酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

6月と言えば 14日の話  くだまきアーカイブス

2009-06-22 08:32:16 | くだまきアーカイブス
国立花山少年自然の家内。「ボランティア室」に一人でおりました。
本日の作業は全て終了した後、午後10時を回った頃です。
通常ですと、他のメンバーが必ずいるものですが、その日は、たまたま、私一人しか、ボランティアはおりませんでした。宿泊している団体もありませんでした。
冬休みも終わりの頃です。
職員の宿直は、あつみさんでした。
「日誌も書いた事だし、んでねっさいっか」とボランティア室を出ようとした瞬間
ドーーンという大きな音と共に、建物が上下に1・2回揺れました。
館内の非常用防火扉が数箇所、自動的に閉じました。
「なんだべ」
本当にあっけにとられたまま、次に何をすべきか考えておりました。
「そっちは異常ねぇか」あつみさんが懐中電灯を持って部屋に入って来ました。
幸い、停電は一瞬で回復。館内も別段異常はなかったようです。
「また、山さぁ、おだってんだおん」
「『山がおだづ』?何っしゃ?」
「このあたりの地震さぁ。局地的なもんだべ」
「テレビの地震速報とかは・・」
「地震計があるのか、ないのか。殆どやらない」

当時、大学3年生。花山から栗駒そして築館周辺で起こる、地震の事を初めて知ったのでした。
「高校の時っしゃ、地学の先生が、『築館から栗駒山まで断層が走っている』っていってたのしゃ」と話してくれたのは、たかはし君でした。
川渡に実家のある彼は、また「このあたりだけの地震ってあんのっしゃ」
と話していました。

当時、地震速報にはならない、地震が存在していたのでした。

国道398号線。特に秋はきれいな景色を案内してくれる道でした。
栗駒山を眺めながら、紅葉の美しさは見事でした。
観光地でありながら、あまり知られている風でもなく、のんびりドライブするのには、最適な道路だったと思います。

栗駒ダムの側、母方の祖父は栗駒変電所の所長を(戦前ですが)努めておりました
母は、幼少の頃の思い出をその山々の美しさと共に語ってくれます。
栗駒山へ沢伝いの登山道を使って山頂まで、大学4年の頃、花山少年自然の家の仲間達と登りました。その途中の雪渓。雄大な山の途中に真っ白な雪。真夏というのに、その気温の低さに驚きました。
山頂から山を下り、湯浜温泉へ。三浦さんが、笑顔で迎えてくれました。

駒の湯温泉は、ボランティアスクール卒業のとき、一泊しました。
その思い出の建物の惨状をテレビの映像で見、愕然としました。
「無事であって」との祈りもむなしく。亡くなられた方も多くいらっしゃいました

ヘリコプターからの映像では、きれいなはずの山々が、地肌もあらわに変わり果てた姿となっております。
自然の驚異というには、あまりにも・・・。一瞬にして山が無くなる。
この事実を、今だ受け入れがたい酔漢でございます。

「国立花山少年自然の家」のスタッフもかなりご苦労されているのではないかと推察します。利用者が2kmを徒歩で、無事帰る事が出来たとの事。まずは何よりでした。(すず様のブログより情報を拝借いたしました)
今の時期、「あずましゃくなげ」が満開の時期。
「おんせんたまご様」がお登りになられました「御駒山」の状態も気になります。

素敵な思い出が多くあった、花山そして栗駒です。

行方不明の方々の一刻でも早い生存の情報を切に願います。
そして、被災されました多くの方々には、心よりお見舞い申し上げます。

栗原には、友人が多くおります。彼らの無事も合わせて、祈っております。

9時、再度更新。
民放の番組を見ておりましたら、大土ケ森南東斜面が崩れている映像が映っておりました(テレビ映像での推察ですのであやまりでありましたらご容赦下さい)
本当に大きな地震だったと気づきます。

