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taroのさすらい日記

日々思ったこと、見たこと、感じたこと、そして写真と音楽のことなど

実録・幻像村物語 (3)

2006-04-24 08:38:31 | film development
 
 リールへの巻き込みに失敗しつつも、撮り歩くことはコンスタントに持続していたらしい。今思うと、どこにそんな無謀なまでの気持ちがあったのだろうか。その頃というのは、都内にある銭湯の煙突を撮ることだった。本当に、何にも知らずにいたから、それは今でもあまり変わらないのだけれど、偶然手にした東京都公衆浴場組合が制作した都内の銭湯マップを元にして撮り歩いたものだった。この地図帳は大変重宝した。まだ、ネット環境もなかったから、ある意味では余計なモノが入り込まない分、この地図帳とより詳しい地図を照らし合わせて、ルーティングを組み立てたものだった。

 この一連の銭湯の煙突は、当然のことながら標準ネガに徹した。今でこそ、そのように書けるけれど、その頃はメーカー推奨の時間に沿っての現像だった。というよりも、自分にとっての標準ネガを作ることが基本、なんてモノの本に書かれてあってもそれを理解していたかというと、それは怪しい。第一、プリントすらまともに焼ける訳でもなく、自分以外の第三者に自家プリントを見せることすら無かったからだ。つまり、分からないまでも、巻き込みの失敗は続いていたけれど、自分のなかでそれなりに解決しているのだろうかという不安。そして、その解決というか結果とは、出来たネガであり、焼いたプリントのこと。それが、間違っているのかいないのか、という客観的は判断は自分だけでは当然ながら見極めができない。その機会が来るのは、実は当分先になるのである。

 フィルムもいろいろと使ったように思う。その特性を知りたいから、なんてレベルではなく、単にあれもこれもと使ってみたいだけだった。だけれど、巻き込みは依然として失敗ばかり。それが次第に、フィルムの現像不良? もしくは未現像部分が少なくなっていった。それこそ、最初の頃はボロボロの状態。それも、最後の水洗を終えてドライウェルから引き上げて、クリップに吊す時にその全貌が現れる時のショック。こんな有様の連続から抜け出すまで、その原因を考えることも、調べようともせず、ひたすら回数をこなしたというものだった。

 そして、巻き込みの失敗から抜け出す日がやってきた。まさに、ある日突然に出来たというものだった。スルッと入り込んだ、とでもいえる感触。今でも忘れた頃に手こずることはあるけれど、この日をもって巻き込みはスルスルといけることになった。それにしても、こんなにも手こずった方はいるのだろうか。ほんと、笑い話でしかないだろう。でも、本人はいたってマジメな訳だ。そんな、良くも悪くも、いや悪い見本のような自家発電的仕方を経たからこそ、やがてやってくる幻像村にも同じような、いやそれ以上かもしれない道程を踏むことになるのであった。(以下、不定期に続く)
 *実録・幻像村物語 (1) (2)

実録・幻像村物語 (2)

2006-04-13 07:45:52 | film development
 
 思いがけないカタチで二個目のタンクを手にしたこと、それはあまりにも嬉しかった。たしかに間違いなく。だけれど、そこからさらに撮る意欲が増したとか、気が楽になった、というようなことはなかった。
 
 ボクが身に付けた自家現像のことを時系列に書くことは簡単だ。ネガファイルを古い順に見ていけば、一目瞭然だからだ。そこには、現像液名、希釈なのか原液か。原液の場合は回数も記入してある。もっとも、原液で行ったのは数えるくらいだろう。そして、時間と温度。続いて、日付と写真機名が書かれている。
 だけど、二個目のタンクが登場した時期は分からない。初めのうちは、量販店に出していた。無謀にも白黒の同時プリントみたいなカタチだったはずだ。どこに、そんな金があったのだろうか。それから、ネガのみになって、そのスリーブを見てこれはと思うカットをカビネサイズに焼いて貰うというスタイルになった。次第に撮る量が増えれば、そんな外注のカタチが無駄に思えてくる。そんななか、ネガに傷が付けられたことがあった。また、ノイズが入ったプリントも何度かあって、それなら全部自分でやろうじゃないか、と思い始めたのだ。でも、自家現像、そしてプリントはまだまだ遠い存在だった。その頃、よく読んでいた写真雑誌に、白黒講座のようなものがあって、フィルム現像は簡単で場所もとらないとあって、即座に道具を揃えたと記憶している。
 そして、自家現像にあたって参考にした本はサンダー平山の「モノクロプリント」だった。手元にあるものの、今ちょっと見当たらない。今思えば、分かりやすさでは充分であったと思う。道具を買うまえに、この本を買ったのか、それとも道具を買ってからなのかは分からない。

