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【霊学的イエス論(26)】イエスは「失敗」した?

2010-11-12 00:13:30 | 高森光季>イエス論・キリスト教論
 どうも予期した以上に延々としたものになってしまった。そろそろこのあたりで締めようと思う。

 ものすごく荒っぽいまとめ方をすると、一次イエス(ガリラヤのイエス)は、治病と説教を通して、「神の秩序」が地上に拡がることを願った。そして二次イエスは、刑死したのち復活することで、生命は死で終わりではないことを示した。これは分裂した主題だが、前者の「現世的価値を超えた神の秩序がある」ということを示すためには、「死は終わりではない」ということを示す後者の行為は意味があった。
 これはあらゆる宗教が直面する難題である。宗教は、現世を超えた世界・価値が実在することを言い立ててきた。だがそれを根拠づけることは非常に困難なことである。イエスは体当たりでそれを突破しようとした。

 しかし、あえて言えば、「イエスは失敗した」。
 神の国は来なかった。復活は別の意味に歪められた。
 人類を物質・肉体への従属から解放するための叡智は、ほとんど伝えられなかった。

 確かに、イエスの復活がもたらした「救済(死後生)への希望」は、ごく初期のキリスト教において、極貧と抑圧にあえぐ人々を救ったかもしれない。いくばくかの人々の間では、イエスの「神の国」はかりそめであれ実現した。そう思いたい。
 しかしじきにローマ国教となったキリスト教は、イエスの示したことなどほとんど関係ない、「罪の脅しと赦しの権力化」という、稚拙な宗教となった。初期の弟子たちが掲げた「霊的治療や聖霊の降臨現象」も、どこかへ消えてしまった。

 人の人生を評価するなどということは傲慢なことだ。それは重々わかっている。そんなことは人間にはわかるものではない。それぞれの魂にはそれぞれの課題があり、道があり、それにどう対応できたのかは、当人の深い魂や守護霊のみが知るところである。
 それでも、やはり「イエスは失敗した」という思いはぬぐえない。
 これまで見てきたように、イエスは多様で豊かなな人間性を発揮しつつ、「この世に来たるべき神の国」=高度な霊的・道徳的秩序の意義を説いた。あの激越な宗教批判、現世批判、そして厳しい道徳的要求は、彼自身が「神の国」を知り、それを生きていたからこそできたものだった。
 だが、それはまったく伝わらなかった。おそらく悲しいほどに。

 そもそも、弟子たちのレベルが余りに低かった。「12弟子」というのは創作だとしても、シモン・ペテロを始めとして、イエスに付き従い、自らの手で治病も行なった弟子たちはいた。マルコ福音書は弟子批判の色彩が強く、その記述はいささか割り引きされなければならないにしても、彼らがイエスの思想・叡智を1割ほども理解したとは思えない。
 使徒行伝のペテロにしてもそうである。ルカという書き手の問題を割り引きしても、ペテロはイエスの思想をほとんど何も受け継いでいないように見受けられる。確かに病気治しはできたかもしれないし、清貧の勧めや信者間の相互奉仕などを説いたことはあっても、イエスの説教の引用などはまったくないのである。
 伝統的キリスト教徒は、ヨハネ福音書は「イエスが最も愛した弟子」ヨハネによって書かれたと信じているが、現代の研究によれば、ヨハネ福音書の成立年代はかなり遅く、こうした説はほぼ否定されている。また、もし「愛弟子ヨハネ」の口述なり回顧録なりを一部含んでいたとしても、その思想はイエスのものとは大きく異なっている。いずれにしてもヨハネ=優秀な弟子と考えることはできない。
 パウロは、イエスの弟子ではない。彼はイエスの信者を弾圧する立場だったが、「復活したイエス」と出会う神秘体験によって改心したと主張している。彼はペテロ以外のいわゆる「弟子」たちと深く交流したわけでもなく、イエス言行録=福音書も知らない。パウロ書簡とされているものに、イエスの言葉はまったく出てこない(伝承は2つほどあるが)。
 パウロの問題はあまり触れたくない。まあ、「キリスト教はパウロ教」と揶揄されるように、イエスの思想をチャラにしてキリスト教を作り上げた張本人(の一人)である。こういうことを言うと気を悪くする人は多いだろうけれども、もし「霊となったイエス」が本当に彼を指名・召命したのだとしたら、私はそれもイエスの大失敗ではないかと思う。