言葉もありません (丹治)
2008-06-17 09:27:18
酔漢さん、日曜日は有難うございました。御蔭様にて大いに愉快に過せました。あまつさえ、すっかり御馳走になってしまい、申し訳ありません。
幸い家は無事だったものの、昨日出勤したら研究室の床に本が散乱。復旧作業にかからねばなりません。
宮城の惨状については酔漢さんが電話で教えてくれましたが、正直言って信じられませんでした(白髪三千丈的な誇張と思っておりました)。ニュース映像や河北に掲載された写真を見て仰天。「道路が各所で寸断」などという次元ではありませんね(「山一つ崩れた」という酔漢さんのことばは、正にその通りです)。
駒の湯は入ったことこそないものの、栗駒登山の折に何度となく目にしています。須川高原温泉は栗駒を歩く時の定宿です。あの大きな岩が露天風呂に崩落して営業中止状態だとか。
「桑田変ジテ大海トナル」といいますが、自分が知っている所が一日ですっかりその姿を変えてしまうのですから、ただただ唖然とするばかりです。
酔漢さんは現地に知己の方も多いですから、なおのことではありませんか。
知り合いが、地震のつい一週間前に栗駒を歩いてきたばかりだと言っておりました。崩落した道路も通ったそうです。
犠牲になった皆さんには御悔みのことばもありません。そして被災地が一日も早く復興することを祈るのみです。

地震から一週間 (六花)
2008-06-21 00:34:46
地震時はお見舞いありがとうございました。こちらにお邪魔するのが遅れまして…
一昨日も仙台近辺にも感じる余震がありました。本当にどれだけ強かったのかと…栗原、花山に縁がある酔漢さんのご心情お察しします…
学者の方が地球の歴史は地震の繰り返しで、そのため山谷川ができて私達は偶然目撃しているだけ云々言ってましたが、恐れてばかりもいられないし全てのことを無駄にしないようにと思い祈るばかりです…

「くりこま荘」に電話が・・・ (丹治)
2008-06-21 17:11:42
酔漢さんへ
昨日の昼頃「くりこま荘」に電話が通じました。幸いなことに従業員の皆さんも宿の建物も無事だとのことです。
一昨日の同じ時間に電話したら話し中。午後の遅い時間にかけたら呼び出し音が鳴るのみ。昨日の昼頃にやっと通じたのでした。きっと昼をはさんで何時間か一時帰宅が許されてるんでしょうね、あの地区は。
湯浜のことを尋ねたら「あちらのことは分らない」としながらも「(湯浜温泉は)別なとこに自宅があるから・・・或いは避難所に行っているのかも」とのことでした。
ただ昨日の河北朝刊の写真によれば、湯の倉温泉の建物の一階部分が水に漬って増す。下流の沢が土砂で堰き止められたんでしょうね。あそこは二三度、風呂を使いに行ったことがあります(正確に言えば、行きつけのスナックのマスターに連れて行ってもらった)。
林道のどん詰りで沢を渡って尾根一つ越えたとこ。河原に露天風呂がある訳ですから、沢底の河原にあるという点では駒の湯と地形的に似てますね。
川底といえば、湯浜も駒の湯とは地形的に似たところにあったと思います。高校同期のやはり山好き酒好き温泉好きという悪友によれば、「ボーリングで掘り当てた温泉でなければ、お湯が湧くのは地層が地表に露出する所」。だから山の宿の場合、沢の川床とか蔵王高湯みたいに爆裂火口の底など、地形的に似た所がおおいのだそうです。
それにしても土砂に流された駒の湯と一階が水に漬った湯の倉、そして湯浜は地形的に似た所。また駒の湯と「くりこま荘」は地形的な違いこそあれすぐ近く。戦争もさることながら、自然災害は紙一重の差で明暗が分れますね。
「丹治のことだから、栗駒を歩いてると思った」・・・学会から帰って、行きつけの居酒屋のお姐さんと同僚の英語教師から言われたことです。小生栗駒を歩いたのは、いずれもお盆近くから秋にかけて。「初夏の栗駒を歩きたい」とは常々思っていた所です。今回は沢釣りに出かけて行方不明になった方がいましたね。学会がなければ、あの日栗駒に行っていた可能性は極めて高かったのです(天気もよかったし)。
犠牲になった皆さんには、改めて心から御悔み申し上げます。
行方不明の皆さんの御無事を願って已みません。
幸いにして命をながらえた皆さん、何よりでした。
創作復旧作業に従っている皆さん、本当に御疲れ様です。
宮城岩手を問わず、被害が出た地域の一日も早い復興を祈るのみです。

