酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

「ある友人」の事

2011-05-30 09:40:12 | 東日本大震災
塩竈市立第二小学校。当時は児童数では県下二位の数でした。
昼休みは、もう「芋を洗う」賑わい。
こんな風景の中に、彼と酔漢がおりました。
かつて、「小学校の頃」を「くだまき」にしておりましたが、彼もその中に確かに存在しております。
酔漢が走り回っていた、その横を、彼がすれ違っていた。これは、おそらく日々日常の中であったことと思います。

大学時代、彼は芝居の演出として、酔漢は役者として、その接点がつながります。
蜷川幸雄よろしく厳しい演出家でした。
酔漢の足元に「脚本」が飛んできたこともしばしば・・。
自分には大変厳しい、言い方を変えれば、大変頼もしい「生意気な後輩」なのです。
「猫写真家」さんは、これを、ひょうひょうと受け止める。そんな器の大きな所を持っていたと思いました。
そんな僕らの間には奇妙な盟友関係が結ばれております。

さて、震災直後彼との電話です。

「だけど、酔漢、今こっちに来ても、はっきり言って迷惑になるだけだ!よそ者はガソリン使うんじゃない!」

なるほど、彼の言い分には一理ございます。
(「よそ者」?には少し・・・・・デス)

さて、なぜ彼が、誰にも読むあてのない「震災記」なるものを記したのか。
彼の思いはそんな形でしか表現できなかったのかと思います。
「誰のためでもない」しかし、自分の記憶を整理し後世に伝えていきたい。
この一念だけかと思うのです。

本日、十五回も更新をかけました。
「くだまき」と呼んでしまっては、大変失礼になるかと思っておりましたら、彼なりの「くだまき」が随所に表れております。
彼らしい表現と、そして、やはり読書家ならではのモチーフの数々。

これを、どうやって多くの方に触れていただけるか。
試案の末、このように「自身のブログ」で掲載させていただきました。

全て一気にお読みになるのは難しいかと思います。
ですが、記録としては残りうるものです。
そして、彼の足跡が残ります。

僕はその思いを少しだけお手伝いしたかったのです。

重ね重ね、一日に何度も更新してしまい、ご迷惑をおかけいたしました。
お詫び申し上げます。
なにとぞご容赦くださいますようお願い申し上げます。

「けんちゃんの顔」を浮かべながら、この「くだまき」(東北関東大震災)を終わりにいたしたく存じます。
ありがとうございました。

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2 コメント

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お気に入り登録します (ゴエモン)
2011-06-01 20:56:30
こんばんは。
ご友人の手記その4まで拝読させて頂きました。ちょっと一休み、と酔漢さんの過去ログを読みながら「そうそう、わかるわかる。」とニヤけながら自分の小学校時を思い出しました。
酔漢さんのブログはたまたま震災関連のブログで見て塩釜出身の藤沢市在住ということで親近感を持ち、以後、時間がある時に拝読させて頂いています。


震災関連の記事を終了した後、たまにで良いので藤沢市の話題も取り上げて下さい。
何せ、藤沢市は私の新婚時代を過ごした場所で知人のいない場所だったのに周りの方々に大変、良くして頂いた場所です。
仙台の支店に転勤後また東京に転勤になった夫は再び藤沢市の住民になったくらいです。

これからもお気に入り登録して楽しみにしています。
ご友人の手記その5からはこれからまた拝読させて頂きます。
返信する
ゴエモン様へ (酔漢です)
2011-06-02 10:52:11
ありがとうございます。
今は、藤沢市の丁度「藤沢橋」と「遊行寺」が見える丘の上のマンションにおります。
家内は多賀城と仙台市の出身です。
会社の寮が藤沢にありそのまま住み続けております。
藤沢の話題もお伝えいたしますね。
過去には「日本一長い金魚すくい」を取り上げました。
ゴエモン様のおうちはあの辺り、だと分かります。小学校時代、あの「お寺」と「信号塔」は、恰好の遊び場でした。

尤も長い「くだまき」ですが、拝読いただければ幸いです。
本当にありがとうございます。
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