落語をしておりまして、よく「物売り」が出てまいります。
最初に覚えましたのが「時そば」でございましたが、これは皆様ご存知、例の「そばぁぁぁうぃぃぃ」というもの。
これだけではございませんが、よくよく聞きますれば「食べ物や道具の特徴をよく表しているなぁ」というのが感想です。
江戸時代の、例えば「たまご売り」。
「たまごぉぉ!たぁぁまぁごぉぉl」(本当は、声を出してご紹介したいところですが)
たまごの新鮮さが伝わってまいります・
立川談志師匠の「鼠穴」では、その最初のあたりにこう出てまいります。
「きんちゃぁぁん!あまいぃよぉぉぉ」飴売り
「とうふぅぃぃ」豆腐売り
「お・いなぁりぃさん!」(狐が飛び跳ねるような勢いで)
など。
一番下の「おいなりさん」ですが、夜遅く、御蕎麦屋さんの屋台も閉まった後に登場したとか。
夜勤の武士の夜食需要に対応しているわけです。
江戸時代、人々の生活時間に合わせたような物売りの登場でもありました。
「リンゴ売り」と言うのは、全国一般的ではなかったと思います。
たくさんのリンゴを運ぶわけですから、トラックが必要です。
幌をかぶせたトラックに木箱に入ったリンゴをたくさん取り揃えてこまっつあきの上までやってきます。
「りんごぉ。りんごぉ。インドりんごぉ」
昔は木箱に果物が入っておりました。米ガラの中にリンゴが隠れているように入っております。
トラックを運転しながらですので、スピーカーから流れる声でした。
「りんご買ってくっからっしゃ」
ばあちゃんが、かごを持って出かけます。
当然僕も一緒でした。
「ほれ、こいず、あめぇから食ってみてけさいん」
試食会が始まりまして、一切れいただく。
これが楽しみでもありました。
ところで、「インドりんご」というりんごは、酔漢も久しく見ておりません。
酔漢も量販で働いておりますが、たいがいは「ふじ」であったりします。
どんな種類だったのか、そこまで知識はなく、「あのりんごはなんだったんだべ」という思いだけがございます。
りんごを売りに来ていた果物屋さん。
藤倉にあります「太田果実店」でした。
今はないお店でしたが、ちょうど、「佐藤精肉店」(ここは今でもございます)からもう少し先、小島かまぼこの少し手前にあったと記憶しております。
うの様のクリニックよりもう少し山よりだったと記憶しております。(それにしても道が広くなりました)
果実店ではありましたが、殆どが出張販売です。
「くにちゃん」はそこのお嬢さんでした。
ちょうど幼児園(幼稚園ではなくて、無認可でしたので名前が幼児園でした)で一緒。そんな御縁もありました。
「いつも、世話になってねぇ」とリンゴを一個おまけしくれたご主人でした。
あのリンゴの味(インドりんご)。独特の酸味は、今にしてみれば「おいしくない」のかもしれませんが、懐かしい味でございます。
あの当時、多くの物売りがおりました、塩竈でした。
「団子屋さん」はみなさん(塩竈周辺にお住まいの40代以上の方々は)お見かけしたことがあろうかと思います。
リヤカーを改造した木の扉のついた(引出いっぱいの)ガラス張りの什器でもって団子を売っておりました。
声は出さずに「チリン!チリン!」と鐘を鳴らしながらリヤカーをひぱっておりました。
おそらく、周回コースがあったのだろうと思いますが、時たま、偶然出くわすわけです。
「おんちゃん、あんこけさいん!」と一本たしか20円位だったと思うのですが、買い求めるわけです。
普段、「団子」なんて思いつかないのですが、姿を見ますと、「とたんに喰てぐなる」。そんな感じです。
これは家内も知っておりまして、家内は幼少の頃伝上山におりまして、団子屋さんも伝上山にお住まいだったとか。
「よくもらったよ!」と言っております。
「俺、もらったことなんかねがったおん」でした。
こまっつあきの家に一人で留守番しておりまして、遠くから物売りの声が聞こえてきます。
何故か、少し怖い思いもよぎるのでした。
何が怖いのかは解りませんが、そんな思いでした。
「唐辛子屋さん」はこれは、(今にして思えば)芸術的な声でした。
リズミカルな声だったよなぁ。
「とぉぉんがらしぃ!」と一声。終わると同時に拍子木を「ガッチャ!ガッチャ!」と二回鳴らします。
大きな銀色に光った金属のかごに唐辛子をいろいろ入れてまして、その場で調合してくれます。