被災地の様子など (丹治)
2008-06-24 13:54:48
駒の湯では捜索は警察と消防が続行。陸上自衛隊は支援に回り、建物の解体を完了しました。とはいえ沢の水が次々に流れ込んで湿地状態。困難な状況にあるようです。
道路ですが、市道駒の湯線は、現在日影森地区まで通行可。駒の湯温泉までは七月中旬開通見込み。国道398号線は現在花山湖、松ノ原地区を経て浅布地区(水無橋)まで通行可。温湯温泉を通って市道鎌内線交差点までは七月上旬、湯浜温泉を経て秋田県境までは七月中旬開通見込み。但し当分は沿線住民、救急車等緊急車両、災害復旧の小路車両に通行を限定するそうです。荒砥沢地区の大規模地滑り部分では仮設道路を建設するとのこと(以上、河北新報による)。刊行など一般車両の通行はしばらく出来ませんが、そこはそれ復興第一ですね。
栗駒地区などの納入業者の大口取引先は、現在休業中の温泉保養施設。取引がなくなって大変だそうです。
しかし復興に向けた地元の取組みも始っています。地域おこしのイベントを開催して義捐金を募り、災害復旧に役立てようという計画を青年会議所だったか商店会だったかが立てているというニュースを今朝方見ました。
断水や電話不通地区もまだまだありますが、岩手県側では自衛隊が仮設浴場を設置。温泉施設が断水家庭に無料開放されています。
これから梅雨の長雨の時期です。崩れた土砂で出来た堰止湖の排水作業も進んでいますが、二次災害が心配です。
避難所生活を余儀なくされている皆さんが一日も早く我が家に戻れることを願っています。

帰ろうか (クロンシュタット)
2008-06-26 06:17:00
老いた両親の様子が心配なので、近いうちに帰省しようかと考えております。
でも、息子たちの夏休みの時期になってしまうのかなー。
栗駒の反対側、秋田県羽後町が両親の出身地です。
隣の湯沢市もだいぶ揺れたことが報道されていました。
私が高1の学校登山で登った栗駒山頂は、ガスで視界ゼロだったことを思い出しました

被災地の様子など(3) (丹治)
2008-06-29 14:35:38
小生、栗駒に登る時は宮城県側の「いわかがみ平」から東栗駒山を経て栗駒登頂。頂上から須川温泉に下って一泊します。「天馬尾根から秣岳(まぐさだけ)を通って須川湖に下りてみたい。それには、宮城県側から登るなら中央コースか・・・」などと考えていた矢先の地震でありました。小生の山歩きは基本的に縦走登山であります。また温湯温泉から白糸の滝を通って湯浜に抜けるトレッキングコースも歩きたいと常々思っておりました。
昨日、須川温泉口からの登山コースの入山規制が解除されました(新聞記事によれば頂上も地割れや落石で荒れておったそうです)。とはいえ宮城県側も一関から須川温泉へ行く道も不通ですので、現在は秋田県側からしか入山出来ませんね。しかも須川高原温泉は営業再開に到らず栗駒山荘も一部営業のみ(七月一日からレストランと売店)ですから、車利用の日帰りということになります。宮城岩手両県からの入山はまだまだ先のことになりそうです。
ランプの宿の湯の倉温泉ですが、屋根を残して水没してしまいました。この堰止湖の完全排水は不可能らしく、営業再開は無理とのこと。「あの河原の露天風呂にはもう入れない」と思うと無念でなりません。しかも江戸時代から続く由緒或る宿(当主は八代目だそうです)。御主人のことを思うと、胸が痛みます。
荒砥沢地区の土砂を完全に取除くには四百億弱の費用がかかるらしいです。それも含めて宮城県の被害総額は軽く千億を超えるとか。それでもなお国が定める激甚災害の指定には届かず、地域限定の災害指定にしかならぬそうです。激甚災害だと費用の六割が国から下りますが、地域限定だと四割に留まるそうですね。
山間部だから被害額こそ規定に達しないものの、また山間部だからこそ罹災者の皆さんの生活は一層不便なものになっていると思います。「規則は規則だ」と言ってしまえばそれまでですが、何とかならないものでしょうか。
また(正確な用語は失念しましたが)「この建物はキケン」としされただけでは、罹災者の認定を受けられぬこともあるとか。「耐震補強の小路をしなければ住めない」「でも費用は自分で捻出してね。補助は出来ないから」・・・これでは住民はたまったものでありません。
宮城県は財政再建団体五分前。ただでさえ台所は火の車なのに、震災復興にかかる費用も天井知らず。これから一体どうなるのでしょう。この震災復興の土木事業によって雇用を増やすことは出来ないものでしょうか。それともやはり、特定業種の利益にしかならないということで不可能なのでしょうか・・・

