平成25年7月21日(日)
高手山1,373.9m、奈女沢の頭1,820m、西峰1,870.5m、剣ヶ峰山2,020m
来週は南アルプスに行こうと思っていたら、どうもお天気の具合が芳しくない様だ。余りに早い梅雨明けで、今後のお天気の傾向は全く分からない。猛烈な暑さだった梅雨明け後1週間以降は、不安定な天気が続いている。こんな様子だから、天気予報も結果のお話ばかりで、先の予報はほとんど役に立たない状態だ(分からないというのが正直なところなのだろう)。その南アルプスで新しい登山靴を履こうかどうしようかと思っているのだが、取り合えず靴の試し履きをどこか手頃な山に登って確かめよう。
昨年、武尊山の一峰である剣ヶ峰山に、しぼれさんが登っている。この山はずっと登ろうと思っていながら、未だ登っていなかった(昨年しぼれさんが登って思い出した)。沖武尊から見下ろす剣ヶ峰山は特異な形から、とても印象に残っている。川場スキー場沿いに剣ヶ峰山に登る登山道は、83年の国体競技用に作られたもので昔は無かったし、川場スキー場は更にその後作られた新しいスキー場だ。そんな訳で剣ヶ峰山は、かつては西武尊と呼んでいて、登山道があったのかどうかの記憶も無いのだが、前武尊に続く岩峰の「剣ヶ峰」と同じ名前なのでちょっと紛らわしい。こちらの剣ヶ峰(山は付かない)は、現在クサリが古くなって原則登れないことになっている(巻き道がある)。
さて、その剣ヶ峰山だが、今では藤原側の武尊神社から登り、ここに立ち寄ってから沖武尊に向かうハイカーも多い様だ。同じ山でも長いうちには登山口、登山ルートの変遷があるものだ。
直ぐ近くの山だが、土曜の夜に川場スキー場入口の登山口まで入っておく。GWの時に登った朝倉山と浅松山の記憶もまだ新しいが、朝倉山の登山口だった『ふじやまの湯』からしばらく上った先で、車道脇がそのまま広くなっているだけの川場スキー場第4駐車場(キャンプ場入口)が、剣ヶ峰山の登山口になっていた。家から1時間ちょっとで着いた。他には車も無く、雲の隙間からは月が覗いていた。アラームは6時にしたが、多分その前に目が覚めるだろう。
5時半くらいに目が覚めた。駐車場には軽自動車が一台停まっているが、ぼくが眠っているうちに既に出発したらしく空だった。一応、剣ヶ峰山から沖武尊まで行くことも考えているが、とはいえ特に急ぐ必要も無い。ゆっくり支度をして、パンを食べ6時に車を後にキャンプ場への舗装路に入る。丁度そこに後からもう一台車がやってきて2人が支度を始めているので、これから直ぐに登るようだった。キャンプ場への入口は遮断機が塞いでいた。ジグザグに舗装路を上ってキャンプ場に着く。バンガロー村のようだが、この時期なのにキャンプをしている人は無く、キャンプ場の駐車場にも車は一台も無くひっそりとしていた。現在はやっていないのか?ところが、帰りに下ってきてみると、最上部の駐車場に10台程車が停まり、網が張り巡らされた中で若者がシューティングをしていたのだった。ふうん。キャンプ場ではなくて、今はこんな風に使われているのか。最近はサイトまで車で入れるオートキャンプが主流で、こうして駐車場から歩いてバンガローやテントサイトまで行かなければならない所は、お客さんもなかなかやって来ない様だ。なので、この様にキャンプ場としては開店休業なのかもしれない。
キャンプ場最上部が剣ヶ峰山の登山口になっている。群馬県が立てた周辺を案内する大きな説明看板と登山者カード入れの箱があるが、朽ち掛けた木箱は最近使われていない様だった。ここの標識には武尊山まで6.8kmとあり、剣ヶ峰山まででも5kmもあるということだ。この登山コースにはこの先、ベンチや植生に関する説明看板類など開設当初に作られた多くのモノがあったが、いずれも日が経って朽ち果て、説明も読めなくなっていた。それでも、刈り払いだけはしているようで、コースは良く整備されている。登山口から雑木のジグザグを切ってしばらくして尾根に登り上げ、間もなく薄暗い樹林の中に祠があり、およそ山頂らしくない高手山山頂に6時41分に着く。標識等はあるが、地形図に記載がある三角点はどこにあるのか周囲には見当たらなかった(帰りはスキー場の中を下ろうと思っていたから見つけられないな)。