子供の頃「辛い物が苦手」(誰でもそうだと思うのですが)でしたので、そのおいしさまでは解らなかったのですが、母はよく買っておりました。
薬を入れるような袋に入れてもらって、赤い字で「七味」だとか「一味」だとか書いてありました。
一度、勝手口で見たことがあるのですが、「この前より辛くしてけさいん」というリクエストにもちゃんと答えておったように記憶しております。
夏休みに入って、朝早くですと「海鞘(ほや)売り」の軽トラがこまっつぁきまで上がってきます。
これはスピーカーから流れる声でしたが、やはり独特なものがございまして。
「ほやぁぁ~ほやぁぁ~」と二回1セット。
朝、そうですね七時ごろには来ていたような記憶があります。
鍋を持参で買いに行きます。
その場で向いて鍋に入れての買い物。
これは、さすがに、関東にはないもの。三陸ならではの物売りなのでしょう。
食べ物、ばかりではなくて。
「傘直し」というものもございました。
「こうもりなおしヤ!」という掛け声。
「ヤ」を片仮名で表記致しましたが、この「ヤ!」に妙に力が入っております。
いつも来る人だったのですが、声色が高くて(ボーイソプラノ?)よく通る声でした。
ある日、幼稚園の帰り道。壊れた傘をたたんで持っておりましたら、「んで直してやっから」と無料で直してもらった事がありました。
こまっつぁき、「いづみや」の前でした。
少し変わった道具が出てきては、骨をきちんとまっすぐに直す。
「恰好いいなや」とその手さばきに感動致しました。
「ざるぅかいんかねぇ」の声。
「おめぇ、雨降っと!」
何故か、「ざる屋さん」のリヤカーと出くわすと雨が降る。という塩竈伝説。
実際に雨になったことはなかったのですが、僕らの間ではそうでした。
このおじさんは、本当によく見かけました。
こまっつあきの上まで平気でリヤカーで上がっておりました。
「梅の宮」や「文化」のあたりでよく出会います。
あれは、自分で作ったものだったのだろうか。
おそらくそうだとは思いますが、今となっては謎のままです。
昨日、買い物難民に関するニュースを見ました。
高齢化社会が進み、買い物に出かけることが出来ない人が大勢いるという時代。
あるコンビニでは出張販売をしているという事も。
サザエさんを見ておりましたら、いつもの通り御用聞きの「サブちゃん」がおりまして。
「こんにちわぁ三河屋でぇす」と勝手口に入ってまいります。
「そうねぇ、御醤油と・・・・」
配達の御用聞きです。
いながらにして、最低限の買い物が出来る。そんな感じです。
量販店は、車での来店客をあてこんで、郊外へ大規模な店舗を構えます。
自動車が生活の足となり、買い物する姿は四十年前とは一変致しました。
一方では、先に話しましたが、高齢化社会が進み、自身で買い物できない。
時代の流れで人々のニーズは大きく変化するもの。ではありますが。
自身の仕事場におりまして、数多くの商品を相手にしております。
ふと、リンゴの売り場を眺めておりまして、そんな「くだまき」になりました。
「たま・ゴ!たまたま・・・ご」
「おい与太郎、お前ねぇそんな言い方じゃたまごがくさっちまうじゃねぇか!たまごらしく言えねぇのかい!」
「きん・・ギョ!ぇ!キン・・ギョ!」
「それじゃ、まるで金魚が襲ってくるみてぇで・・」
物売りの口上一つで、売上も変わっていたんだろうなぁ。と思います。
そして、これが商いの原点であって、技でもあった。
なつかしい風景です。
最初に覚えましたのが「時そば」でございましたが、これは皆様ご存知、例の「そばぁぁぁうぃぃぃ」というもの。
これだけではございませんが、よくよく聞きますれば「食べ物や道具の特徴をよく表しているなぁ」というのが感想です。
江戸時代の、例えば「たまご売り」。
「たまごぉぉ!たぁぁまぁごぉぉl」(本当は、声を出してご紹介したいところですが)
たまごの新鮮さが伝わってまいります・
立川談志師匠の「鼠穴」では、その最初のあたりにこう出てまいります。
「きんちゃぁぁん!あまいぃよぉぉぉ」飴売り
「とうふぅぃぃ」豆腐売り
「お・いなぁりぃさん!」(狐が飛び跳ねるような勢いで)
など。
一番下の「おいなりさん」ですが、夜遅く、御蕎麦屋さんの屋台も閉まった後に登場したとか。
