昭和41年、夏。
この映画は正直、見たくはありませんでした。ポスターが異様に怖かったのです。
怪獣というものに興味はありましたが、直視できたのは、その前年位。
「ウルトラQ」を白黒テレビで見ましたが、本当に怖いシーンが出てまいりますと、泣き出してしまう子供でした。
アニメは当時、テレビ漫画と言われることの方が多くて、物心ついたそばからテレビはありましたから、鉄腕アトムはリアルタイムで見ることが出来ました。
僕らの世代は、アニメ創世記から現在まで。その歴史を見て来ているわけです。
それにしましても、最近はまた「女子高生と最新兵器と魔法と科学と不可思議」これで終わってしまっているような・・・・。
では、「どうして、この映画を観ようと思ったのか」と申しますと、同時上映が「ジャングル大帝」と「鶴のおんがえし」だったからです。
「ジャングル大帝」はテレビではもうすでにカラー化されておりましたが、酔漢実家当時は白黒でして、この「サンダ対ガイラ」の横には「ジャングル大帝」のポスターが(当然なのですが)カラーで紹介されていたのです。
「レオの白さ」と「マンディじいさんのお顔」の色が鮮明で、これは映画で観たい!と思ったわけです。
結果、見る事になった訳ですが、酔漢初の怪獣映画がこの「フランケンシュタイン怪獣 サンダ対ガイラ」だったのでした。
場所は、塩竃に昔いらした方ならお分かりになられると思いますが「松竹」です。
あの貨物の踏切の側。
まだ塩竈警察署が、あの交差点のところに威容を誇っていた、あの時代です。
「ゴジラ」第一作は、傑作だと感じております。
これは「東宝特撮」が世界的に評価された記念すべき作品となりました。
今、見ますれば、「ゴジラ」そのものよりか「河内桃子」の美しさに興味が行ってしまうのですが・・・(何せ、あの「大河内 理化学研究所所長のお孫」であったわけで・・)。
この「ゴジラ」を別格といたしまして、酔漢が東宝特撮の「怪獣もの」としては、最も質が高く、最高傑作である。こう信じておりますのが「サンダ対ガイラ」なのでした。
スタッフを少しばかりご紹介いたします。
監督 本田猪四郎
特撮監督 円谷 英二
音楽 伊福部昭
脚本 馬淵薫 本田猪四郎
撮影 小泉 一
特撮撮影 有川貞昌 富岡素敬
もう錚々たるメンバーです。
ゴジラから、その間、怪獣特撮は映画となっておりますが、この「サンダ対ガイラ」が頂点であったかと思うのです。
しかしながら、興行的にはあまり芳しくなく、観客動員数は、これら怪獣映画と比較しても下位の方に位置いたしました。
「ジャングル大帝」や「鶴のおんがえし」と言った子供向けとの同時上映に多少無理があったのかと推察いたします。
何せ、酔漢にも記憶があるのですが、途中で子供の泣き声が館内に聞こえてくる。そんな中での上映だったわけです。
作品の中身を検証いたしましょう。
この映画の副題が「フランケンシュタイン怪獣」とされております。
これは、続編でして、「フランケンシュタイン怪獣」としては、前作「フランケンシュタイン対地底怪獣」がそのデビューになります。
この映像の字幕にもございますが、「東宝特撮陣の凱歌」とあります。(酔漢的にはこの「凱歌」という響きに感動したり・・)
このフランケンシュタインですが、あの「フランケンシュタイン」をモデルとし、現在に蘇らせるという設定です。
当時まだ「クローン」であるとか「バイオテクノロジー」という単語が無かった時代。
企画、脚本は先見があった。こう判断いたしております。
「ゴジラ」もそうですが、当時の「怪獣」というものは、人類の奥深い業から誕生するような気がしてなりません。
「ゴジラ」は核兵器から。「モスラ」は、これを深く読み解きますと・・・文明への批判と人種の問題が見え隠れ致します。「ラドン」(この作品は、特撮の評価は高い酔漢ですが、全体的にはあまり高評価ではありません・・瓦が飛ぶ福岡のシーンは圧巻ですが・・)も「核兵器」と「環境破壊」がテーマの根底にございます。
「フランケンシュタイン」から「フランケンシュタイン怪獣」となる訳ですが、先の「地底怪獣」で登場する「フランケンシュタイン」が、もう、全身メイクだけの生身の人間に近い存在から、「サンダ対ガイラ」ではしっかり着ぐるみとなってます。
「進化」「変体」という言葉が思い出され、クローンが巨大クローンと化し、やがて怪獣となる。
二匹存在しているのは、片方の細胞から分裂した形態であって、この発想も現在の細胞再生研究に繋がって行く。
生物兵器とまでは名言してないまでも、その陰はところどころの台詞となって現れてきます。
フランケンシュタインの人間性を持ち合わせながら、怪獣として登場させているわけですが、そのデザインは「成田亨」。
ウルトラマンのデザインコンセプトを「金城哲夫」から依頼されて、「ウルトラマン」のデザインが決定した話しは有名ですが、例えば「バルタン星人」であるとか「キング・ジョー」(これは金城から受け取ったメッセージ)であるとか、日本における怪獣のイメージを定着させた人物です。