高手山からは尾根伝いの緩い上り下りになる。木々越し、右手にスキー場が見えているが、この先スキー場に降りられるところも、ありそうで無かった。落葉松の植林から次第に針葉樹林になる。キャンプ場付近ではホタルブクロ、その上ではヤマアジサイ、ヒヨドリソウ(ヒヨドリバナ)など森林の山野草が沢山見られた。ウグイスやホオジロ、コマドリの声、もうこの時期では最後になるのだろうエゾハルゼミの声などで森の中は賑やかだ。足元に岩や木の根が出てくると、オオシラビソの説明看板を見て、少し下ってから登り返す。木々が切れた所から赤城山と渋川辺りの市街地が見えている。ベンチがあって、あえてスキー場に降りるならここからが一番降り易い場所だ。赤城山の北斜面一帯に点々と見えている白いものは昭和村の高原野菜畑だろうか?この先の登り返した小さなピークが奈女沢の頭らしいが、登りついても特に何も表示は無かった。行く手の東に鬼の角のような岩山が突き立って見える。これは見た目どおりで鬼岩と呼ぶらしい。他に名付け様も無い、見たままの名前だ。
後続の人の話声が大分近く聞こえている。更に少し登った先で、岩のある見晴らしの良いピークに登り上げた。西峰の標識が立ち、土台まで露出している三等三角点標石があり、ベンチやテーブルがある。西峰には8時41分に着いた。行く手の剣ヶ峰山がここで初めて姿を現した。台地状の山の南面は火口壁の岩壁になって突き立っている。ここから見ると、あんな山の上に登れるのか?という感じに見えている。武尊山主稜線と、この剣ヶ峰山が囲む川場谷は武尊火山の爆裂火口と言われており、一番その面影を残しているのはこの剣ヶ峰山の南岩壁だろう。
剣ヶ峰山の右手向こう、沖武尊は隠れて見えないが、それに続く中ノ岳と剣ヶ峰、家の串、前武尊等の武尊山主稜線の山並もここで初めて見えた。剣ヶ峰はここからだと四角いダイスのような岩山だ。西峰から北面は低木がうるさいが、谷川連峰の山々がうっすらと見えていた。全天を雲が覆う曇り空ながら高曇りなので、ほぼ周囲の山は良く見えていた。西に遠く浅間山や草津白根方面の山並み、南には赤城山、東には皇海山から袈裟丸連峰、錫ヶ岳や日光白根の山並みも見える。山々は雲海のような低い雲の上に頭を出していた。
ひととおり写真を撮って、水を飲み一息ついた。間もなく後続の夫婦連れが登ってきたのと入れ替わりに先に進む。西峰から先は高木も無くなり、ずっと眺めがある。スキー場最上部、リフトの終点が直ぐ下に見えるがここには笹をかき分けて、崖のような急な斜面を下らないとスキー場には降りられない。この登山道からスキー場に降りる道は特に無いのだった。
目の前に剣ヶ峰山の火口壁が近づいてくる。側まで来ると、ほぼ垂直の大岩壁だ。かなり圧倒的な岩壁だが、その左手低木の急斜面に丸太の階段で上手に登路が付けられている。これがないとこの山は登れないだろう…急だが、その丸太登りで思うほどのことも無く、あっという間に山頂台地上に出た。高原状の台地の上に山頂部の出っ張りがあり、そこが山頂だ。東に沖武尊から武尊主稜線が並んでいる。笹薮の中に石祠を見て、一登りで剣ヶ峰山山頂に9時34分に着いた。剣ヶ峰山山頂部は東西に細長く、シャクナゲやハイマツ等の潅木が生い茂る中を切り開かれた道の途中にある。人が何人も休めるような場所は無かった。山頂の標柱が西と東の端に立っている。
ここから緩く下って大きく上り返すと沖武尊の頂上だ。着いた時間も早いからそこまで足を伸ばそうと思っていたが、頂上でちょっと休んでオレンジやパンを食べていたら、次から次から、武尊神社登山口から登ってくるハイカーがやってきた。カラフルな服装の若者のハイカーが多い。武尊は百名山なので、そういった山を始めたばかりの人々がやって来る山だ。ここでこの状態だから、四方の登山口から集まってくる沖武尊山頂はさぞかし人が多いのだろうな、と思ったら何度も頂上を踏んでいる沖武尊まで行く気がしなくなった。そうこうするうちにも、また何人もここへやって来て、直ぐに沖武尊に向かっていった。
