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東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

新プラトン主義

2011-01-31 00:55:06 | 高森光季>その他
 別の連載を計画していますが、ちょっと今は谷間のお休み。

 フォルダーをひっくり返していたら、新プラトン主義についての引用が出てきたので、
自分の備忘録代わりというか、皆様のご参考までにというか、ここに載せて、少しコメントを
つけてみます。ややこしい話で申し訳ありません。
新プラトン主義は、キリスト教異端のグノーシスやカタリ派とも関係が深いし、イスラーム神秘主義のスーフィーともつながりがあるようです。イデアの実在や霊的存在の実在を主張するあたりはスピリチュアリズムとも重なります。「ヨーロッパの密教」という見方も成り立つかもしれません(笑い)。

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《新プラトン主義》
 後3世紀にプロティノスによって実質的に創始され,6世紀まで存続した哲学思潮。その後のヨーロッパ哲学史上にプラトン主義の伝統を定着させる働きをした。プロティノス自身かなり独創的な思想家であったが,自分の思想をすべてプラトン哲学からの帰結であると称していたので,この名がある。しかしプラトンにみられる政治的・実践的関心はあまりなく,もっぱら神学的・形而上学的局面に集中する。プロティノスに影響を与えたのはプラトン,アリストテレス,ストア学派,新ピタゴラス学派などの哲学であるが,ギリシア哲学ばかりではなく,その師アンモニオス・サッカスを介してオリエント,エジプトの神秘学からも多大のものを受け継いだ。この傾向は神智学(テオソフィア theosophia)とか接神術(テウルギアtheourgia)と呼ばれる。プロティノスに至ってギリシア・ローマ文明とオリエント・エジプト文明が完全に一体化したといってよいだろう。彼の著作は死後,弟子のポルフュリオスによって《エンネアデス》,つまり各巻9編から成る6巻の書物として出版された。ポルフュリオスの弟子イアンブリコスは《エジプト人の密儀について》によって古代異教神学を集大成した。5世紀にはプロクロスがこの伝統を継承し,プラトン解釈史に画期的業績を残した。ユスティニアヌス帝の勅令によるアカデメイアの閉鎖(529)など6世紀の異教弾圧で,西方世界にはこの伝統は表だってはとぎれてしまうが,アウグスティヌス,ボエティウス,偽ディオニュシウス・アレオパギタなどの著作を通してキリスト教の教義形成に無視できない影響を与えたほか,東方キリスト教会にはフィロカリアという形で受け継がれ,さらにイスラム世界に入って,スーフィズムの哲学的原理として発展した。古代ギリシアの学術の継承とあいまって数学,天文学など自然諸科学の発展に対する寄与も小さくない。この伝統がルネサンスとともに西方に復帰しフィチーノなどの〈ルネサンス新プラトン主義〉を生み,各地のアカデミー運動の原動力となった。ケンブリッジ・プラトン学派に属する人々や T・テーラーは近代新プラトン主義者といえよう。ドイツ観念論も新プラトン主義のドイツ的変容とみる人もいる。

 古今東西の神秘哲学と同様,新プラトン主義は次の七つの理論的支柱をもっている。
(1)〈世界の四重構造〉 世界は可視的物質界と三つの不可視なる原理的な力よりなる。それは〈魂psyche〉つまり生命力と,〈叡智 nous〉つまり宇宙秩序の認識機能と,〈一者 to hen〉つまりあらゆる対立を統合する絶対者である。一者は〈第一なるもの〉または〈善〉と呼ばれ,それ自体はまったく単純なものでありながら,その中にありとあらゆる多様性を潜在的に含んでいる。これは完全な充実であり,あらゆる認識,生命,本質,存在を超越する。
(2)〈流出〉 〈一者〉から〈叡智〉が,〈叡智〉から〈魂〉が,あたかもあふれる水のように流出する(流出説)。下のものは上のものと本質を同じくするが,勢いや力の劣った存在形態であり,三つの原理的なものは階層的秩序を保ちながら,しかも連続している。〈一者〉から遠ざかるにしたがって〈一者〉の力を失うことから,善と完全性において劣ることになり,そこに階層的世界が生じる。
(3)〈不可視世界の実在性〉 真に実在するものとは不可視世界の三つの原理的な力のみであり,外的世界は〈魂〉が〈質料 hyle〉をまとっているだけの仮象にすぎない。永遠の世界には時間的変化も空間的分割もなく,つねに一定の秩序(コスモス)のもとに存在する。しかしこの秩序は〈叡智〉や〈魂〉を介して物質界にも顕現しており,外的現象の観照(テオリア)によって,永遠の本質に触れることもできる。原理を知る者にとって,現象界はその原理の示現の場となるのである。
(4)〈全中一・一中全〉 〈一者〉は宇宙のあらゆるものの中に遍在している。すべてのものは,そのものたりうるためには〈一〉を分有していなければならない。〈一者〉そのものとの合一は至難だが事象を通して〈一〉を想起することは可能である。一方,一つの事物の成立には他のあらゆるものが関係しており,どんなささいなものの中にも宇宙全体を映す鏡というべきものがある。
(5)〈神人交渉・万物照応〉 階層的秩序の中にあって,下のものは上のものの映し,または表現であり,下降形態であるから,下のものは上のものの本性をもち,それを通じて上のものと交流することができる。上のものが下に影響するだけではなく,下のものも上に影響することができる。人間はこれによって上のもの,つまり神霊や神々や〈一者〉と結びつくことができるのである。
(6)〈脱自(エクスタシス)〉 人間は外的現象から内的世界に目を転じ,魂の目で直接内的宇宙を体験することによって三つの原理的な力にじかに触れることができる。内的世界の深まりの中では,認識するものと認識されるものの区別が消失し,〈魂〉と〈叡智〉,さらに〈叡智〉と〈一者〉は完全に一つのものになる。そこで魂は恍惚として〈一者〉に合一し,小我から脱却して,宇宙大の〈一者〉の中に溶けこんでいく。
(7)〈帰還こそ人生の目的〉 流出の過程で現象界に埋めこまれた魂は,〈一者〉との合一を求めて,流出と反対の過程つまり帰還の道を探求しなければならない。そこにのみ真の幸福と人間の完成があるからである。人生とは家郷を失った旅人の望郷,帰還の旅路にほかならない。
(平凡社世界大百科事典CD版、大沼 忠弘)

