酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

真冬、思い出す・・事!妙な経験。

2011-01-11 10:51:02 | ああ宮城県な話
寒中お見舞い申し上げます

以前ご紹介いたしました「仙台公園」です。もっとも名づけ親は家内でして、欅の木と仙台萩が隣り合わせて植えられていることからこの名を勝手につけました。
その公園(酔漢自宅の真下)の正面入り口にございますのが「蘇秦蠟梅」です。
その蠟梅は花壇の中央に植えられております。そして看板が一つ。
「蘇秦蠟梅の広場」と。

 水は生ず
 菜をとる渚
 煙はうるほす
 梅落つる村

上記は、蘇東坡(そとうは)の詠んだ漢詩を酔漢流に訳したものです。
蘇東坡は、左遷中。自身の故郷である蘇州を懐かしんで詠んだ詩です。その梅というのが写真「蘇秦蠟梅」です。
蠟梅が散り、七草を摘み、春を待つ。
七草の風習は中国から伝わったとされますが、春を味わう素朴な風習として日本にも定着いたしました。

 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ

七草粥を楽しまれた方も多いかと思います。

「春」とは言いますものの、今朝も今年一番の寒さを記録いたしました。「仙台はもっとさむいんだろうな」とふと昔を思い出す酔漢でございます。

 しもやけおててがもうかゆい

童謡「たきび」の一節。酔漢幼稚園時。この歌を聴いたり、歌ったりしますと・・・。
「なんだや、しもやけかゆぐぅてしゃねぇっちゃ!」でした。
相当な「しもやけ持ち」でございました。
気がついた時には、毎年冬になりますと、もう大変です。
先ずは(これは十数年変わらず)左足の小指からしもやけにかかります。次に、左足薬指。最初に左足から来るのでした。その後数日してから右足小指に移ります。
最盛期には、足の小指が足の親指位の太さまで腫れて来ます。
どんなに気をつけても「なるときにはなる!」のでした。
この「どんなに気をつけても・・」ではあるのですが、それは、冬の遊びは欠かせません。その間はなんともないのです。少し、暖かい部屋へ入ると、もうかゆくてしかたがございません。小学校の教室、授業中は集中できずにおりました。
「もうこれは、母から譲られた体質だべ」と諦めて、春の来るのをひたすら待ち続けておりました。
皮膚科には当然行くわけです。処方される飲み薬が「ユベラ」。
これを飲んで、そして「ユベラの軟膏」を患部へ塗る。
「怪獣みてぇな名前だべ。本当に効くのかや」
疑ったら薬は効かないもの?
効いたためしがございません。

五橋中学校1年6組の教室は「保健室の真ん前」(過去にご紹介いたしましたが)たづこ先生へ相談です。
「あんた、これでよく勉強だの体育だのしてられるね」でした。
靴下を二枚重ねにして、上履きは乾いたものに履きかえる。
ですが・・・効果なし。
「もう本当に諦め・・・です」
あのかゆさは経験された方はご存じかと思いますが、「頭へ物凄くいらつくようなどうしようもないかゆさ」なのです。