夜勤の武士の夜食需要に対応しているわけです。
江戸時代、人々の生活時間に合わせたような物売りの登場でもありました。
「リンゴ売り」と言うのは、全国一般的ではなかったと思います。
たくさんのリンゴを運ぶわけですから、トラックが必要です。
幌をかぶせたトラックに木箱に入ったリンゴをたくさん取り揃えてこまっつあきの上までやってきます。
「りんごぉ。りんごぉ。インドりんごぉ」
昔は木箱に果物が入っておりました。米ガラの中にリンゴが隠れているように入っております。
トラックを運転しながらですので、スピーカーから流れる声でした。
「りんご買ってくっからっしゃ」
ばあちゃんが、かごを持って出かけます。
当然僕も一緒でした。
「ほれ、こいず、あめぇから食ってみてけさいん」
試食会が始まりまして、一切れいただく。
これが楽しみでもありました。
ところで、「インドりんご」というりんごは、酔漢も久しく見ておりません。
酔漢も量販で働いておりますが、たいがいは「ふじ」であったりします。
どんな種類だったのか、そこまで知識はなく、「あのりんごはなんだったんだべ」という思いだけがございます。
りんごを売りに来ていた果物屋さん。
藤倉にあります「太田果実店」でした。
今はないお店でしたが、ちょうど、「佐藤精肉店」(ここは今でもございます)からもう少し先、小島かまぼこの少し手前にあったと記憶しております。
うの様のクリニックよりもう少し山よりだったと記憶しております。(それにしても道が広くなりました)
果実店ではありましたが、殆どが出張販売です。
「くにちゃん」はそこのお嬢さんでした。
ちょうど幼児園(幼稚園ではなくて、無認可でしたので名前が幼児園でした)で一緒。そんな御縁もありました。
「いつも、世話になってねぇ」とリンゴを一個おまけしくれたご主人でした。
あのリンゴの味(インドりんご)。独特の酸味は、今にしてみれば「おいしくない」のかもしれませんが、懐かしい味でございます。
あの当時、多くの物売りがおりました、塩竈でした。
「団子屋さん」はみなさん(塩竈周辺にお住まいの40代以上の方々は)お見かけしたことがあろうかと思います。
リヤカーを改造した木の扉のついた(引出いっぱいの)ガラス張りの什器でもって団子を売っておりました。
声は出さずに「チリン!チリン!」と鐘を鳴らしながらリヤカーをひぱっておりました。
おそらく、周回コースがあったのだろうと思いますが、時たま、偶然出くわすわけです。
「おんちゃん、あんこけさいん!」と一本たしか20円位だったと思うのですが、買い求めるわけです。
普段、「団子」なんて思いつかないのですが、姿を見ますと、「とたんに喰てぐなる」。そんな感じです。
これは家内も知っておりまして、家内は幼少の頃伝上山におりまして、団子屋さんも伝上山にお住まいだったとか。
「よくもらったよ!」と言っております。
「俺、もらったことなんかねがったおん」でした。
こまっつあきの家に一人で留守番しておりまして、遠くから物売りの声が聞こえてきます。
何故か、少し怖い思いもよぎるのでした。
何が怖いのかは解りませんが、そんな思いでした。
「唐辛子屋さん」はこれは、(今にして思えば)芸術的な声でした。
リズミカルな声だったよなぁ。
「とぉぉんがらしぃ!」と一声。終わると同時に拍子木を「ガッチャ!ガッチャ!」と二回鳴らします。
大きな銀色に光った金属のかごに唐辛子をいろいろ入れてまして、その場で調合してくれます。
子供の頃「辛い物が苦手」(誰でもそうだと思うのですが)でしたので、そのおいしさまでは解らなかったのですが、母はよく買っておりました。
薬を入れるような袋に入れてもらって、赤い字で「七味」だとか「一味」だとか書いてありました。
一度、勝手口で見たことがあるのですが、「この前より辛くしてけさいん」というリクエストにもちゃんと答えておったように記憶しております。
夏休みに入って、朝早くですと「海鞘(ほや)売り」の軽トラがこまっつぁきまで上がってきます。
これはスピーカーから流れる声でしたが、やはり独特なものがございまして。
「ほやぁぁ~ほやぁぁ~」と二回1セット。
朝、そうですね七時ごろには来ていたような記憶があります。
鍋を持参で買いに行きます。
その場で向いて鍋に入れての買い物。