剣ヶ峰山の山頂は素晴らしい展望台で、まだ新潟方面にホンの少し青空が見えている程度だが、利根源流の山々がずらりと眺め渡せる。沖武尊の直ぐ左の至佛山、平ヶ岳をはじめとして越後沢山や本谷山、奥に越後三山の中ノ岳、幾つもの山々が連なり巻機山、谷川連峰、苗場山まで良く見えた。南側の東西はここまでの間にずっと眺めがあったが、本当に360度の大パノラマだ。まだ登っていない真下の獅子ヶ鼻山へは、ここから下降することは非常に困難に見えた。シャクナゲの密薮に急峻な斜面である上に、こちら側(南面)は岩峰になっていて簡単には登れそうも無い。登るなら鹿俣山から辿るしか無さそうだ。薮が酷いから残雪期なら容易かな…。
展望は良いが、次々に人がやってくる狭い剣ヶ峰山頂は落ち着かないので、一段下の台地まで降りる。こちら側から登ってくる人も居るにはいるが、ぼくが台地のお休み場で休んでいた間に2人しかやって来なかったから、こちら側はいたって静かだ。南側を向いた平坦な潅木薮が一部切り開かれてテーブルとイスがある。ここからの眺めは南側だけになるが、開放感があふれて素晴らしい。こんな素敵な展望テラスも、そうは無いだろうと思うくらいの所だった。カップラーメンを食べ、しばらくベンチに寝転んだり、眺めを楽しんだりした。そうこうするうちには、予報どおり北の方から晴れ間がどんどん広がってきて、11時20分に頂上台地を降りる頃には北側を中心に半分くらい晴天になった。
下りでは西峰で数人の集団がいたが、他には人も居なくて、矢張り静かそのもの。西峰付近からは、ほぼ完全な晴天になった。谷川連峰の眺めを見てから、ゆっくりと下った。陽射しが照りつける上に、リフトの補修作業をしているらしいスキー場へは降りずに、そのまま下りも登ってきた道を引き返す。暑くなり、奈女沢の頭の木陰で、またごろんと横になった。残念な事に、一番の目的だった新調登山靴の試し履きは、両足とも当たって靴擦れになっているようで、だんだん痛くなってきた。
暑い陽を避けながら、結構長い緩い尾根を下り続ける。高手山手前のヒヨドリソウの群落で、アサギマダラが優雅に飛んではこの花に止まっている。アサギマダラもヒヨドリソウが好きらしい。ヒヨドリソウは蝶々を集める花として知られている。側にいてカメラを向けても逃げもせず、でもなかなか上手な写真は撮れなかった。
またここに戻って来たので、薄暗い高手山山頂では、しばらく三角点を探し回ったが結局見つからなかった。暑くなって、気だるい雰囲気のキャンプ場まで降りてくると、キャンプの人ではなくシューティングをする若者たちが、パンパンと的を目掛けてピストルを撃っていた。2時37分に第4駐車場に戻ってきた。駐車場には他に5台くらい車が停まっていたが、ぼくが一番早く戻ってきたので、皆さん喧騒の沖武尊までの往復だった様だ。ご苦労様です。
帰りは直ぐ下の『ふじやまの湯』は寄ったばかりだったから、『湯郷小住温泉(こじゅうおんせん)』という日帰り温泉に寄って行く。源泉掛け流しの露天風呂で、幸い余り多くの人も居なかったが、そこそこの温泉といった感じだろうか。また来たいと言う程でもなかった。露天風呂が物凄い急斜面に面していて、上に大きな岩も見られるので落石がありそうだ。二面ある露天風呂の一面は、それがために湯が張ってなくて休止になっているのだと思う。岩が落ちてくる落石風呂ではたまらない。アブが多いので、蝿タタキが幾つも浴槽の縁においてある。うっかりすると血を吸われてしまうから、よもや目をつむってのんびりの入浴はできない。
入浴後はさっぱりと帰路に着いた。
高手山1,373.9m、奈女沢の頭1,820m、西峰1,870.5m、剣ヶ峰山2,020m
