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taroのさすらい日記

日々思ったこと、見たこと、感じたこと、そして写真と音楽のことなど

体感

2012-02-21 07:12:49 | music

 先の18、19日に行われたレイチェル・ポッジャー(vln)による「トリフォニーホール・バッハ・フェスティバル2012」は二日間、7ステージに渡る豪華なものであった。

18日
 *コンサート1(11時~)
  無伴奏ヴィオリン・ソナタ第一番
  無伴奏チェロ組曲第三番(アリソン・マクギリヴレイ)
  無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第一番

 *コンサート2(13時30分~)
  ゴルトベルク変奏曲 ト長調 ディエゴ・アレス(チェンバロ)

 *コンサート3(15時30~)
  無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第二番
  無伴奏チェロ組曲第一番(アリソン・マクギリヴレイ)
  無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第二番

 *コンサート4(18時30分~)
  ヴァイオリン協奏曲BWV1041
  チェンバロ協奏曲BWV1054
  ヴァイオリン協奏曲BWV1055
   ブレコン・バロック・アンサンブル
    ・アリソン・マクギリヴレイ[チェロ]
    ・ボヤン・チチッチ[ヴァイオリン]
    ・ヨハネス・プラムソラー[ヴァイオリン]
    ・ジェーン・ロジャース[ヴィオラ]
    ・ヤン・スペンサー[ヴィオローネ]
    ・マルチン・スフィオントケヴィッチ[チェンバロ]

19日
 *コンサート5(11時~)
  無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第三番
    無伴奏チェロ組曲第二番(アリソン・マクギリヴレイ)
    無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第三番

 *コンサート6(13時30分~)
ゴルトベルク変奏曲 ト長調 ディエゴ・アレス(チェンバロ)

*コンサート7(15時30分~)
ヴァイオリン協奏曲BWV1056
   ヴァイオリン協奏曲BWV1053
   テレマン/3つのヴァイオリンのための協奏曲
   テレマン/ヴァイオリン協奏曲BWV1042
     ブレコン・バロック・アンサンブル

 壮観である。連日のモーニング・コンサート。それが、小気味よいテンポよろしく、清々しい気持ちで朝からタップリと堪能してしまう。セカンド・ステージに小ホールでのチェンバロによる「ゴルトベルグ変奏曲」というのがこれまた宜しい。ボクは、チェンバロの生演奏を初めて聴いたのだけど、小ホールという抜群の空間のなかで響く、それはもしかしたらサロン的な音楽の場を連想させつつ、若き奏者、ディエゴの溌剌とした演奏がとても印象的だった。18日のステージでは、あろうことかミスが出てしまう。そんな瞬間を目の当たりにし、アンコールではその時の説明を交えて再演するのであった。二日目は幾分テンポを早くしたのだろうか、これまた違う印象が浮き彫りになる。
 ポッジャーのヴァイオリンは闊達にして、バッハの魅力をとても「分かりやすく」という表現が正しいのか分からないけれど、そんなスタイルがあったと思う。ステージ毎にバッハの世界へ身を委ねるとき、演奏の始まりと同時にその瞬間から終わりのない演奏といった響きが脳内を駆け巡る。この不思議な体感がとても快感なのだ。それがCDの場合、演奏の作品の終わりは分かっている。だけど、このステージを聴いていると作品の持つ永遠性のようなものを感じるのであった。
 ボクは、18日のステージ4だけ聴けなかった。それでも、この企画が音楽の素晴らしさと楽しさを伝えるだけでなく、「バッハ」を通して体感できるところ、そしてとても魅力的で得難いものであったということに尽きると思う。

ウニオン通い

2012-02-16 07:09:13 | music

 ウニオン通いはいつものペースなのだけど、最近は買うその気が希薄というか、そのなんというのか、先に触れたCDの棚卸しをいまだせずにいるから、また一枚二枚と買うことに対して、寸前で「止まれ、待て、早まるな」ともう一人のオレ様がこころのなかで叫ぶのである。もっとも、それに加えノーマネーということも実は大きい。そんなに余裕があるのかといえば、それはナッシング。それにそれに何も無理に「買い足す」必要はないことももう一人のオレ様に言い聞かせる。3日連続のウニオン通いとなっても、それにいまから12時間後、無性にウニオンに行ってみたい衝動にかられたとしても、多分即座に覚めてしまうだろうな。そんな今日この頃なのだ。

