酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ああむじょう って何? 小学校の頃

2007-05-02 11:52:22 | 塩竈小学校の頃の話
 これまで、酔漢自身の小学校の頃の話を書いてきましたが、またまたエツジ(塩竃市立第二小学校時代、5,6年の担任)の登場です。
 一学期も終わりに近づき、夏休みの宿題がそろそろ話題になり始めた頃、国語の授業中、「大造じいさんとがん」とかやっていた頃です。

「夏休みも6年生は、勉強もちゃんとしねくてだめだど。去年は俺も出さなかったけんど、今年は宿題に理科の自由研究と感想文は必ず出すこと」
「えーーーーっつ」と教室中ブーイングでした。
さとう君(ブログで最初に紹介したマンガ家)など
「先生、長編マンガでだめすか?」と質問してきましたが、「馬鹿。(一括!)、おめえらどうせ本なんて読まねんだべ、書く事も大事だけんんど、まずは本を読んでもらいてぇのっしゃ。いいかさとう、マンガはだめだど。おめぇあたりはトイレット博士の感想文なんか書きそうだからなや」
「んでも、先生、何読んだらいいのっしゃ?」誰からともなく、こんな質問が飛び出しました。
「図書館さぁいぐど、推薦図書っちゅうもんの紹介コーナーあっから。たしか オイノコは夜明けにほえる でねかったかな」
「先生、ツチノコの間違いでねぇのすか」しんどう君がちゃかしました。
「なんだ、しんどうまじめに考えてねぇぐてだめでねぇか。俺おめぇら位の時、ああむじょう 読んで感動したんだど」
「先生なにっしゃ? ああむじょう って?」
「そのぐれぇ自分で調べろ」
そしてエツジは、教室を出て行きました。
放課後は「ああむじょう」の話題でもちきりでした。

「ああむじょうってなんだや?おめぇしってっか?」とゆうじ君。
「しゃねぇって、本好きなもとこさぁ聞いてみっぺ」
「もとこ しってっか?」
「私もしらない」
と、そこに、ふだんあまり僕らの会話に入ってこないあきら君がおもむろに口を開きました。
「おにぃちゃんが、読んでたみたいなんだけんど。。。」
「おい、みんな、あきら知ってるみたいだど」
みんなは、あきら君の周りに集まりました。
「プロレスのはなしだべ」
「プロレス?」「んだ、ジョーっていうプロレスラーだべ」
「ああむってなんだや?」
「アーム。腕のことだ」こうき君(エツジの話に登場した学級委員)が言いました
「んでアーム・ジョーって事か」
なぜか、みんな納得していました。
「ああむじょうって アームジョー ってなるほどなや。んでどんな話っしゃ?」
みんなあきら君に注目しました。
「黒人最初のプロレスラーだったらしく、超人的な強さだったんだとや。今の馬場よりすごかったんだねぇかって言われてるみたいだと。んでも人種差別で白人レスラーにわざと負けなぐてならねぇ試合ばかり続くんで、それに反抗して、反則しない正義のプロレスラーになっていったんだど」
「タイガーマスクみてぇだな」誰かが言いました。みんな以外と真剣に聞いてます。「アメリカの黒人街の人種差別撤廃に生涯をささげたんだどや」
「スポーツ好きなエツジらしいなや」
「んだ。んだ。」
本当に、本当に、酔漢も含めてみんな納得していたのです。
中学校に入り、「アームジョーではなく ああ無情 だと言う事は分かりました」
(おそい!って 言わないで下さい)
みんなはどこでこの誤った知識を修正したのでしょうか。

このブログの題名を最初に使った 丹治道彦さん(中学校時代の1年先輩。現在東北工業大学助教授)の部屋を大学時代に訪ねたところ一冊のマンガ本を紹介されました。
「酔漢、これおもしろいぞ」
紹介されたのは「泉 昌之氏 の すきやき」 という本でした。この中に「アームジョー」という「ああ無情」のパロディーがマンガになっておりました。内容はプロレスではなくて、腕相撲の世界を制覇するというものだったと記憶しています。が、内容はあきら君が話してくれたものとほぼ同じようなものでした。
私は、当時を思い出しながら笑い転げておりました。

小学校の頃、この他にも「華麗な誤解?」があります。少しの間紹介させていただきます。

 尚、「黒人」という言葉は不適切だとは存じますが、当時の小学生にそこまでの認識はありませんでした。当時の会話を再現したく使わせていただきました。ご理解の程、何卒お願い申し上げます。

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