栗駒山荘復活 (丹治)
2008-07-09 16:25:16
栗駒山荘は土産物とレストランで営業を再開していましたが、この週末、入浴が可能になりました。十日からは宿泊客も受入れるそうです。須川高原温泉の復活が待ち遠しいです。
とはいえ宮城側の入山禁止が解けておらず、一関から須川に通じる道が祭畤(まつるべ)で切れたままですから、当分の間は398号線を使って秋田側から入るしかないですね。ああ、栗駒・・・栗駒に登りたい・・・頼む、栗駒に登らしてくれぇぇぇ・・・
宮城県内の鉄道在来線は、陸羽東線で五分程度の遅れと特別列車の運休がある程度。ほぼ完全に復活したと見ていいと思います。
駒の湯温泉で経営者の息子さんが遺体で発見されました(合掌)。残る行方不明者は一人。また渓流釣りで栗駒に入って行方不明になった御夫婦も発見されておりません。一日も早い発見を祈るばかりです。

湯の倉温泉 (丹治)
2008-07-14 12:51:44
屋根を残して水没した湯の倉温泉ですが、昨日の朝日朝刊によれば建物が堰止湖の中で流されたそうです。
御主人によれば、建物をロープで固定したかったが水浸しの状況では不可能。営業の再開については、水が引かないうちは何も考えることが出来ないとのこと。
行ったことのある温泉ですから、営業を再開して欲しい気持は山々です。しかし、あの立地条件。資材を運ぶのが大変だと思います。御主人の御心労、御察しするばかりです。

國道參佰玖拾捌號線 (丹治)
2008-07-16 09:47:42
今朝のニュースによれば、花山地区から秋田県境まで通行止めになっていた国道398号線が開通しました。湯浜地区も片側車線ですが通行可能になったそうです。
但しひびが入った橋脚のつけ替えなどの復旧工事は今なお続行中。通行可能な時間帯は午前六時から午後六時まで。しかも緊急車輌と特に許可を得た車輌に限られます。一般車の通行許可がであるのは、まだまだ先の話になりそうです。
とはいえ災害復旧は着々と進んでいるようですね。
工事関係者の皆さん、本当に御疲れ様です。
避難所や仮設住宅などで過されている皆さん、一日も早くおうちに帰れるといいですね。
行方不明になっている皆さんが一人残らず見つかることを願って已みません。

捜索打切り (丹治)
2008-07-17 08:33:07
今朝の河北に出ていたのですが、栗原市が行方不明者の捜索を打切るそうです。

いわかがみ平 (丹治)
2008-09-16 12:58:04
数日前の地元紙に出ておったのですが、栗駒山のいわかがみ平に通じる道が復旧する見込みです。いわかがみ平には何でもあの地震で帰れなくなった車が何台かいて、降雪までには復旧して山から下したいのだそうです。これで「宮城側登山口への道路も目出度く復旧」となる次第です。
但し残念なことに須川温泉から一関への道が、祭畤大橋の所で寸断されたまま。下山には398号線を通らねばなりません。問題は宿が秋田経由の送迎をやっているかどうかでしょうね。栗駒はまだまだ近くて遠い山です。
耕英地区の皆さんは、今なお避難所での生活を余儀なくされています。駒の湯温泉も営業再開の目途が立っていません。
最近、宮城で地震や雨があるたびに「栗駒地区は大丈夫だろうか」と考えずにはおれません。まずは避難している皆さんが一日も早く我が家に帰れるようになることを祈っております。

