更新が遅くなりました
まずは不撓不屈の精神で修練を続け
5月16日名古屋市枇杷島スポーツセンターで開催された審査会にて
六段に昇段した剣士に
会長から記念の品が贈られたのは6月2日(水)
一同拍手でお祝い
さて平成22年入会の世帯より
6月末に関西へ転居と告げられたのは3月末
大会や審査に向けての取り組みと共に
送り出しに向けての準備を粛々と進めておりました
送り出しの準備、すなわち小学生会員にはこれまでの
活動の記録をまとめた写真集と
ビデオレター擬きのDVDを用意することを意味します
まずは多くの画像の中から必要なものを選択し、時系列に並べ替え
シーンに相応しい楽曲を添え、コメントを付ける作業です
現在ではクラウド上で一元管理できますが
古い画像は様々なメディアに保存してあるため
収集にはそれなりに時間を要し
毎回の事ながら、今回も悪戦苦闘
創作意欲が沸かず遅々として作業が進まぬ日
あるいは過去の画像に見入るあまり
様々な思いが去来し手が止まる晩
6月8日に一旦作業完了したものの、納得できず修正を加え
最終形の完成は6月10日の深夜でした
(今回も怠惰な自分に深く反省💦)
翌11日(金)いよいよ一家を鶴沢から送り出す日が
やって来ました
鶴沢の稽古はいつも夜ですが
夏至まえのこの時期は、開始時の空はまだ明るさが残っており
稽古に適温とはいきませんが、実は私の好きな季節です
兄が揮毫した「気剣体一致」の前にて
最後の号令を掛ける6年生は何を思う…
今回転出する一家は平成22年に入会
3人の子供たちは鶴沢で剣道を始めました
父は指導者として、業務繁多の中でも
出稽古・合同稽古・合宿や強化稽古会にて
多彩な指導法に触れ、改良を加えて
初心者の指導に力を発揮してくれました
母は大会や行事の企画運営、また除草作業など
積極的に手を差し伸べてくれ
blog掲載の画像も近年では殆どが彼女の手によるものでした
乳児の頃から鶴沢の体育館に通い詰めた次男は入賞多数
鶴沢の名を大いに知らしめてくれました
最終稽古の日取りが決まったのは、前夜でしたので
各員への連絡もままならなかったのですが
彼らの人徳でしょうか
中学生・高校生とその母
仕事の都合で暫く稽古から離れていた親子も参集し
久しぶりに体育館に活気が戻りました
いよいよ追い出し稽古
会長の檄が飛び、総員見守る中
転出する父子に後輩や指導者が順に攻めて行きます
19:30過ぎ稽古終了、転出者の挨拶に続き
小学生にはぎりぎり間に合った写真集とDVDを
父には鶴沢からの心ばかりを手渡し
直前まで着けていたマスクを瞬間外して記念撮影
体育館の利用許可は依然20:00迄ですので
別れを惜しむ暇もごく僅か
苦楽を共にした同志との別れの時がやって来ました
距離を隔てようとも時が移ろうとも
一家の存在は私たちの心の中に燦然と輝いています
「離れていても心は一つ 鶴沢剣友会」
そして鶴沢発の少年剣士
広い世界で伸びて行けどこまでも!!
まずは不撓不屈の精神で修練を続け
5月16日名古屋市枇杷島スポーツセンターで開催された審査会にて
六段に昇段した剣士に
会長から記念の品が贈られたのは6月2日(水)
一同拍手でお祝い
さて平成22年入会の世帯より
6月末に関西へ転居と告げられたのは3月末
大会や審査に向けての取り組みと共に
送り出しに向けての準備を粛々と進めておりました
送り出しの準備、すなわち小学生会員にはこれまでの
活動の記録をまとめた写真集と
ビデオレター擬きのDVDを用意することを意味します
まずは多くの画像の中から必要なものを選択し、時系列に並べ替え
シーンに相応しい楽曲を添え、コメントを付ける作業です
現在ではクラウド上で一元管理できますが
古い画像は様々なメディアに保存してあるため
収集にはそれなりに時間を要し
毎回の事ながら、今回も悪戦苦闘
創作意欲が沸かず遅々として作業が進まぬ日
あるいは過去の画像に見入るあまり
様々な思いが去来し手が止まる晩
6月8日に一旦作業完了したものの、納得できず修正を加え
最終形の完成は6月10日の深夜でした
(今回も怠惰な自分に深く反省💦)
翌11日(金)いよいよ一家を鶴沢から送り出す日が
やって来ました
鶴沢の稽古はいつも夜ですが
夏至まえのこの時期は、開始時の空はまだ明るさが残っており
稽古に適温とはいきませんが、実は私の好きな季節です
兄が揮毫した「気剣体一致」の前にて
最後の号令を掛ける6年生は何を思う…
今回転出する一家は平成22年に入会
3人の子供たちは鶴沢で剣道を始めました
父は指導者として、業務繁多の中でも
出稽古・合同稽古・合宿や強化稽古会にて
多彩な指導法に触れ、改良を加えて
初心者の指導に力を発揮してくれました
母は大会や行事の企画運営、また除草作業など
積極的に手を差し伸べてくれ
blog掲載の画像も近年では殆どが彼女の手によるものでした
乳児の頃から鶴沢の体育館に通い詰めた次男は入賞多数
鶴沢の名を大いに知らしめてくれました
最終稽古の日取りが決まったのは、前夜でしたので
各員への連絡もままならなかったのですが
彼らの人徳でしょうか
中学生・高校生とその母
仕事の都合で暫く稽古から離れていた親子も参集し
久しぶりに体育館に活気が戻りました
いよいよ追い出し稽古
会長の檄が飛び、総員見守る中
転出する父子に後輩や指導者が順に攻めて行きます
19:30過ぎ稽古終了、転出者の挨拶に続き
小学生にはぎりぎり間に合った写真集とDVDを
父には鶴沢からの心ばかりを手渡し
直前まで着けていたマスクを瞬間外して記念撮影
体育館の利用許可は依然20:00迄ですので
別れを惜しむ暇もごく僅か
苦楽を共にした同志との別れの時がやって来ました
距離を隔てようとも時が移ろうとも
一家の存在は私たちの心の中に燦然と輝いています
「離れていても心は一つ 鶴沢剣友会」
そして鶴沢発の少年剣士
広い世界で伸びて行けどこまでも!!