ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

世の中は別に悪くなっていない

2007年01月18日 | WEBLOG
不二家の問題とはとくに関係ありませんが、世の多くの人たちはいつでも、今の社会がどんどん悪くなっていると思い込んでるようです。子どもたちは年を追うごとに凶悪化し、日本古来の礼儀や人情もすたれてしまってきている。いつの時代でも人々は「世の中が悪くなっている」と無意識に感じているようですね。紀元前何先年も前の記録の中にも「世の中はどんどん悪くなっている。いまの人たちはだめだ!」という記述があるというのですから、この感じ方は世の常のようです。もし、仮にこのように何千年にもわたって世の中が悪くなり続けてきたのだとすると、今はもう最悪の時代のはずです。しかし、実際にはそんなことないですよね。だとすると本当のところはどうなのか?気になってしまったので私なりに少し考えてみました。
思うに、人々が常に「世の中が悪くなっている」と感じる理由の一つには、仮に世の中で以前に比べて良くなったり、以前に比べて改善されたりしていい方向に向かっている事象・事柄があっても現実では多くの人たちにとって、その良くなった事象・事柄がスグにその改善された状態が「当たり前」になってしまい、意識されなくなってしまうことが原因なのだと思うんです。例えば現在の日本の社会では昔に比べて多くの人が飢えることもなく、赤ちゃんや子どもたちが病気で死ぬことも少なくなりました。しかし、もうそんなことは我々には当然のこと「当たり前」のことなんですね。この「当たり前」というのが曲者なんです。「当たり前」以前と以後では状況が大きく変化しているにもかかわらず人々は「当たり前」以後は何事もなかったかのように「当たり前」以前のことなんて考えもしないんです。あれほど昔はたいへんだったのに!病気をしていない時に病気のことなど考えないのに似ています。戦後何十年かが経過して、誰も戦争時代のことなど口にしないのと似ています。誰しも昔のイヤな時代のことを口にしないのは理解できますが、時には思い返し「人間の愚かな過ち」を再考することも必要だと思うんですけどね。「開かずの踏み切り」なんてのがよくありますが、線路を高架上にするなどして「開かずの踏み切り」が解消された後は、人々はかつてどれほど不便だったかなんて考えもしませんものね。みんな改善後のこの便利な状態・状況を「当たり前」として受け取るだけなんです。昔の不便な時代のことなどとっとと忘れてね。
そんな我々の特徴なのですが、苦労して改善されたりした素晴らしいことはスグに忘れるくせに悪い変化や悪いことだけはよく目につくのです。そして最近ではこの「悪いこと」の種類が変化してきているように感じます。つまり、全体的にドンドン悪くなっているのではなく、つねに新しい種類の悪いことが幾つも幾つも産み出されてきているのです。過去にあった悪いことは、少しずつですが改善されているようなのですが、それはすぐ忘れてしまいます。ところが、次から次へと新たな悪いことが生じるので、つねに世の中は「悪くなる」と感じる。正しくは「ドンドン悪くなる」ではなく、「つねに新しく悪いことが生じる」なのではないでしょうか?