来週は南アルプスに行こうと思っていたら、どうもお天気の具合が芳しくない様だ。余りに早い梅雨明けで、今後のお天気の傾向は全く分からない。猛烈な暑さだった梅雨明け後1週間以降は、不安定な天気が続いている。こんな様子だから、天気予報も結果のお話ばかりで、先の予報はほとんど役に立たない状態だ(分からないというのが正直なところなのだろう)。その南アルプスで新しい登山靴を履こうかどうしようかと思っているのだが、取り合えず靴の試し履きをどこか手頃な山に登って確かめよう。
昨年、武尊山の一峰である剣ヶ峰山に、しぼれさんが登っている。この山はずっと登ろうと思っていながら、未だ登っていなかった(昨年しぼれさんが登って思い出した)。沖武尊から見下ろす剣ヶ峰山は特異な形から、とても印象に残っている。川場スキー場沿いに剣ヶ峰山に登る登山道は、83年の国体競技用に作られたもので昔は無かったし、川場スキー場は更にその後作られた新しいスキー場だ。そんな訳で剣ヶ峰山は、かつては西武尊と呼んでいて、登山道があったのかどうかの記憶も無いのだが、前武尊に続く岩峰の「剣ヶ峰」と同じ名前なのでちょっと紛らわしい。こちらの剣ヶ峰(山は付かない)は、現在クサリが古くなって原則登れないことになっている(巻き道がある)。
さて、その剣ヶ峰山だが、今では藤原側の武尊神社から登り、ここに立ち寄ってから沖武尊に向かうハイカーも多い様だ。同じ山でも長いうちには登山口、登山ルートの変遷があるものだ。
直ぐ近くの山だが、土曜の夜に川場スキー場入口の登山口まで入っておく。GWの時に登った朝倉山と浅松山の記憶もまだ新しいが、朝倉山の登山口だった『ふじやまの湯』からしばらく上った先で、車道脇がそのまま広くなっているだけの川場スキー場第4駐車場(キャンプ場入口)が、剣ヶ峰山の登山口になっていた。家から1時間ちょっとで着いた。他には車も無く、雲の隙間からは月が覗いていた。アラームは6時にしたが、多分その前に目が覚めるだろう。
5時半くらいに目が覚めた。駐車場には軽自動車が一台停まっているが、ぼくが眠っているうちに既に出発したらしく空だった。一応、剣ヶ峰山から沖武尊まで行くことも考えているが、とはいえ特に急ぐ必要も無い。ゆっくり支度をして、パンを食べ6時に車を後にキャンプ場への舗装路に入る。丁度そこに後からもう一台車がやってきて2人が支度を始めているので、これから直ぐに登るようだった。キャンプ場への入口は遮断機が塞いでいた。ジグザグに舗装路を上ってキャンプ場に着く。バンガロー村のようだが、この時期なのにキャンプをしている人は無く、キャンプ場の駐車場にも車は一台も無くひっそりとしていた。現在はやっていないのか?ところが、帰りに下ってきてみると、最上部の駐車場に10台程車が停まり、網が張り巡らされた中で若者がシューティングをしていたのだった。ふうん。キャンプ場ではなくて、今はこんな風に使われているのか。最近はサイトまで車で入れるオートキャンプが主流で、こうして駐車場から歩いてバンガローやテントサイトまで行かなければならない所は、お客さんもなかなかやって来ない様だ。なので、この様にキャンプ場としては開店休業なのかもしれない。
キャンプ場最上部が剣ヶ峰山の登山口になっている。群馬県が立てた周辺を案内する大きな説明看板と登山者カード入れの箱があるが、朽ち掛けた木箱は最近使われていない様だった。ここの標識には武尊山まで6.8kmとあり、剣ヶ峰山まででも5kmもあるということだ。この登山コースにはこの先、ベンチや植生に関する説明看板類など開設当初に作られた多くのモノがあったが、いずれも日が経って朽ち果て、説明も読めなくなっていた。それでも、刈り払いだけはしているようで、コースは良く整備されている。登山口から雑木のジグザグを切ってしばらくして尾根に登り上げ、間もなく薄暗い樹林の中に祠があり、およそ山頂らしくない高手山山頂に6時41分に着く。標識等はあるが、地形図に記載がある三角点はどこにあるのか周囲には見当たらなかった(帰りはスキー場の中を下ろうと思っていたから見つけられないな)。
