今日はどんな日 ・・・

今日の出来事、感じたこと。

50年来の仲間との忘年会

2014年11月30日 | 日記
11月30日
新宿での忘年会へ出かけた。
居酒屋での忘年会が多い中この会は毎年新宿プリンスホテルを会場にしており、
少しばかりおしゃれな忘年会を続けている。



メンバーは、いずれも50年前に九州・佐賀県の工場に勤務し、現在は東京近郊に
住んでいる男女の集まりである。
例年、県外からの出席もあり、昨日は佐賀県から4名の女性と愛知県から2名
(ご夫婦)が駆け付けてくれた。
総勢38人(内女性12名)とまずまずの人数である、女性は結婚し名前が変わって
いるが呼ぶのは昔の○○ちゃん ・・ と変わらないところが面白い。
(この時代、殆どの女性を○○ちゃんと呼んでいた、九州はそんなところがある)
佐賀県から来た明るい4人娘?の佐賀弁に大いに沸いた忘年会だった。
今日はハトバスで都内見物をして帰る予定とか、外国人と間違われるのでバスの
中では大声で佐賀弁で喋るなよ・・と注意したがどうも止まりそうもない。(笑い)


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電気料金に思う

2014年11月28日 | 日記
11月28日
東電からくる電気料金の使用お知らせなど滅多に見る事はないが10月分のお知らせ
をよくよく見ると ○1段料金 ○2段料金 ○燃料費調整額 ○再エネ発電賦課金の内訳が
記載してある。何じゃこれは?
調べてみると電気料金は使えば使うほど高くなる設定になっている。
通常の商品は沢山買えば安くなるが電気料金は全く逆の設定となっているのだ。
内訳にある1段料金、2段料金はそれぞれ使用量に上限があり1kWの単価が違う。
1段目の単価は安く、2段目はやや高くなっている。
それは分かった、その他に燃料費調整という項目がある、文字からして想像がつ
くが、輸入天然ガスや原油の輸入価格が変動するため、規定より高く輸入した化石
燃料費を我々が負担しているというものだ。
再エネ発電賦課金は、今話題になっている太陽光発電などの自然エネルギーを電
力会社(東電など)が発電会社(ソクトバンクなどが行っている)から高く買わねばならな
い法律となっており、その費用が再エネ発電賦課金だ。
問題は原発を稼働させないと今後ともこの費用が増え続ける事にある。
原発も怖いが化石燃料を使い続けて地球環境が益々進行することも同じくらい怖い
ものがある。(最近の異常気象、異常台風、大雨など明らかに地球はおかしくなっ
ている。)

さてさて、電気料金のお知らせを見つつ、ため息が出てしまう。

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「無形文化遺産」陰で支えられて

2014年11月27日 | 日記
11月27日
国内の3地区の和紙製造技術が「無形文化遺産」に登録された。
また一つ、日本の財産が増えて嬉しい限りだ。
「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)と「本美濃紙(ほんみのし)」
(岐阜県美濃市)、「細川紙(ほそかわし)」(埼玉県小川町、東秩父村)の3紙。
報道されるまでは、この地域で和紙が造られていた事すら知らなかった。
今年、6月には富岡製糸場が「世界文化遺産」に登録されたが、これを陰で支えて
きた企業がある。
我々には片倉製糸(現 片倉工業)といった方が馴染みがある。
この片倉製糸が昭和62年の富岡製糸場の操業を停止した後も管理人を置き、そ
の保全・管理に努めてきた事を知り、立派な会社だな~と思わずにはおれない。
この間、売らない、貸さない、壊さないを信念とし建物を守ってきた。
その後、平成17年に同製糸場を富岡市に寄贈している。
これがなければ富岡製糸場は存在しなかったのではないか?
今回の和紙技術の無形文化遺産登録でも脈々とその技法の継承がなされ今日を
迎えたが、見えないところで多くの人が頑張っているのだな~と改めて感じた次第で
ある。


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女児の臓器移植コメントに大きな感動

2014年11月25日 | 日記
11月25日
6歳未満の女児の臓器移植には大きな感動を受けた。
両親のコメントを読めば何も書くことはない。
これほど崇高なご両親の判断にただただ敬服する。
以下はそのコメント。
「娘は進んでお手伝いをしたり、困っている子がいれば寄り添って声をかけてあげる
ようなとても心の優しい子でした。
臓器提供という形で病気に苦しむお子さんを助けることに、娘はきっと賛同してくれ
ると信じています。
こうして娘が短い人生の最期に他のお子さんの命を救うことになれば、残された私ど
もにとっても大きな慰めとなります。」

「そして、もし我が子が臓器移植でしか助からない疾患を持って生まれてきていたら、
私どもも臓器提供を必死に待ち望んだことでしょう。
しかし臓器提供をする人があらわれなければ、それはかないません。人はいつどち
らの立場に立つか分からない。だからこそ、娘は今、臓器提供が可能な立場にいる
のであれば提供しよう、と考えました。」

う~ん・・無念の内にもよく決断されたものだ、聞けばご両親から移植コーディネー
ターへ相談したそうだ。
自分もそうだがこうう場面では大半の人は躊躇するものだ。
だからこそご両親が光ってみえる。
今日、全ての移植手術が終わり、それぞれの方が命を受け取った。


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銭湯の男湯と女湯の間にドア

2014年11月24日 | 日記
11月24日
銭湯について数人の男女がラジオで話していた。
何気なく聞いていると、昔の銭湯には男湯と女湯の間にドアがあったと言う。
一瞬、タイムスリップする、そうだった ・・・ 子供の頃の確かな記憶がよみ
がえってきた。
幼い子供はよく男湯と女湯を行き来していた、母親に体を洗ってもらった後に父
親のもとに行ったりしていたものだ。
すっかり記憶の外にあった懐かしい情景がラジオでよみがえった瞬間であった。


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