幼稚園の冬。
塩釜市役所の近くに、鍼灸の治療室がありまして、そこでは「蛭治療」を行っておりました。「重傷のしもやけ患者」であります酔漢は、そこへ連れて行かれました。
これには正直参ったぁぁ!
経験された方は少ないと思いますのでその様子を語りますれば・・。
十畳ほどの畳の部屋へ案内されます。白衣を来たおじいちゃんが一人。
先ずは火鉢のそばの椅子へ座らされて、足を出します。足を温めます。
ふと、後の方には、大きな甕がありまして。(一度覗いたのですが・・驚きました!あの黒くてニュルニュルした生き物がたくさん入っていたのですぅぅぅ!!!)
蛭がその中にウジャッ!と入っているのです。
足が温まった頃、おもむろに、ガラス製のフラスコの小さい奴を持って白衣のおじいちゃんは、その甕の中から蛭を手酌で救って入れます。
ガラスの中では蛭が(生きがいいようでして・・)暴れております。
「んで足さぁこっちゃ出してけらいんね」
死神博士から「手術台へようこそ」と言われているような感覚(まだ、死神博士はテレビに登場しておりません昭和43年です)。
酔漢の両足の甲の部分へそのフラスコを押し付けます。
蛭が足の甲へ噛みついている感覚が確かにあります。両足の甲。
今度は「しもやけのかゆさ」とは別な「かゆさ」との戦いです。
「うわぁっぁぁぁぁ」と心の叫び。
ガラスフラスコの中には何十匹もの蛭が「うじゃっと」といる中で、酔漢の足に食らいつくのはほんの数匹(4~5匹だと記憶しております)。白衣のじいちゃんがガラスのフラスコを足から離して、食いついている様子を眺めます。
無事に?食いついているのを確認して、蛭の上に「ちり紙」をかぶせます。
そして、酔漢はただ黙って座っております。
「早くしてけらいん!」
だんだん、足の甲がかゆいのかちくちくするのか?変な感覚が全身を走ります。
時間はどれくらいでしょうか。白衣のじいちゃんがちり紙をめくって観察します。
蛭が血を吸って太ってくるのが酔漢にも分ります。が、またちり紙をかぶせて、あさっての方へ。
「なんだや!終わりでねぇのすか!」
そしてまたしばらく、「痛痒さ」との戦い。
「んで、そろそろいいすかね」
待ってましたその台詞!
白衣のじいちゃんは、チリ紙を退けると、蛭を手で摘まみます。
足から摘まんだ蛭はたばこの葉が敷き詰められている、皿の上に投げつけられます。
「蛭はたばこの葉で死ぬんだっちゃ」です。
酔漢の足の甲には、蛭の吸った小さな傷が数か所ついております。
白衣のじいちゃんは、別なガラス瓶を取り出すと、その中にマッチに火をつけて入れます。火が消えた瞬間に、そのガラス瓶をさっきまで、蛭が吸っていた足の甲に押し付けます。傷口から血が噴き出して、ガラスの中にたまる仕組みなのでした。
「足の中の悪い血さぁこんなかに入るんだべ」
「こんな解説なんかいらねぇぇ」と酔漢心の叫び。
ですが、この血がガラスに溜まっていく様子は、眺めて退屈はしておりません。
(まったく変な子供でした!)
ガラス瓶の半分まで血がたまりますと、終わりです。
両足の甲に絆創膏を貼られて無事解放です。
足の甲にはまだ蛭が吸いついているような感覚が残されております。
「家まで歩くと、血さぁ止まんねぇからっしゃタクシーで帰っから」と母。
市役所前から北浜まで。「来々軒」の前。
「中華そば、食えっちゃ」
これがなければ、絶対に行かない「蛭治療」なのでした。

さて、効果の程は・・・。
「直りませんでした!」
この「しもうやけのかゆさ」とは、高校受験まで続く苦しみなのです。
二番丁通りを五橋方面へ歩く途中にありました「私立中学、高校の受験日」
室内が奇妙な暖かさでして、足の小指のしもやけが異常に暴れました!
英語の試験の最中。上履きが小指に当たってそれはもう「かゆさ爆発」の酔漢。
とたんに上履きを脱ぎました。
試験監督の先生が、そぞろに酔漢の方へ歩いて来て。
「どうして、上履きを脱ぐんだ」と小声で(入学試験の真っ最中)聞いてきました。
「んだって、足の指のしもやけがかゆぐてぇしゃねぇんだおん」
その先生。不思議そうな顔をして去って行きました。幸い試験は合格でしたが、問題を解くよりも「しもやけの痒さ」が真っ先に浮かぶ酔漢です。
不思議な事に高校も三年の頃には、しもやけが直っておりました。
何もしておりません。「身体の変化がそうさせたのかな?」と推察しますが。
今は何ともありません。もっとも、ここは仙台より遥かに暖かい土地ではありますが。
あれだけ悩んだ持病?ももう忘れております。

故郷の正月、冬。
「蘇東坡」は、その情景を詩にしました。懐かしい情景だったのでしょう。
酔漢も、海苔の香。雪の情景など思い出す事が多々ございます。
ですが、故郷の懐かしい冬の情景と共に、足の小指のしもやけの痒さも、一緒の記憶として蘇ってまいります。
でもですね、しもやけが悪化しようがどうなろうが、「雪合戦」には欠かさず参戦!しておりました。
そういう時に不思議と痒くならない、酔漢の「しもやけ」でございます。