高手山からは尾根伝いの緩い上り下りになる。木々越し、右手にスキー場が見えているが、この先スキー場に降りられるところも、ありそうで無かった。落葉松の植林から次第に針葉樹林になる。キャンプ場付近ではホタルブクロ、その上ではヤマアジサイ、ヒヨドリソウ(ヒヨドリバナ)など森林の山野草が沢山見られた。ウグイスやホオジロ、コマドリの声、もうこの時期では最後になるのだろうエゾハルゼミの声などで森の中は賑やかだ。足元に岩や木の根が出てくると、オオシラビソの説明看板を見て、少し下ってから登り返す。木々が切れた所から赤城山と渋川辺りの市街地が見えている。ベンチがあって、あえてスキー場に降りるならここからが一番降り易い場所だ。赤城山の北斜面一帯に点々と見えている白いものは昭和村の高原野菜畑だろうか?この先の登り返した小さなピークが奈女沢の頭らしいが、登りついても特に何も表示は無かった。行く手の東に鬼の角のような岩山が突き立って見える。これは見た目どおりで鬼岩と呼ぶらしい。他に名付け様も無い、見たままの名前だ。
後続の人の話声が大分近く聞こえている。更に少し登った先で、岩のある見晴らしの良いピークに登り上げた。西峰の標識が立ち、土台まで露出している三等三角点標石があり、ベンチやテーブルがある。西峰には8時41分に着いた。行く手の剣ヶ峰山がここで初めて姿を現した。台地状の山の南面は火口壁の岩壁になって突き立っている。ここから見ると、あんな山の上に登れるのか?という感じに見えている。武尊山主稜線と、この剣ヶ峰山が囲む川場谷は武尊火山の爆裂火口と言われており、一番その面影を残しているのはこの剣ヶ峰山の南岩壁だろう。
剣ヶ峰山の右手向こう、沖武尊は隠れて見えないが、それに続く中ノ岳と剣ヶ峰、家の串、前武尊等の武尊山主稜線の山並もここで初めて見えた。剣ヶ峰はここからだと四角いダイスのような岩山だ。西峰から北面は低木がうるさいが、谷川連峰の山々がうっすらと見えていた。全天を雲が覆う曇り空ながら高曇りなので、ほぼ周囲の山は良く見えていた。西に遠く浅間山や草津白根方面の山並み、南には赤城山、東には皇海山から袈裟丸連峰、錫ヶ岳や日光白根の山並みも見える。山々は雲海のような低い雲の上に頭を出していた。
ひととおり写真を撮って、水を飲み一息ついた。間もなく後続の夫婦連れが登ってきたのと入れ替わりに先に進む。西峰から先は高木も無くなり、ずっと眺めがある。スキー場最上部、リフトの終点が直ぐ下に見えるがここには笹をかき分けて、崖のような急な斜面を下らないとスキー場には降りられない。この登山道からスキー場に降りる道は特に無いのだった。
目の前に剣ヶ峰山の火口壁が近づいてくる。側まで来ると、ほぼ垂直の大岩壁だ。かなり圧倒的な岩壁だが、その左手低木の急斜面に丸太の階段で上手に登路が付けられている。これがないとこの山は登れないだろう…急だが、その丸太登りで思うほどのことも無く、あっという間に山頂台地上に出た。高原状の台地の上に山頂部の出っ張りがあり、そこが山頂だ。東に沖武尊から武尊主稜線が並んでいる。笹薮の中に石祠を見て、一登りで剣ヶ峰山山頂に9時34分に着いた。剣ヶ峰山山頂部は東西に細長く、シャクナゲやハイマツ等の潅木が生い茂る中を切り開かれた道の途中にある。人が何人も休めるような場所は無かった。山頂の標柱が西と東の端に立っている。
ここから緩く下って大きく上り返すと沖武尊の頂上だ。着いた時間も早いからそこまで足を伸ばそうと思っていたが、頂上でちょっと休んでオレンジやパンを食べていたら、次から次から、武尊神社登山口から登ってくるハイカーがやってきた。カラフルな服装の若者のハイカーが多い。武尊は百名山なので、そういった山を始めたばかりの人々がやって来る山だ。ここでこの状態だから、四方の登山口から集まってくる沖武尊山頂はさぞかし人が多いのだろうな、と思ったら何度も頂上を踏んでいる沖武尊まで行く気がしなくなった。そうこうするうちにも、また何人もここへやって来て、直ぐに沖武尊に向かっていった。