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 「プロティノスに至ってギリシア・ローマ文明とオリエント・エジプト文明が完全に一体化した」という指摘は興味深い。ただ、おそらくギリシャとエジプトはそれ以前から交流があり、特に秘教とその神秘主義思想においてはかなり似たものがあっただろう。たとえばナザレのイエスの神秘主義的側面は、そのギリシャ=エジプト秘教に源があるように思われる。
 で、問題はもう一つの潮流、つまりヘブライズムである。ヘブライズム(ユダヤ文明)とヘレニズム(ギリシャ文明)を統合したのがキリスト教だと言われるが、実はこれは統合されていないようにも思える。ヘブライズムの最大特徴は、「神と被造物の間の徹底的な断絶」であり(これはイスラームにも引き継がれる)、「神人合一」といった考え方はあり得ない。また、ヘブライズムでは「霊界」はほとんど捨象される。不可視の存在は神が独占し、余の存在を許さない。結局のところ、ヘブライズムはキリスト教・イスラームにおいて「他と統合されることなく」生き残り、正統を保持している。そして、ネオプラトニズムの潮流は、異端、密教的神秘主義として迫害されつつ伏流してきたと言えるのではないか。キリスト教やイスラームの正統・異端の闘いの一部は、相変わらずヘブライズムとヘレニズムの闘いなのかもしれない。

 もう一つ、面白い視点として、仏教との対比というものもある。仏教はギリシャ思想との交流もあるとされるが、また特殊な潮流である。ちょっと上記の7つの「理論的支柱」と対比させてみると、
(1)のところは、仏教では「無明」と「叡智」の二重構造となるのか。どうも「無明」がどういうものなのかよくわからないが、「生命力」の本質のようにも受け取られる。可視的物質世界は、この無明の生産物なのか。ともあれ、最大の違いは〈一者 to hen〉の不在だろう。
(2)(3)に関しては、「本質」「実在」といったものを設定しないから、対応するところはない。ただ、「階層的世界」と「六道」との対比、〈叡智〉と〈法〉の対比、といったところは面白そう。
(4)は華厳経あたりの教説と関連するか。ただ本質的なものではなさそう。
(5)(6)(7)のことはいわゆる「神人合一目標論」となるのだろう。仏教に影響を受けたトランスパーソナル思想や一部のヨーガ思想(インド神秘思想?)ではさかんに「神人合一」とか「宇宙意識との合一」と言う。これ、ちょっと問題ありで、仏教の「さとり=解脱」を「宇宙意識との合一」などと表現してよろしいのやら。この点はスピリチュアリズムでも「そう簡単にはいかないよ」みたいな感じがある。

 うむむ。私はヘブライズムの「神と人間の断絶」を批判的に見ていたのですけれども、「神人合一」を安易に言い立てる説が多いのを見ると、「ほとんど断絶くらいの隔たりがあるぞ」とした方がいいような気がしてきました。
 「高次霊界への参入体験」を「神人合一」と表現してしまうからいけないのでしょうかね。

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1 コメント

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工藤タイキ (八神太一)
2013-04-10 08:30:07
勿論スピリチュアリズムは大好きだよ。
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