take6

2012-02-15 07:11:04 | music

 昨日は雨でなければ竹橋の近美で開催されているPollock展を観て、夜にはすみだトリフォニーホールでTake6のステージ「TAKE 6 St. Valentine's day Special」を観る予定であった。でも、折からの寒い雨である。近美行きは諦めた。でも、冷静になれば昨日のような天気だからこそ、しかも平日だったのだからこそ竹橋へ行くべきだったのだ。空いていていったりと鑑賞できたはずなのだった。
 すみだトリフォニーホール、エントランスに近づくと、そこはは大勢の観客で埋まっていた。チケットを受け取り客席に座るとほぼ満員。1部が始まるやいなやスタンディングな「クラブ」と化するほど一気に観客と一体になってヒートアップ。グラミー賞を8回も受賞している世界最高のア・カペラ・グループのヴォイス・パフォーマンスはまさにヴォーカルによる即興的な演奏であり、実にクリエイティブでパワフル。そして美しい響き。本物の凄み、音楽の楽しみ、彼らの持つ魅力と楽しさが絶対的なものであることがギンギンに伝わる。2部は新日本フィルとの共演である。コーラスとヴォーカルにシフトした構成こそ、ア・カペラのエンタテイメントがたっぷりと堪能できた華麗なステージ。選曲がこれまた素晴らしく、凝縮されたステージが実に心地いい。ラストはWhitney Houstonへ捧げるエンディングへと感動の連続となった素敵なステージだった。

ロシア・ピアニズムの継承者たち~ラリッサ・デードワ

2012-02-12 07:27:28 | music

 昨日はすみだトリフォニーホールで行われた「ロシア・ピアニズムの継承者たち」シリーズ第4回、ラリッサ・デードワを聴いてきた。そして、この日はジローさんをお誘いしてのコンサート鑑賞でもあった。演目はドビッシー「前奏曲集第1巻、前奏曲集第2巻」ということだからなのか空席が目立つようでもあった。その因果関係はともかく、当シリーズにある独自な企画の高さを踏まえれば実に貴重なステージであったと思う。
 ロシアとフランス生まれのドビッシーの関係、と書くとちょっと抵抗があるように映るけれど、当日のパンフに書かれてる詳細な解説を読むと作曲家と演奏者の関係が今日もなお結びついていることが理解できる。しかも、当作品が20世紀初頭に書かれたことと、その小品からなる作品の表情がとてもモダンな響きを有し、それが印象主義音楽と形容されることがよく伝わった演奏だった。さらに、当時の(西洋)絵画とも連想するかのような響きがデードワの繊細にして華麗なタッチとともに脳内を心地よく刺激する。それは、なんというのかステージというフレームのなか演奏を通してピアニストが作品を描くという印象でもあった。この「淡い」体感こそ得難く忘れられないステージとなった。

棚卸し

2012-02-08 07:11:41 | music

 にっぱち、だからでもないのだけど、これまで買い求めてきたCDの棚卸しをしよう。もとよりコレクション的買い方はしていないので、その時その時聴きたい作品を手にしてきたつもりなのだ。さらに、巷で使われるどことは言わないけれど「激レア盤」みたいなのが毎日のように溢れているのだから、何も急ぐことはなく、そんなレア盤に限らずいつでも手に入ると思えば随分と気が楽になるというもの。
 つまり、オレ様の場合、棚卸しをすることで過去1年間に一度も聴いてない作品は同時に手放すこと。何かしらの「嗚呼、これ珍しいんだよね~」とか「あっ、これは誰それが参加してるから持っておこう」とか、誰もが唸らせるコルトレーンのインパルス盤はやはり持ってないと駄目なんだよな~、とか、なかには、もう少し寝かせておけば高く売れるかも、なんていう盤も5枚くらいあるのかもしれない。それらは一切保持する必要はないのだ。たとえば、コルトレーンならいつでもウニオンで手にすることができる。
 現在何枚持っているのか分からない。多ければエライということでもない。仮に1000枚あったところで中身が濃いとは言い切れない。そこを半分の500枚にしたところで、一日一作品を聴いても365枚でしかない。残りの135枚を引き続き聴こうとすると同時に、その500枚が増え、700枚くらいになって1年で聴かなくなる作品が増えるだけのこと。えっ、買うペースを減らす? それもあるかもしれないけど、そこはやはり一枚でも多く聴きたいという衝動が強い。それでも、つつましく(せこく)せっせと安い盤を求めているだけのこと。まぁ、そんなこんなで半期に一度のリセットが必要なんだということ。