剣ヶ峰山の山頂は素晴らしい展望台で、まだ新潟方面にホンの少し青空が見えている程度だが、利根源流の山々がずらりと眺め渡せる。沖武尊の直ぐ左の至佛山、平ヶ岳をはじめとして越後沢山や本谷山、奥に越後三山の中ノ岳、幾つもの山々が連なり巻機山、谷川連峰、苗場山まで良く見えた。南側の東西はここまでの間にずっと眺めがあったが、本当に360度の大パノラマだ。まだ登っていない真下の獅子ヶ鼻山へは、ここから下降することは非常に困難に見えた。シャクナゲの密薮に急峻な斜面である上に、こちら側(南面)は岩峰になっていて簡単には登れそうも無い。登るなら鹿俣山から辿るしか無さそうだ。薮が酷いから残雪期なら容易かな…。
展望は良いが、次々に人がやってくる狭い剣ヶ峰山頂は落ち着かないので、一段下の台地まで降りる。こちら側から登ってくる人も居るにはいるが、ぼくが台地のお休み場で休んでいた間に2人しかやって来なかったから、こちら側はいたって静かだ。南側を向いた平坦な潅木薮が一部切り開かれてテーブルとイスがある。ここからの眺めは南側だけになるが、開放感があふれて素晴らしい。こんな素敵な展望テラスも、そうは無いだろうと思うくらいの所だった。カップラーメンを食べ、しばらくベンチに寝転んだり、眺めを楽しんだりした。そうこうするうちには、予報どおり北の方から晴れ間がどんどん広がってきて、11時20分に頂上台地を降りる頃には北側を中心に半分くらい晴天になった。
下りでは西峰で数人の集団がいたが、他には人も居なくて、矢張り静かそのもの。西峰付近からは、ほぼ完全な晴天になった。谷川連峰の眺めを見てから、ゆっくりと下った。陽射しが照りつける上に、リフトの補修作業をしているらしいスキー場へは降りずに、そのまま下りも登ってきた道を引き返す。暑くなり、奈女沢の頭の木陰で、またごろんと横になった。残念な事に、一番の目的だった新調登山靴の試し履きは、両足とも当たって靴擦れになっているようで、だんだん痛くなってきた。
暑い陽を避けながら、結構長い緩い尾根を下り続ける。高手山手前のヒヨドリソウの群落で、アサギマダラが優雅に飛んではこの花に止まっている。アサギマダラもヒヨドリソウが好きらしい。ヒヨドリソウは蝶々を集める花として知られている。側にいてカメラを向けても逃げもせず、でもなかなか上手な写真は撮れなかった。
またここに戻って来たので、薄暗い高手山山頂では、しばらく三角点を探し回ったが結局見つからなかった。暑くなって、気だるい雰囲気のキャンプ場まで降りてくると、キャンプの人ではなくシューティングをする若者たちが、パンパンと的を目掛けてピストルを撃っていた。2時37分に第4駐車場に戻ってきた。駐車場には他に5台くらい車が停まっていたが、ぼくが一番早く戻ってきたので、皆さん喧騒の沖武尊までの往復だった様だ。ご苦労様です。
帰りは直ぐ下の『ふじやまの湯』は寄ったばかりだったから、『湯郷小住温泉(こじゅうおんせん)』という日帰り温泉に寄って行く。源泉掛け流しの露天風呂で、幸い余り多くの人も居なかったが、そこそこの温泉といった感じだろうか。また来たいと言う程でもなかった。露天風呂が物凄い急斜面に面していて、上に大きな岩も見られるので落石がありそうだ。二面ある露天風呂の一面は、それがために湯が張ってなくて休止になっているのだと思う。岩が落ちてくる落石風呂ではたまらない。アブが多いので、蝿タタキが幾つも浴槽の縁においてある。うっかりすると血を吸われてしまうから、よもや目をつむってのんびりの入浴はできない。
入浴後はさっぱりと帰路に着いた。
剣ヶ峰山は山頂下の台地にテーブルとベンチがあって最高の展望台です。天気がもう少し良ければ尚良かったです。獅子ヶ鼻山は鹿俣山からの往復でしょうね。鹿俣山は登っていますが、獅子ヶ鼻へは密藪です。全くトレースもないですね。残雪期以外は無理でしょう。距離が短いから雪のない時に挑戦したいですね。
今週はアルプスお預けになりました。お天気もさることながら、予定していた登山口が通行制限で予定が立たなくなったことが原因です。また計画の練り直しになりました。
アサギマダラは人を怖がりませんね。いつまでも見ていられました。