堰止湖決潰 (丹治)
2008-10-27 12:18:02
昨日のニュースで見たのですが、最近降った雨で、栗駒地区は湯の倉温泉付近に出来た堰止湖が決潰しました。映像つきのにゅーすでしたが、湯の倉温泉の建物の壁が濁った水面に浮いて見えるのです。何度か風呂を使いに行った所です。毎度同じ言葉づかいになりますが(他の言葉が思い当りません)、胸が痛みます。

本日付朝日新聞宮城版 (丹治)
2008-11-06 12:53:37
栗駒の市街地から耕英地区に通じる市道のうち荒砥沢ダム付近の本道八百メートルが五日に完成。耕英地区の皆さんは、この冬には自宅に帰れる見込みです。
また耕英十字路からいわかがみ平までは八日に仮復旧の予定。いわかがみ平駐車場に残っている十九台の車も、下におろせる目途がたちました。
これで岩手県の祭畤大橋が復旧して宮城側からの入山が解禁されれば、言うことなしです。
ただ残念なことに駒の湯温泉の復活はないようです。本当に残念ですが、身内から犠牲者を出した経営者の方の気持を考えれば仕方ないのかもしれません。
改めて、犠牲になった皆さんの御冥福を祈ります。

ふるさとの山々は雪をかぶっているのでしょうか (クロンシュタット)
2008-11-07 05:50:42
丹治さん
情報ありがとうございます。
こちらでは「耕英地区」と言っても、宮城出身者以外の方々は、忘れてしまっているのかもしれません。
日々の普段の生活に戻られることを願っております。
山のにおいを嗅ぎに、奥多摩にでも出かけたいと思います。

本日付河北新報朝刊 (丹治)
2008-11-09 16:56:43
いわかがみ平の駐車場に取り残されていた車十九台が、昨日下山しました。当初は十五日頃の予定でしたが、降雪を警戒して一週間早まったのだそうです。
いわかがみ平に到る県道は道路崩落が一箇所、土砂によって埋った地点が四箇所。崩落箇所に新たに作った迂回路を利用しての下山。レッカー移動せざるを得なかった車があったとはいえ、降雪を前に残留車輌が全て下山できたのは何よりでした。
この迂回路ですが、残留車輌を下山させるため暫定的に敷設したのか恒久的なものなのかは分りません。寸断された本来の道路は復旧されるのでしょうか。
次の情報が入り次第、直ちに書込みます。

その後の栗駒 (丹治)
2008-12-08 18:25:35
崩落した祭畤大橋の架設工事が完成。同地区の住民に対する避難勧告が解除されて、皆さん家に戻ることが出来ました。
耕英地区ではボランティアの人たちが民家の雪囲いを手伝っています。

営業再開に向けて (丹治)
2008-12-15 17:42:32
あの地震から半年が経ちました。先週金曜の朝日新聞宮城版の記事です。
駒の湯の御主人が、くりこま荘、温湯温泉、湯浜温泉、湯の倉温泉の経営者たちと会って営業再開について話し合ったとのことでした。駒の湯と湯の倉は建物自体がなくなってしまったので、営業再開は困難を極めると思います。しかし「再開したい」あるいは「再開しよう」という経営者の心意気には脱帽の他ありません。温泉好きとして、宮城県民として心からエールを送りたいと思います。
それからこれは河北の記事です(日付失念)。いわかがみ平への道も含めて、あの地域で被害に遭った道路が敢然復旧するのは、再来年になる見込みです。また一旦は中断した行方不明者の捜索も、来春の雪解けを待って再開するとの事でした。

丹治様へ御礼です (酔漢です )
2008-12-18 06:42:31
この記事にたいしまして、多くの情報。ありがとうございます。
湯浜温泉の再開がなによりうれしい話です。
三浦さんも主となられて、露天風呂も作ったばかりだと聞きました。(ですが酔漢はあの屋根のかかっていたのが好きなのですが)
また、行きたいと思っていた矢先の地震でした。
冬を迎えます。被災地この冬。雪はどうなのでしょうか。
それと・・・少年自然の家の活動状況も気になるところです。
一日も早い復旧を、何よりも地域の皆さんのために念じて已みません。

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8 コメント

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地震 (ひー)
2009-06-22 21:44:12
丹治さんの日記からですかね?