2012-02-03 07:13:24 | music

 つい先日まで外に一歩出れば漆黒の暗闇だった18時ちょっと前。それがいつのまにほんの少し明るさを残す極寒の昨日。金縛り、じゃなくて娑婆に出るじゃなくて、なんというか心身ともに開放、解き放たれるとき、そっと取り出したiPhone4のバッテリーが空になっていたときのショボ~ン感。もちろん、オレ様のばあい、メールを見ることではなく、ネットを見ることでもない。iPodで「音楽」を聴くことであり、浸ることである。それが奪われたときの気持ち、分かる方は多分に多くいることでせよう。故障? いやいやそんなはずはないと疑わず、帰宅するまでの間だ我慢すればいいだけのこと。そんな時に限って、乗り合わせた電車で久々にでかい音漏れ中の若いアンちゃんとかち合う。イラッ! という視線をみんなが投げかける。しばしの音楽聴けない苦痛から開放され、いざ充電しようとしたときほんとうに壊れていた、というオチではなく、多分オフにするのを忘れていたのだろう。その状態で電波立たない空間に数時間置いたからなのだと。

お詫び

2011-11-02 06:33:56 | music

 一昨日あったすみだトリフォニーホールでのアルド・チッコリーニのリサイタル。ステージの終盤、このステージが忘れられない感動のものと誰もが感情高ぶり興奮している頂点の20時45分、ケータイのアラームを鳴らしてしまったのは私です。ほんとうに申し訳ありません。アンテナが立たないからと電源を切らなかったことがすべてでありました。そこに平日20時45分にアラームが鳴ることをすっかり忘れていたのです。重ねてお詫び申し上げます。ほんとうに御免なさい。

ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ 第一夜

2011-10-29 10:18:25 | music

 一昨日はピアノのアルド・チッコリーニ、「ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ 第一夜」をすみだトリフォニーホールで聴いてきた。昨年3月に続く当ホールでのコンサートだ。トーマス・カルプ指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団による第一夜はモーツァルトのピアノ・コンチェルト第20番と23番である。 ホールへ向かうなか、ふと振り返れば3月の大震災以来生活のリズムにクラシックを聴くことがポツンと途絶えた感があることに気付く。以前は数ヶ月のサイクルでジャズ~ロック~クラシックとカラダに聴きたいバイオリズムが宿っていたはず。もちろんベースはジャズなのだけど、それすら薄くなってるなと感じてる始末だ。だから、脱線するけど、当夜のステージで何かしら契機になるとかリフレッシュが出来ればと思ったのだけど、それが音が入ってくるのに思考はステージとはまったく関係ない事ばかり。それはステージが退屈だったからではなく、ステージとは相反する思考が常にあったとしても、それを誘発する何かがあったと思う。おまけに当日は何かとテンパっていたのだ。
 僕の数少ないモーツァルト体験にあって、これまでややもすると敬遠する傾向があった。「好み」と言えるほど識ってる訳ではなく、体質的な好みから外れるのだった。ステージとは関係ない物事を考えてるなか、チッコリーニのしなやかなタッチ、そしてオーケストラの抑制された響きからモーツァルトの旋律が流れ、これまでになかった体感を僕に響かせてくれた。それは、これこそがモーツァルトの核心なのかと。さらに、普段の興奮する、とは違う音楽の酔いだったのだ。

カタログ化

2011-10-03 06:53:01 | music
 
 ピンクフロイドのリマスター輸入盤はまだ全部が入荷していないらしいことをシブヤのウニオンで知る。そうだったのか。アマゾンでもまだリストアップされてないから一体どうしたんだろう、と不思議に思っていたのだ。それならゆっくりと揃えることが出来るな。一時は相応の出費を覚悟していたからこの展開は吉報である。それにしても、これまでのピンクフロイドほどのビックネームに対する作品のカタログ化の不当な扱いは無いだろう。今回のリマスターでもって末永く店頭に並ぶことを強く願う。