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8 コメント

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うわ~、本当に蛭治療体験されたんですか。 (すず)
2011-01-11 16:22:58
 私は二十歳過ぎてから、しもやけになるようになりました。痛痒さとぱんぱんに腫れた指の苦しさと、季節終わりがけのしわしわになった皮膚のみったくなさは、重病じゃないですけどやっかいものです。

同じくしもやけに悩まされていた保育師の友人から、絶対に症状が楽になると教えられたのが「紫雲膏」という痔のお薬です。これが、確かに塗ると痛痒さが治まるんですよ~。蛭治療よりは、精神的にずいぶんマシだと思います(笑)薬局で買う時に、ちょっとタメライマスケド・・・。
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本年もよろしく (トムくん)
2011-01-11 21:12:01
酔漢さん、旧年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願いします。

さて、ナポレオンもいぼ痔を治すのに、
あそこに蛭を貼り付けていたそうですね。
効果ありましたか。気持ち悪いですね。
こちらは比較的あったかいとこなので、
しもやけにはあまりならなかったですね。

今年もお互いがんばりましょう。
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咲きましたか (丹治)
2011-01-12 10:29:19
もう蝋梅が咲きましたか。
さすがは湘南、暖かですね。
「しおがまさま」でも皇族下乗の立札のところにありますが、
花をつけるのは、まだまだ先でしょう。

小さい頃、手をかじかませて帰ってくると
母親が洗面器にお湯をはってくれたものでした。
そのお湯に手を入れた時の暖かさといったら・・・
何年か前にスキーをふっかつさせましたが、
蔵王温泉まで滑ってきて共同浴場の湯舟に漬った時、
その暖かさを思い出しました。

しもやけについては僕にも思い出があります。
高校生だった頃、足駄をつっかけるために年中素足でした。
踵が割れて血が出たのもさることながら・・・

ある寒~~~~~い冬の朝、
家を出た時には足の爪先が痛かったのですが、
学校に着いた時分には感覚がなくなっていました。
「これは凍傷か?もう春先からは高下駄が履けなくなるんだ」
と思ったのですが・・・
今度はだんだん痒くなって・・・
結局はしもやけだったんですね。

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すず様へ (酔漢です )
2011-01-14 07:40:11
ある日、突然直っておりました。
不思議なものです。
そんな薬があるのですね。
ですが、当時、爬虫類や両生類図鑑を眺めておりましたので、蛭自体は嫌いではなかったのです。
山蛭はすごいです。「なして?」って思うような箇所に吸い付いてきます。
「恐るべし!」です。
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トム様へ (酔漢です )
2011-01-14 07:43:47
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
「気持ち悪い」とは思わなかったのでした。
「面白い生き物がいるなぁ」って。
血を吸って太っていくところは、変に面白い情景でした。(笑)

ナポレオンの話は知りませんでした。
現代医学では、蛭や蛆を使う(遺伝子的に害のないもの)療法が研究されていると聞きました。
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丹治様へ (酔漢です )
2011-01-14 07:51:34
下駄を履いていらっしゃる頃はそんなそぶりを一切見せていらっしゃいませんでした(笑)
そんなご苦労があったのですね。
颯爽と歩いているところしか知りませんでした。
塩竈神社の蠟梅は2月頃でしたっけ。
節分の頃にみた記憶がございます。
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しもやけの話 (六花)
2011-01-20 13:23:00
遅ればせながら本年もよろしくお願いします。
しもやけ話、びっくりです! スゴイ思い出ですね~
うちの70代の母もしもやけ持ちですが、昔の蛭治療知ってましたね~
若い頃はやっぱり授業どころじゃない痒さだったそうで…今も痒くなると必ず雪が降るそうです。
しかし似なくてよかった…(スミマセン)
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六花様へ (酔漢です )
2011-01-30 10:06:33
インターネット検索しましたら・・・
しもやけ=蛭治療というのがありました。
ですが、自身の経験からいたしますれば、本当に効果があるのかなぁ・・。が本音です。

そうそう、痒さで天候が分かるんですよ。
本当に・・
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