
リールへの巻き込みに失敗しつつも、撮り歩くことはコンスタントに持続していたらしい。今思うと、どこにそんな無謀なまでの気持ちがあったのだろうか。その頃というのは、都内にある銭湯の煙突を撮ることだった。本当に、何にも知らずにいたから、それは今でもあまり変わらないのだけれど、偶然手にした東京都公衆浴場組合が制作した都内の銭湯マップを元にして撮り歩いたものだった。この地図帳は大変重宝した。まだ、ネット環境もなかったから、ある意味では余計なモノが入り込まない分、この地図帳とより詳しい地図を照らし合わせて、ルーティングを組み立てたものだった。
この一連の銭湯の煙突は、当然のことながら標準ネガに徹した。今でこそ、そのように書けるけれど、その頃はメーカー推奨の時間に沿っての現像だった。というよりも、自分にとっての標準ネガを作ることが基本、なんてモノの本に書かれてあってもそれを理解していたかというと、それは怪しい。第一、プリントすらまともに焼ける訳でもなく、自分以外の第三者に自家プリントを見せることすら無かったからだ。つまり、分からないまでも、巻き込みの失敗は続いていたけれど、自分のなかでそれなりに解決しているのだろうかという不安。そして、その解決というか結果とは、出来たネガであり、焼いたプリントのこと。それが、間違っているのかいないのか、という客観的は判断は自分だけでは当然ながら見極めができない。その機会が来るのは、実は当分先になるのである。
フィルムもいろいろと使ったように思う。その特性を知りたいから、なんてレベルではなく、単にあれもこれもと使ってみたいだけだった。だけれど、巻き込みは依然として失敗ばかり。それが次第に、フィルムの現像不良? もしくは未現像部分が少なくなっていった。それこそ、最初の頃はボロボロの状態。それも、最後の水洗を終えてドライウェルから引き上げて、クリップに吊す時にその全貌が現れる時のショック。こんな有様の連続から抜け出すまで、その原因を考えることも、調べようともせず、ひたすら回数をこなしたというものだった。
そして、巻き込みの失敗から抜け出す日がやってきた。まさに、ある日突然に出来たというものだった。スルッと入り込んだ、とでもいえる感触。今でも忘れた頃に手こずることはあるけれど、この日をもって巻き込みはスルスルといけることになった。それにしても、こんなにも手こずった方はいるのだろうか。ほんと、笑い話でしかないだろう。でも、本人はいたってマジメな訳だ。そんな、良くも悪くも、いや悪い見本のような自家発電的仕方を経たからこそ、やがてやってくる幻像村にも同じような、いやそれ以上かもしれない道程を踏むことになるのであった。(以下、不定期に続く)
*実録・幻像村物語 (1) (2)