昨夜はすみだトリフォニーホールでスペインのピアニスト、ドランテのスーパー・ピアノ・フラメンコ「
ドランテ ピアノ・ソロ・コンサート」を聴いてきた。前回の来日は2008年の2月。ボクは、その時の二夜に渡るステージを鑑賞しているのだけど、すっかり忘れていたらしい(
08-02-18・
08-02-20)。折からの咳がなんとか治まり、鑑賞に耐えうるカラダになったものの、まだ完治ではない。それに、今回はトリフォニーホールのご厚意で同伴1名が可能だという。というからには、迷うことなくいつも笑顔が素敵なFさんをさそった。そして、ボクの隣りにいるのである。会場に入るや、マスクを付け、咳対策を施す。
いつ突発的な咳が出るか、そしてそれを抑えるために息が体内で逆流しカラダがもがきのたうちまわったらどういしよう、というどうにもならん緊張感のもとでステージは始まった。今回、急遽ソロから彼の従兄弟にあたるパーカッション奏者、テテ・ペーニャが参加する形となった。ピアノと打楽器にマイクは無い。完全なアコースティック空間。ややもすると誇張されての打楽器が当たり前だと思えば、昨夜のその音は一瞬控えめな響きでありながら繊細な変化をピアノと同調していた。そんな実に新鮮なステージはオープニングから完璧であろうと思われる演奏が隙なく展開していく。咳を抑えようとする緊張感が言い意味でそこに反応したのだろうか。カラダがピクンとなったのだ。
ピアノによるフラメンコなのか、フラメンコのピアノなのか、そんなフレーム聴きよりもドランテの類まれな巧みさと作曲の表情が全編に渡って魅了し続ける。ジャズ的要素も随所に見て取れる。一般的なフラメンコのエネルギッシュで情熱的な高揚感とは隔たりがあるとも映る。それでも、何か彼が育んだなかにある日常感のもとに音が生まれてくるように思えてならない。それは、形式的な手法とは何か違うであろう彼の生に根ざした暖かさにあるのではないだろうか。普段から惰性や枠のなかで物事、音楽を感じてしまうところを何かしらリセットになったのかもしれない。とても素晴らしいコンサートだった。