「怪獣が人を喰う」という、あからさまな表現を使っています。
世界中怪獣と言われる「モンスター」は数多く登場致しますが、その「人を食べる」という映像はございません。
「ガイラ」は、人を食べます。そして衣類のみ口から吐き出す。
このシーンは衝撃的であり、最初は船を襲い、船員。羽田空港では、ワンピースを着た女性を食してます。
この場面が物議を起こすことになるのですが、「怪獣は人を食べるものだ」と幼い酔漢はこう信じてしまいました。
以後、怪獣特撮では「ありえない」場面となります。
「ゴジラ」最新作でも登場する「メーザー砲」もこの映画から登場致します。「殺獣最新兵器」と呼ばれますが、この「メーザー砲」が登場致しませんと、どうにも、自衛隊がよわっちく見えてしまいます。
ピアノ線で撮影された光線銃は、これはこれで迫力があるわけです。
当初、脚本には無かった兵器ですが、「本多が加筆修正して登場させた」というエピソードもございます。
能書きが長くなりました。
予告編お楽しみください。(またいつものように削除されるかもしれませんが・・・・)
日米合作による怪獣映画。
ですから、アメリカでも公開されます。
当時のウケはさっぱり。
ですが、一部のマニアが高評価を与えます。
「ブラッド・ピッド」もその一人。
来日した際、東宝特撮スタジオの見学を申し出たほど。
繰返すようですが、酔漢の一押し特撮映画なのです。
「ゴジラ」「海底軍艦」して「サンダ対ガイラ」。この三本は秀作です。
幼稚園年中の酔漢。
観た後は放心状態。
その日、晩御飯が喉を通らなかったことを思い出します。
祖母が母を怒ってね。「何で連れて行ったのっしゃ!」って。(このときのばあちゃんの方がこえがったりしてっしゃ・・・)
本当に忘れられない作品です。
「ジャングル大帝」ではあのフラミンゴが飛ぶシーンに感動し「鶴のおんがえし」は人形劇とアニメーションのコラボレーションに感動致しました。
自身が最初に観た映画。これだけでも、思い出にはなるのですが。それ以上のものを頂けたと思っております。
スクリーンで観た映画の感動。
酔漢、二回目の観劇は・・・・山田洋次監督作品「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」です。
小学校1年生の時。
これも、また・・・(汗)。
小学校時分から映画はまりまくりの人生が始まっておりました。
因みに洋画はと言いますと・・・小学校3年生の時に観た「第三の男」なのでした!
この映画は正直、見たくはありませんでした。ポスターが異様に怖かったのです。
怪獣というものに興味はありましたが、直視できたのは、その前年位。
「ウルトラQ」を白黒テレビで見ましたが、本当に怖いシーンが出てまいりますと、泣き出してしまう子供でした。
アニメは当時、テレビ漫画と言われることの方が多くて、物心ついたそばからテレビはありましたから、鉄腕アトムはリアルタイムで見ることが出来ました。
僕らの世代は、アニメ創世記から現在まで。その歴史を見て来ているわけです。
それにしましても、最近はまた「女子高生と最新兵器と魔法と科学と不可思議」これで終わってしまっているような・・・・。
では、「どうして、この映画を観ようと思ったのか」と申しますと、同時上映が「ジャングル大帝」と「鶴のおんがえし」だったからです。
「ジャングル大帝」はテレビではもうすでにカラー化されておりましたが、酔漢実家当時は白黒でして、この「サンダ対ガイラ」の横には「ジャングル大帝」のポスターが(当然なのですが)カラーで紹介されていたのです。
「レオの白さ」と「マンディじいさんのお顔」の色が鮮明で、これは映画で観たい!と思ったわけです。
結果、見る事になった訳ですが、酔漢初の怪獣映画がこの「フランケンシュタイン怪獣 サンダ対ガイラ」だったのでした。
場所は、塩竃に昔いらした方ならお分かりになられると思いますが「松竹」です。
あの貨物の踏切の側。
まだ塩竈警察署が、あの交差点のところに威容を誇っていた、あの時代です。
「ゴジラ」第一作は、傑作だと感じております。
これは「東宝特撮」が世界的に評価された記念すべき作品となりました。
今、見ますれば、「ゴジラ」そのものよりか「河内桃子」の美しさに興味が行ってしまうのですが・・・(何せ、あの「大河内 理化学研究所所長のお孫」であったわけで・・)。
この「ゴジラ」を別格といたしまして、酔漢が東宝特撮の「怪獣もの」としては、最も質が高く、最高傑作である。こう信じておりますのが「サンダ対ガイラ」なのでした。
スタッフを少しばかりご紹介いたします。
監督 本田猪四郎
特撮監督 円谷 英二
音楽 伊福部昭
脚本 馬淵薫 本田猪四郎
撮影 小泉 一
特撮撮影 有川貞昌 富岡素敬
もう錚々たるメンバーです。
ゴジラから、その間、怪獣特撮は映画となっておりますが、この「サンダ対ガイラ」が頂点であったかと思うのです。
しかしながら、興行的にはあまり芳しくなく、観客動員数は、これら怪獣映画と比較しても下位の方に位置いたしました。
