カタリ派についてはこのブログで書いたように思っていたら、TSLホームページのラウンジ(雑記欄)でした。
こちらに再掲します。(「超簡単図解」の続きは次回に。仏教に行きます。)
なお、カタリ派(と再生)の問題については、精神科医アーサー・ガーダムによる『二つの世界を生きて』『霊の生まれ変わり』といった本があります。クライエントが前世記憶としてカタリ派だった生涯を思い出し、それに一定の実証性があったことが明かされ、さらにガーダム自身がやはりカタリ派だった前世を想起するというドキュメントです。いずれも1970年代初頭のものなので、前世記憶研究としては先駆的な位置にあると言えますし、内容も非常に濃密なものです。ちょっと読みにくい本ですが。
また、近年には佐藤賢一『オクシタニア』、ケイト・モス『ラビリンス』といった小説にも書かれ、だいぶ知られるようになってきたようです。
カタリ派については下記の研究書のほか、クセジュ文庫『異端カタリ派』、原田武『異端カタリ派と転生』などがあります。
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<ノート>「個々人の霊は天界にある」というカタリ派絶対派の見解(2009年1月28日)
渡邊昌美著『異端カタリ派の研究』(岩波書店、1989年)を読んでいたら、たいへん面白い記述に出会った。
言うまでもなくカタリ派とは、中世(11~13世紀)に北イタリアや南フランスにおいて隆盛となった「異端」で、正統教会と激しく対立し、「アルビジョワ十字軍」や「異端審問」によって絶滅させられたキリスト教の一派である。グノーシスやマニ教の流れを引き、善なる天界と悪なる現世との対立を強調し、旧約の神は悪であり新約こそが救いの聖典であるとした。
カタリ派は、この世を作ったのは「悪の天使」(ないし「悪の神」)であり、人間の魂は誘惑されて天界から堕落し、この世の苦しみの中に閉じ込められている、とする。また、カタリ派の中にも二つの大きな派閥があり、「悪」も究極的には神に包摂されるという「穏和派」(暫定的二元論)と、「善悪二神の並立」を説く「絶対派」(絶対的二元論)があるという。ちなみに「輪廻転生」を肯定したのは絶対派の方らしい。
カタリ派の詳しい教学にはここでは立ち入らない。ただ、その「絶対派」の教説の中に、スピリチュアリズムの説くところ(しかもかなり高度部分)と通じ合うものがあって、非常に興味を引かれたので紹介しておきたい。
それによると、人間の(「善なる人間の」なのかもしれないがそのあたりはよくわからない)魂である「アニマ」は、「悪」の誘惑によって地上に落とされたのだが(この解釈はもちろんスピリチュアリズムとまったく異なるが)、残りの部分である「霊の体」と「スピリット」は天界にとどまっており、スピリットはアニマと常につながろうとしている。そして、カタリ派の秘儀を通して天界に戻れば、アニマはスピリット及びその霊体と再統合する、それこそが救済である、というのである。
少し引用してみよう。同書156~158頁からのもので、細かな出典などは略す。《 》は原資料、「 」は著者、〔 〕は引用者注である。
《天使〔善なる天界にいる存在〕らは三つの部分、すなわちコルプス〔形相、体〕、アニマ、スピリトゥスから成る。〔この世を創造した悪神の誘惑に際して〕コルプスは撃ち倒されて天にとどまった。〔中略〕スピリトゥスも残った。》
《今一つの世にてアニマはコルプスを離れ、この世すなわち地獄へ墜ちた。》
「〔悪神に〕誘惑され地に、つまり現世に墜ちたのはアニマのみだったのである。《コルプスは撃たれて天にとどまった。これぞ〔中略〕使徒が天上の体と呼びしところである。スピリトゥスもまたここにとどまった》。〔中略〕以後、アニマは現世の体(コルプス)に入れられて輪廻転生の業苦を嘗めつつ彷徨する。他方、スピリトゥスは罪人となったおのれの半身を探し求める。《〔中略〕汝らはいう。スピリトゥスとともに天にありて罪を犯せるアニマは今汝らの中に在り、スピリトゥスはそうではない、と。また言う。スピリトゥスそれぞれに、ともにありて罪を犯せるアニマを尋ね求め、めぐりあえばともに語り、おのれの忠言に従わせる、と。》」
そして、カタリ派最重要の儀式である救慰礼を受け、厳しい戒律を守って帰天した魂(アニマ)は、天に残ったおのれのスピリット及びその霊体と出会い、合体する。
「彼らは言う。アニマは〔救慰礼の〕按手によって、導き手たるべきおのれ本来のスピリトゥスを受ける〔スピリットとのつながりを取り戻す〕。〔中略〕このスピリトゥスを聖霊、すなわち確固たる霊と呼ぶ。確固としてかの欺きに耐えたがゆえであり、また現在にあってもおのれのアニマを治め護り、悪魔に欺かるる能わざらしめるがゆえである。……かくのごとく、惑わされ欺かれたるアニマの現在の生における護り手、導き手として与えられるものの一つ一つを、彼らはスピリトゥスと呼び、確固として留まり欺かれざりしがゆえに聖なる霊と言う。」
《その〔救済の〕時、いかなるアニマもそれぞれに、曾て欺かれし時天に遺せるおのれ本来のコルプスを得べしと言い、……このコルプス受領こそ〔キリストの〕使徒の述べたる死者の復活にほかならずと言いかつ信じる。》
スピリチュアリズム霊学の中には、人間的知性では理解不能としてあまり詳しく述べられていないが、「私の魂(ソウル)は、本霊(大文字のスピリット)の部分であり、本霊は常に(本霊のやはり部分魂である守護霊を通して)私の魂を導いてくれている。そして(高次の)霊界では魂は本霊と再融合を果たす」という説がある(マイヤーズ通信、またシルバー・バーチの「ダイヤモンドの多面体」説など)。
こうした説と、カタリ派の「分魂出生」説とは、もちろん異なるところは多いものの、どこか通じるところがあると言えないだろうか。
(補記:「惑わされ欺かれたるアニマの現在の生における護り手、導き手として与えられるものの一つ一つを、彼らはスピリトゥスと呼び、確固として留まり欺かれざりしがゆえに聖なる霊と言う」といったくだりは、ちょっとぞくぞくしませんか。)
別にスピリチュアリズムとカタリ派がつながっていると言いたいのではない。そうではなく、カタリ派がこのような教説をどうやって形成したのか、ということが不思議なのである。単に、偶然に、頭でひねり出したのだろうか、それとも、何らかの「霊界からの情報」によって、こうした説が生まれたのだろうか。
カタリ派はこの世を「悪」と決めつけることによって過ちに踏み入った(共感しないでもないが)。しかし、人間の内なる魂は、霊界の大いなるスピリット(神といった普遍的なものではなくかなり個別的な存在)とつながっている、魂はその教導を受けている、ということを、おそらく何らかの霊的方法による情報取得によって知っていた――ということは言えないだろうか。
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なお、「悪の神による奸計」という概念はシュタイナーも言っているようです。このあたりのことは本ブログの「人類の進化(2)」をご参照ください。
(ユダヤ金融資本が現在の世界経済の混乱と貧富格差の増大を起こしているとすれば、「悪神の奸計」は今絶頂なのかもしれませんねw)
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