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中世の“スピリチュアリスト”たち(再掲)

2011-03-25 00:20:52 | 高森光季>イエス論・キリスト教論

<ノート> 中世の“スピリチュアリスト”たち(2007年10月18日)(高森光季)

 スピリチュアリズムというのは、19世紀に生まれたものであるけれども、「スピリチュアリスト」と名乗る人々は、13世紀にも存在した。フランシスコ会修道僧の中で「聖霊主義者」と言われている人たちである。「聖霊主義者」の原語(ラテン語)は「スピリトゥアーレス Spirituales」であり、まさしくスピリチュアリストである。
 この宗教運動の源となったのが、フィオーレのヨアキムというシトー派の修道僧である。1135年頃、イタリアのチェーリコに生まれ、カラブリアの修道院長などを務め、1202年3月30日、シーラ高原の小さな教会サン・マルティーノ・ディ・ジョーヴェで死去している。『調和の書』『黙示録注解』『十弦琴』といった(ひどく難解な)著作がある。
 ヨアキムの思想はその後異端と宣告されるが、生前の彼自身の活動はきわめて穏当で保守的でさえある。旧新約聖書や教会の権威を心底認めていたし、三位一体論もこれを信奉して深く考究した。教皇とも近い関係にあり、彼自身、「異端」の拡大(おそらくカタリ派のこと)について警戒していたという。その彼が異端とされたのは、彼の死後、三位一体説に関して彼の対立者ロンバルドゥスの思想が正統とされたためである。なお、ヨアキムが異端宣告をされた1215年の第4回ラテラノ公会議では、ヨアキムの他、ワルドー派、アルビ派(カタリ派)が異端宣告され、異端審問所の設置(!)が決められている。
 しかし、彼はもちろん単なる護教主義の修道僧ではない。二度ないし三度の神秘体験をしており(1187年のエルサレム王国陥落を予言したともいう)、それを元に、聖書の象徴的(かなり神秘主義的な)読解と終末論的歴史解釈を発表した。そして、彼の唱えた、キリスト教の歴史の三〈段階〉説、そして新時代の到来の予言(彼自身は1260年からそれが始まるとした)は、後の世代にきわめて大きな影響を及ぼした。
 彼の「三段階」説とは、単純に言えば、アダムからイエス・キリストの出現までを「父」(神)の時代、その後を「子」(キリスト)の時代、そして来たるべき次の時代を「聖霊」の時代とするものである。父の時代は、神とその律法の支配する時代、子の時代は、キリストとその後継である教会が支配する時代、そして、聖霊の時代は、律法や教会を通してでなく、聖霊が個々人(といってもそこで想定されているのは修道生活を送る人々ということだろうが)を教え導く時代だ、というのである。
 これは、素直にそのまま敷衍していけば、律法も教会も無用だということになる。ヨアキム自身はあくまで教会の権威を崇敬しており、教会無用論を主張したわけではないが、これは教会権力から見ればとんでもない異端としか言いようがない。そして、教会の堕落を厳しく批判していたフランシスコ会の一部の修道僧たちが、これに乗っかったのも当然のことだったろう。また、1260年に反キリストが出現し教会に大打撃が与えられるだろうという終末論的予言は、世俗権力やイスラームとの武力闘争が頻発していたこの時代の人々に、きわめて現実的な予言として受け取られただろう。
 結局、1260年には特別なことは起こらず、ヨアキムの三位一体論を始めとする神学は異端とされ、ヨアキムに賛同したフランシスコ会修道僧たちも弾圧され(フランシスコ会の正統回帰に尽力したのがボナヴェントゥラだった)、教会権力は事なきを得た。(ただし、1292年から94年まで、聖霊主義者であるケレスティヌス五世が教皇となっている。この教皇は教皇庁のあまりの堕落にあきれ果て、とっとと辞任してしまったらしい。)

 しかし、ヨアキムの「新時代の予言」は、ある意味で歴史的先駆となったようである。いわゆる「千年王国」論、そして「教会でなく聖書」を主張したプロテスタント運動、さらには近代になって現われる様々なユートピア思想に、ヨアキムの影がほの見える。もちろん、「地上に神の国が到来する」という思想はずっと昔からあったものだが(それは特にイエスの時代にはかなり高まっていたようだが、結局は「スカ」だったわけだ)、それを歴史(あくまで聖書による歴史だが)の発展段階説として展開したという点で、ヨアキムの思想は先駆的だったのだろう。(歴史の段階的発展とユートピアの到来という思想は、最終的には共産主義に流れ込んだことになる。いや、ひょっとするとニューエイジの「アクエリアン時代」にも影響しているかもしれない。)

 ヨアキムに触発された「聖霊主義者」たちは、権力と富と煩瑣な神学にまみれた教会の終焉を夢見、一人一人の信仰者に直接聖霊の働きが下される理想の信仰社会の到来を願った。何と歴史を先取りした運動であったか。聖霊主義者たちの夢は、その後、プロテスタント運動(聖書のみによる信仰)という形で、キリスト教内ではある部分、実現したとも言える。しかし、それによって「聖霊の時代」が到来したかどうかは、歴然としている。地上にユートピアが生まれるという思想は、近代になって、共産主義を始めとする世にも恐ろしい悲惨をつむぎ、結局は頓挫した。
 しかし、聖霊主義者たちの「個々が直接に霊的導きを得る」という姿勢は、現代においても、というより現代においてこそ、大きな意味を持つものだろうし、近代スピリチュアリストとも共通する。「千年王国」と象徴されるユートピアの運動はことごとく失敗したからといって、よい社会を作ろうとする願いがなくなっていいものでもない。「千年王国」はあと千年でもして人類がもう少し善い存在にならない限りやってこないかもしれないが、「ケチでちっぽけな世界」(マイヤーズ霊の言葉)がこのまま続いてよいというものでもない。

 とはいえ、中世のスピリチュアリストたちの言う聖霊とは、キリスト教が説く唯一の神からの慈悲教導であり、信仰もあくまで聖書に基づくものであった。それがキリスト教の限界である。死者霊や高級霊などを通して、神の慈悲教導が与えられるなどという考えは、キリスト教徒たちには毛頭ないし、認める余地もないだろう。そして「唯一」にこだわる宗教は、異端を弾圧し、宗教戦争を引き起こす。
 「キリスト教神学は人類の呪いであった。しかし、もうそれも終わりつつある」と述べたのはかのシルバー・バーチであった。確かに呪いは終わりつつあるように見えるが、まだしつこく粘っているようにも見える。
 中世のスピリチュアリストがキリスト教の枠内に留まらざるをえなかったことはやむを得ない。近代のスピリチュアリストが夢見ていることは、特定宗教の呪いを脱して、人間の一人一人に「聖なる霊」の導きがあるような世界だと言えるだろう。


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