「ジャングル大帝」や「鶴のおんがえし」と言った子供向けとの同時上映に多少無理があったのかと推察いたします。
何せ、酔漢にも記憶があるのですが、途中で子供の泣き声が館内に聞こえてくる。そんな中での上映だったわけです。
作品の中身を検証いたしましょう。
この映画の副題が「フランケンシュタイン怪獣」とされております。
これは、続編でして、「フランケンシュタイン怪獣」としては、前作「フランケンシュタイン対地底怪獣」がそのデビューになります。
この映像の字幕にもございますが、「東宝特撮陣の凱歌」とあります。(酔漢的にはこの「凱歌」という響きに感動したり・・)
このフランケンシュタインですが、あの「フランケンシュタイン」をモデルとし、現在に蘇らせるという設定です。
当時まだ「クローン」であるとか「バイオテクノロジー」という単語が無かった時代。
企画、脚本は先見があった。こう判断いたしております。
「ゴジラ」もそうですが、当時の「怪獣」というものは、人類の奥深い業から誕生するような気がしてなりません。
「ゴジラ」は核兵器から。「モスラ」は、これを深く読み解きますと・・・文明への批判と人種の問題が見え隠れ致します。「ラドン」(この作品は、特撮の評価は高い酔漢ですが、全体的にはあまり高評価ではありません・・瓦が飛ぶ福岡のシーンは圧巻ですが・・)も「核兵器」と「環境破壊」がテーマの根底にございます。
「フランケンシュタイン」から「フランケンシュタイン怪獣」となる訳ですが、先の「地底怪獣」で登場する「フランケンシュタイン」が、もう、全身メイクだけの生身の人間に近い存在から、「サンダ対ガイラ」ではしっかり着ぐるみとなってます。
「進化」「変体」という言葉が思い出され、クローンが巨大クローンと化し、やがて怪獣となる。
二匹存在しているのは、片方の細胞から分裂した形態であって、この発想も現在の細胞再生研究に繋がって行く。
生物兵器とまでは名言してないまでも、その陰はところどころの台詞となって現れてきます。
フランケンシュタインの人間性を持ち合わせながら、怪獣として登場させているわけですが、そのデザインは「成田亨」。
ウルトラマンのデザインコンセプトを「金城哲夫」から依頼されて、「ウルトラマン」のデザインが決定した話しは有名ですが、例えば「バルタン星人」であるとか「キング・ジョー」(これは金城から受け取ったメッセージ)であるとか、日本における怪獣のイメージを定着させた人物です。
「怪獣が人を喰う」という、あからさまな表現を使っています。
世界中怪獣と言われる「モンスター」は数多く登場致しますが、その「人を食べる」という映像はございません。
「ガイラ」は、人を食べます。そして衣類のみ口から吐き出す。
このシーンは衝撃的であり、最初は船を襲い、船員。羽田空港では、ワンピースを着た女性を食してます。
この場面が物議を起こすことになるのですが、「怪獣は人を食べるものだ」と幼い酔漢はこう信じてしまいました。
以後、怪獣特撮では「ありえない」場面となります。
「ゴジラ」最新作でも登場する「メーザー砲」もこの映画から登場致します。「殺獣最新兵器」と呼ばれますが、この「メーザー砲」が登場致しませんと、どうにも、自衛隊がよわっちく見えてしまいます。
ピアノ線で撮影された光線銃は、これはこれで迫力があるわけです。
当初、脚本には無かった兵器ですが、「本多が加筆修正して登場させた」というエピソードもございます。
能書きが長くなりました。
予告編お楽しみください。(またいつものように削除されるかもしれませんが・・・・)
日米合作による怪獣映画。
ですから、アメリカでも公開されます。
当時のウケはさっぱり。
ですが、一部のマニアが高評価を与えます。
「ブラッド・ピッド」もその一人。
来日した際、東宝特撮スタジオの見学を申し出たほど。
繰返すようですが、酔漢の一押し特撮映画なのです。
「ゴジラ」「海底軍艦」して「サンダ対ガイラ」。この三本は秀作です。
幼稚園年中の酔漢。
観た後は放心状態。
その日、晩御飯が喉を通らなかったことを思い出します。
祖母が母を怒ってね。「何で連れて行ったのっしゃ!」って。(このときのばあちゃんの方がこえがったりしてっしゃ・・・)
本当に忘れられない作品です。
「ジャングル大帝」ではあのフラミンゴが飛ぶシーンに感動し「鶴のおんがえし」は人形劇とアニメーションのコラボレーションに感動致しました。
自身が最初に観た映画。これだけでも、思い出にはなるのですが。それ以上のものを頂けたと思っております。
スクリーンで観た映画の感動。
酔漢、二回目の観劇は・・・・山田洋次監督作品「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」です。
小学校1年生の時。
これも、また・・・(汗)。
小学校時分から映画はまりまくりの人生が始まっておりました。
因みに洋画はと言いますと・・・小学校3年生の時に観た「第三の男」なのでした!