 最初の2本が偶然にも問題なく巻き込みが出来て、しかも無難なネガが出来たことに気をよくしたのだろうか。有頂天になったのか、簡単じゃん、と思ったのか。実は、そこからが大変だった。理想とするネガを作るために試行錯誤した、のではなく、ボクの場合リールへの巻き込みにえらく時間がかかった。多少の慣れが必要とは書いてあるけれど、慣れるまで練習をする、くらいなら駄目もとでいいから撮ったフィルムを本番同様に巻き巻きして、シャカシャカと撹拌したのだ。マスター出来るまで何十本と無駄になった、のではなく完璧に出来るまで百単位のフィルムが消費されたのだった。無駄と書いたけれど、丸ごと一本分駄目になったことはないから、失敗したネガもすべてファイルされている。簡単なコツはあったのでしょう。それが掴めなかっただけだったのだ。
 そういえば、人によってはフィルム現像はリスクが大きいから、最初はプリントから、と言う言葉を思い出した。ボクの場合は、本来的じゃなく巻き巻きで、それを体験したのかも知れない。でも、その後に忍び寄る幻像村に比べたら、たいしたことじゃない。
(以下、不定期に続く)
 *実録・幻像村物語 (1) (3)

実録・幻像村物語 (1)

2006-04-12 07:40:01 | film development

~ココロに宿るマダラ模様~

 いつのころから始まったのか、ステンレスの2本用タンクを3分差で2個同時に現像するやりかた。それは、言うまでもなく手元にもう一つのタンクが揃ってからだ。最初から2本使いではなかった。たしか、分厚い写真雑誌を立ち読みした時。白黒の何かしらの記事があって、そこに多分良く知られた写真を撮る方の談話に、そのようなやり方の記述あったからだと思う。誰かに聞いて教わることなく、なにもかも物の本から身に付けてきた事の証しでもあろう。そして、思い出せないくらいの昔。とは大袈裟だけれど、ボクが写真を始めたのは1997年秋だ。やっぱり、つい最近のこと、という気分はまだまだ強い。初めから、撮るならモノクロという漠然とした気持ちだけはあった。
 
 そのころ、毎週のようにあった近所のフリーマーケット巡り。と言っても、駒沢公園と三宿にある世田谷公園の二カ所だけれど。規模の大小こそあれ、ほんとに家庭にある不要品が並ぶ店ばかりで、当然雰囲気もいい。気合いが入れば、午前中に駒沢公園に見切りをつけ、歩いて三宿へ向かった時もあった。懐かしい。あっ、最初のころは自転車だったかも。
 たしか、初夏のころだったのか。朝から駒沢公園でのフリマへ出かけていた。その出向く回数に比べ、獲物というか収穫は本当に少ない。空振りばかりとも。時間帯のことやタイミングもあるけれど、むしろボクの捜し物が希少品種なだけなのかもしれない。だけど、先に書いたように雰囲気がいいから、ボクの好みでなくとも充分に楽しめるのだ。
 ボクは決まって、会場を何度も何度も回る。売り物を、それは良い物とか掘り出し物ほど小出しにする店があれば、遅れて開店する店もあるからだ。微かな記憶を辿れば、相当混雑していたと思う。そんななか、何周目かのとき、ごく普通の日曜雑貨ばかりの店だったと思うのだけれど、そこにポツンと現像タンクがあった。ステンレスだから、よく目立った。2本用のものだ。
 
 もう一個欲しいと以前より思っていたものの、ヨドバシカメラで買うならその分フィルムを買いたいと、いつも直前になって思いとどまり、2本用一個で充分だよな、と自分に言い聞かせていたのだった。効率のことなんて眼中になかったというか、知らなかっただけ。後に、何かしらの写真雑誌をいつものように立ち読みしていたら、どなたかの暗室が映っていて、膨大なリールの山と幾種類ものタンクが並んでいて唖然となった。その辺から、そんな仕方があるんだと思い始めたものだった。それに、何と言っても一度に沢山撮ることはないから。

 早速、店主に聞けば500円という。即座に買った。その時、リールが一緒だったかは、何故か記憶にない。恐らく、そのお子さんが使用していたものだろう。写真学校へ通ったのだろうか。それとも、高校の時に熱中したとか。そんな風に思ったものだった。そうして、一度に4本のフィルムが現像できる環境が揃ったのだ。嬉しかった。
 (不定期に続く)
 *実録・幻像村物語 (2) (3)