 スピリチュアリズムの霊信のいくつかでは、「イエスの説くところは時代の霊性レベルとはあまりに掛け離れていたため、ほとんど理解されず、残りもしなかった」と述べているが、それはその通りだろう。ただ、いくら「時代のレベルと乖離していた」にしても、もう少し方法はあったのではないか。弟子ももう少し優れた人材を選ぶとか(アリマタヤのヨセフとかニコデモといったエルサレム知識人がいたようだが、役に立ったわけではなさそうである)、「神の国」を理解・感得するような具体的な方法を残しておくとか。
 「神の国」のありようについても、人間の死後の宿命についても、神の国にふさわしい魂になるための方法についても、イエスが語ったことはあまりに乏しい。固定化された言葉は誤解を生み堕落を招くからそれを避けたとも解釈できないではないが、何も残さず、パウロらの教義が広まるよりははるかにましだったろうに。

 イエスは性急すぎたのかもしれない。何せ長くて3年ほどの公的活動である。あれだけの内容を、その期間で現世に示すことは無理であろう。イエスの致命的欠点は、短気であった。この連載の前の方で、「イエスの発言や活動を、若気の理想主義と受け取る人もいるが、そんな老成を気取った見方を私は好まない」と書いたが、どうもそれは撤回した方がいいかもしれない。
 ガリラヤのイエス(つまり「一次イエス」)のまま、あと20年でも活動を続け、優れた後継者や言葉を残していったら、もしかしたらまったく違った展開になっていたかもしれない。イエス個人の問題だけではなく、人類史の問題として。
 比較するのも何だが、500年も前に生きたブッダは、もっと具体的な教え(哲学)を残したし、救いに近づくための修行法を残した。宗教の始源の地であり、霊性も高かったインド文明と、大変動期の辺境パレスチナとでは、レベルが違うと言えばそれまでだが、残した財宝という点では、イエスはブッダにはるかに及ばないように思われる。

 イエスの刑死と復活は、キリスト教を生み出す源泉となった。それによって、「より普遍的な一神教」や「底辺庶民にも開かれた永遠の生命への予感」はユーラシア西部へ広まった。それは確かにそうかもしれない。それはある一定の時代、ある一定の地域にとって、霊的栄養となったかもしれない。
 しかし、イエスの意図したこと――「神の国を来たらせること」=人類の霊化は、失敗した。2000年間、キリスト教は、人類の霊化にとって促進よりも障害となった。ローマ帝国の国教となりこの世を制圧したキリスト教は、「復活→最後の審判」「神の子の刑死→贖罪の子羊」をベースにした「罪の赦し」の教義を掲げ、霊的な認識を排除し続けた。

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 かつてフランスの思想家ロラン・バルトが日本を「中空の帝国」というような表現をしたことがある。首都のど真ん中に緑の自然に満ちた皇居があるように、日本の中心にある「天皇」は、それ自体固定した意味も権力も持たない、「空虚な中心」なのだと。日本文化は、中心に空を抱えた奇妙な帝国なのだと。
 だが、西洋文明の中心にあるイエスも、実は「空」であったのではないか。イエスの相貌は多様であるが、そうであるがゆえに逆に、何も固定的な意味を持っていない。神の子、神そのもの、犠牲の子羊、終末の審判者、奇跡の治病者、貧者を愛する聖人、反逆者・革命家、無抵抗の殉教者、永遠の夫、流浪の求道者、現世否定者、人間愛者……どれも正しく、どれも全貌を捉えてはいない。
 「指紋の数ほどある」イエス観は、逆にいかなる固定した実体もないということである。
 そこにあるのは、聖書の不完全な表現を超えて伝わってくる、不思議なオーラのようなもの。過激で熱い生き方。
 結局、イエスのイエスたるところは、思想や説教ではなく、生き方の教えでもなく、その「過激で熱い生き方」そのものなのかもしれない。イエスはその多彩な人間性と過激で熱い生き方によって、多くの人を惹き付け続けているし、これからも惹き付け続けるだろう。

 とはいえ、もう一つの思いもある。それは、いくら魅力的な記述が残っていたとしても、もう2000年も前の人間のおぼろげな言動を、いつまでも後生大事にする必要があるのだろうか、というものである。
 霊的な栄養はその時代と民族にふさわしいものが与えられる。そうであるのなら、今の時代には、今の時代にふさわしい新たな霊的な道しるべが開かれるべきではなかろうか。むしろ、イエスが(トマス福音書に見られるような難解な言葉で)示そうとした霊的真理は、より詳細かつ理路整然とした表現で、スピリチュアリズムの霊信に示されているのではないか。
 「もう俺のことは忘れろ。お前たちにはもっと新しい神の国の言葉が贈られているじゃないか」
 もしかしたらイエスはそう言いたがっているかもしれない。

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 このあたりでひとまず終わりにいたします。別に結論を出したつもりはないし、自分自身、何か決着したという気持ちもないのだけれども。
 一応、あまり「神秘的な情報」は取り合わず、現代の学問の知見にできるだけ立脚しようとしたつもりですけれども、もちろんこれもまた一種の「私的解釈」と言われればそれまでです。
 お付き合いくださった方、ありがとうございました。

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