よく記録されてましたね。
山好きの人々には、一番身近な山の一つでしょうね。同僚の中にも、あの宿を利用したり登山をしてるものが多くいます。
あの地区を担当する栗原消防暑にも知り合いというか、元部下のお兄さんや一緒に旅行をした人達がいます。
災害にあった人々、それを救助する消防隊や自衛隊…それぞれの立場で地獄を見た思いではなかったでしょうか。

いつの世も、自然の力には叶わないのですね。

この脅威的な地震は、宮城県沖地震では無かったことに、恐怖は今でも続いています。宮城北部地震では、三陸道は凸凹民家の屋根にはブルーシートが目立ちました。 当時の同僚は家には住めないと建て替えをしました。やはりこの時も宮城県沖地震では無かったことに落胆しました。

それは、もう一度あの大きな地震が来ると言うことです。
ここに住んでる以上その恐怖からは逃げられないですね。

今、栗原に大雨注意報が発令されました。
返信する
遠く遠く離れていても (クロンシュタット)
2009-06-23 05:48:36
栗駒の復興には、なんにもお手伝いできませんでした。
遠くから見守ることしかできませんでした。

年老い病を抱えた両親は、今度大地震があったら間違いなく生活に困窮してしまいます。
せめて自分の親だけは助けたいものです。

地震に人一倍敏感なのか夜中の震度1でも目が覚めてしまいます。
そのたびに震源地が宮城かどうかを確認しなければ眠ることができません。


返信する
早速拝見させていただきました (DRYな奴)
2009-06-24 06:46:02
昨日はお忙しいところありがとうございました。早速、のぞかせていただきましたがサクッとしか拝見していないので休みの日にでもゆっくりと見させていただきます。
返信する
ひー様へ (酔漢です)
2009-06-25 09:46:04
宮城は地震の巣窟なんですね。
内陸で大地震が起きるなんて想像しておりませんでした。やはり三陸沖を想定した地震ばかりでしたから。
チリ地震津波の記憶はありません。が、父から話を聞きますと、それはそれで津波も恐いおのだと思いました。
案外災害多発県だった宮城です。
返信する
クロンシュタット様へ (酔漢です)
2009-06-25 09:48:06
横揺れが大きくて、振動が長かったりしますと「また宮城かや?」と真っ先に疑うようになりました。
夜中に地震。
クロンシュタット様と同じ行動を取ってるのかもしれません。
返信する
DRYな奴様へ (酔漢です)
2009-06-25 09:50:06
初めましてぇぇぇぇ。
えっ?いつも合ってますって?
だって、ここでは初めてではないですか!
宮城語が飛び交う世界ですが、面白いと思います。
また遊びに来てけらいん!
返信する
すっかり遅くなって・・・ (丹治)
2009-06-26 12:00:11
申し訳ありません。

春になって耕英地区の避難勧告も解除されました。
でも経済的な事情から、避難勧告が解除されても住宅を修理できない方もいるとか。
あの地震の爪痕の深さを改めて思い知らされます。

行方不明者の捜索も再開されました。
白糸の滝付近で行方不明になった渓流釣の御夫婦は発見されました。
お互いかばい合う姿で倒れていたそうですよ。
駒の湯の二人の捜索は、なお続行中です。
一日も早い発見を祈って已みません。

被災地区の復興を願うと共に、
改めて犠牲になった皆さんの冥福をお祈りしたいと思います。
返信する
二名発見 (丹治)
2009-07-02 14:54:22
駒の湯で行方不明になっていた二名の方の遺体が発見されました。
今朝のテレビニュースと河北新報による報道です。

地震発生から一年を経過してもなお、捜索を続行。関係各方面の皆さんの御努力には頭が下がります。

残念なこととはいえ、御遺族の皆さんも安心されたことでしょう。
残る行方不明者は六名。
一日も早く発見されることを祈っています。

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