これは、さすがに、関東にはないもの。三陸ならではの物売りなのでしょう。
食べ物、ばかりではなくて。
「傘直し」というものもございました。
「こうもりなおしヤ!」という掛け声。
「ヤ」を片仮名で表記致しましたが、この「ヤ!」に妙に力が入っております。
いつも来る人だったのですが、声色が高くて(ボーイソプラノ?)よく通る声でした。
ある日、幼稚園の帰り道。壊れた傘をたたんで持っておりましたら、「んで直してやっから」と無料で直してもらった事がありました。
こまっつぁき、「いづみや」の前でした。
少し変わった道具が出てきては、骨をきちんとまっすぐに直す。
「恰好いいなや」とその手さばきに感動致しました。
「ざるぅかいんかねぇ」の声。
「おめぇ、雨降っと!」
何故か、「ざる屋さん」のリヤカーと出くわすと雨が降る。という塩竈伝説。
実際に雨になったことはなかったのですが、僕らの間ではそうでした。
このおじさんは、本当によく見かけました。
こまっつあきの上まで平気でリヤカーで上がっておりました。
「梅の宮」や「文化」のあたりでよく出会います。
あれは、自分で作ったものだったのだろうか。
おそらくそうだとは思いますが、今となっては謎のままです。
昨日、買い物難民に関するニュースを見ました。
高齢化社会が進み、買い物に出かけることが出来ない人が大勢いるという時代。
あるコンビニでは出張販売をしているという事も。
サザエさんを見ておりましたら、いつもの通り御用聞きの「サブちゃん」がおりまして。
「こんにちわぁ三河屋でぇす」と勝手口に入ってまいります。
「そうねぇ、御醤油と・・・・」
配達の御用聞きです。
いながらにして、最低限の買い物が出来る。そんな感じです。
量販店は、車での来店客をあてこんで、郊外へ大規模な店舗を構えます。
自動車が生活の足となり、買い物する姿は四十年前とは一変致しました。
一方では、先に話しましたが、高齢化社会が進み、自身で買い物できない。
時代の流れで人々のニーズは大きく変化するもの。ではありますが。
自身の仕事場におりまして、数多くの商品を相手にしております。
ふと、リンゴの売り場を眺めておりまして、そんな「くだまき」になりました。
「たま・ゴ!たまたま・・・ご」
「おい与太郎、お前ねぇそんな言い方じゃたまごがくさっちまうじゃねぇか!たまごらしく言えねぇのかい!」
「きん・・ギョ!ぇ!キン・・ギョ!」
「それじゃ、まるで金魚が襲ってくるみてぇで・・」
物売りの口上一つで、売上も変わっていたんだろうなぁ。と思います。
そして、これが商いの原点であって、技でもあった。
なつかしい風景です。
薬缶の修理は、すみません記憶がございません。最近ではすっかりなくなりました。
「インドりんご」は今は流石につくられてないのですが、「紅玉」は加工用に作られてます。
ですが、殆どが工場直行になるようで、小売りにはなかなか出回りません。
アップルパイを作るときのリンゴはこれじゃないとおいしくないんですよね。
いましたね~
鼻をすすった手で団子屋のおんちゃんは「みたらし」だの「あんこ」だのヘラで塗っていました。
傘の修理・ヤカンや鍋の修理もよく玄関に来たものです。
インドりんごは今食べたら酸っぱいでしょうね。
青森に行った時、あるりんご農園の人に聞いたら今は生産していないそうです。
紅玉もこの木一本だけだ!とか言ってました。
たまにお袋が煮てくれたりしますが、煮るのは紅玉などの酸っぱいりんごが良いといってました。
思い起せば昔は色々物売りがいましたね。
唐辛子売りも結構昔からあったのですね。
これも知りませんでした。
言われておったそうです。
独特の抑揚でしたね。
我が幼少の頃には
「‥‥るぅ、いん、あぁ」
としか聞えません。それで
「ザルのリヤカー引きながら、あのおんつぁん、何やってんだべ?」
と思っておったものでした。
「買いんかぁ」の「あぁ」が「ア」とも「オ」ともつかない音だったのも
なつかしい思い出です。
「金魚ぉーえぇー金魚ぉー」
「たぁーけやぁー竿竹ぇー」
「いーし焼きー芋ぉー」
我が研究室が二ツ沢にあった頃、
竿竹売りの声が時折聞えました。
肉声ではなく、拡声器を通してでしたが‥‥‥
それと小生覚えていないのですが、母によれば
小さかった頃、唐辛子売りの後をついて行ったことがあるそうです。