本編を見たことはないんです。ですが昔若いころ出版取次店のCDとかビデオを取り扱う部署にいた時くだんのLD(懐かしい!)のジャケットを見ました。
ガイラのほうでしょうか・・・ビデオ担当のGさん(男性)の顔にそっくりで笑ったの懐かしく思い出しました。
松竹で何を観たのか記憶にありません。
西塩竈にあったのはなんでしたっけ?
東映だったかな~?
本町には無かったでしたっけ?
記憶が消えつつあります。
土日は朝っ早くから再放送していたし、夏休みともなれば、全話放送がお約束でしたから。ただ、悲しいかな、東北地方は夏休みが短いため、中々最後まで見られなかったですね(笑)
そんな環境にありながら、なぜかゴジラってあまり見た記憶が無いです。まあ、タイムリーな世代ではありませんから、そんなものなのかもしれませんが…。
そうそう、子供の頃、我が家からゴジラの電飾が見えてましたよ。うち、野中の一軒家だったので、小高い山の上にあった電飾は、遠目にもよく見えました。それが、福島空港開港後、飛び立つ飛行機に変わってしまったのが、子供心に残念でなりませんでした。
今でも阿武隈川沿いの何処かにゴジラの卵(のオブジェ)、残ってるんだろうか…。
いますよね。
この映画は出来はいいと思いますよ。
本町はパールだったのでは?
塩竈は映画館は結構ありましたよね。
中には「あやしい・・・」のもありました。
でもですね、仙台以外で「あやしい・・」劇場は宮城では唯一封切館だったのです。
僕が見に行く前になくなりましたぁぁ・・・えっ?
ところで「つぶらや」と発音するのでしょうか「つむらや」なのでしょうか。
須賀川では「つむらや」とお聞きいたしました。
ゴジラは永遠です。今度ハリウッド版がリメイクされますよね。
左ふくらはぎが固いので、疲れはたまっているようですが、まだこむら返りで目覚めてはいないので、大丈夫だと思います。何分メンタルが弱っちいものでして、ご心配をおかけしまして恐縮です。
さて、円谷の読みの件ですが、私が最も馴染んでいるのは、実は『えんや』だったりします(^^;) 弟の同級生にいましたが、小学校が違う子のため、円谷か圓谷か確証はありません…。
まあ、我が地元では、やはり『つむらや』が一般的だと思います。かのマラソン選手も確か同じ読みかと。
『つぶらや』はあまり聞き覚えがありませんね。
ちなみに円谷監督の苗字の読みを知ったのは、ウルトラマンシリーズのガイドブックだか怪獣図鑑だかからでした。たしか、『つむらや』『つぶらや』が併記してあった記憶はありますが、とにかく読みが『えんや』ではないと知った時の衝撃たるや…!
幼心にも、苗字は難しいと悟った瞬間だったのかもしれません。
本田猪四郎、円谷英二、伊福部昭
もうこれだけで傑作という結論が出ますね。
この映画も、
人間怪獣というところが受けが悪かったかも
しれませんが傑作中の傑作!!
そうですね、「つむらや」が正しいのでしょうね。
金城哲夫研究所というHPがあって、円谷英二が「どっちでもいいよ」と言った、エピソードが掲載されてました。
苗字の読み方っていろいろあるから、難しいですよね。
デスヨネ、ですよね。
これ傑作ですよね。
案外、誰も知らなくて、「くだまき」にしました。
これを語る前にトムさんにご相談しようかと・・・・。
あの大きさが、案外恐怖心をあおったりしております。
顔は怖かったです。(あの当時・・)