、趣味もしかりです。
今年は昨年を上回る充実した年になると信じます。
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Unknown (402)
2007-01-08 18:46:51
鎮目さん、何事も遅いということなどありません。何かを気付いた時にその気付いたことをやり始めれば良いだけなんです。その際、ゼッタイに他人と自分とを比較してはいけません。比較というのは徒労です。他人と自分とを比べることほどアホらしいことありません。鎮目さんはいつも鎮目さんのやりたいように好きなように生きればいいんです。誰も文句言う人などいませんから。この世は自分のためにあるのです。今年も元気いっぱい常に脳味噌全開行きたいものですね。
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