Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

山と雲

2007-06-24 09:40:52 | 民俗学


 子どものころは盛んにすぐ近くの山の雲の様子を見ながら「これから雨になる」とか「これから晴れてくる」ということを予想していた。子どもながらにそんな予測は結構当たっていたもので、経験からくるものだったと思う。毎日のように山の近くで雲や霧の動きを見ているのだから、その様子である程度は解ってくるのだ。もちろん大人もそんな様子をうかがいながら隣近所で話すことがあってそんな会話を聞いたこともある。だから大人から教えてもらったものもあるのだろうが、実際はそんな助言を持ちながら自ら経験を積んで実績をあげていったように記憶する。

 ところがだ、そんな予測の方法をこのごろは忘れてしまった。山に掛かる雲の様子ではなかなか天気予測をできなくなったし、その最たる要因は、山が遠くなったせいかもしれない。生家からは、すぐそこに山が見えていて、意外にもその山は雲の動きで天候が一変したものだ。ところが、今すんでいる場所から見える山の様子をうかがっても、雲の動きがよく見えないのだ。見えないとはどういうことかというと、動きが小さいせいか、全体的な雲の様子がつかめない。加えて雲の動きそのものもその山は少ないように思う。そう考えてみると、生家のすぐ東にそびえていた山は、天気変動を予測するには好都合な山だったのかもしれない。そんな山が世の中にはいくつかあるのかもしれない。


 さて、『上伊那郡誌民俗編』より山あるいは雲の動きから天候の予兆として捉えられていた事例を拾ってみる。

 権兵衛峠がすくと天気がよくなる(富県・西箕輪・辰野西)。
 権兵衛峠がくもると雨になる(富県・西箕輪・辰野西)。
 権兵衛峠に夕焼けがすると天気がよくなる(富県)。
 高烏谷山に雲がかかると雨が降る(富県・東伊那)。
 駒ケ岳が晴れると天気はよくなる(辰野西)。
 西駒へ朝日がささない時は、雨か曇りになる(東伊那)。
 守屋山の上から入道雲が出ると夕立がある(辰野西)。
 西駒ケ岳が曇ると雨になる(辰野西)。
 駒ケ岳がはっきり見えると雨になる(辰野西)。
 羽場の方に一面に霧がかかると雨が降る(辰野西)。
 大城山に雲があるとたいてい雨が降る(辰野西)。
 瀬戸へ朝霧が出ると雨が降る(伊那里)。
 双子山に雲がかかれば夕立がくる(伊那里)。
 仙丈に霧がかかって見えないときは夕立がある(伊那里)。
 戸倉山に霧がかかるとち雨が降る(伊那里)。
 霧が分杭峠に出れば雨が降る(伊那里)。
 泣きづら山に雲がかかると雨になる(伊那里)。
 駒ケ岳から扇子状に雲が出ると雨になる(西箕輪)。
 板沢へ雲の橋がかかると雨(西箕輪)。
 西山の裾を横雲が通るとその日のうちに雨が降る(竜東)。
 雲が南へ行くと天気がよくなり、北へいくと悪くなる。
 朝、西に青空がでると天気がよくなる。
 南の空が曇ると天気が変わる。
 乾の方向へ雲がいくときは大洪水が出る。
 丑寅の方向へ雲がいくときは大風が吹く。
 曇っていても北方が明るなると晴れる。
 虹が天竜川を渡ると雨になる。
 西山へ虹が立つと雨が降る。
 霧がおりると天気がよくなる(辰野西・東伊那)。
 近くの山に霧がおりると雨が降る。
 霧が上に向かうときは天気が変わる。
 山の中腹に霧がかかれば雨が降る。
 沢山に大きな雲が出ればかなず雨(手良)。
 中坪の千間山に雲がある時は雨(美篶)。
 南駒が曇ってくると雨(七久保)。
 穴山に横雲ができると雨(中沢・赤穂)。
 今なぎ山に横雲ができると雨(赤穂)。
 焼枯に横雲ができると雨(七久保)。
 三林に雲がかかると雨(上片桐)。
 小僧泣かせが曇ると雨(中沢)。
 南駒が曇ると雨。百間なぎが曇ると雨(中川西)。
 陣場形山に雲がかかると雨(宮田)。
 小八郎が曇ると雨(七久保)。
 東山の地獄谷に霧がかかると雨(赤穂)。
 岩の沢に朝霧がかかると雨(宮田)。
 烏帽子が降ると里も降る(七久保)。
 烏帽子に日がさすと晴れる(七久保)。
 高烏谷山が見えると晴れ(七久保)。
 泉原に霧がかかると雨が降る(美和)。
 五郎山の上が曇ると雨が降る(高遠)。

 このほかにも天候に関する自然の兆候から予測する事例はいくつもあげられているが、その中でも山にかかる雲の様子や霧の動きなどを中心に拾ってみた。○○山に雲が掛かると雨が降る、とか○○山の雲が南に移動すると晴れる、なんていう事例は、まさにわたしが経験したような事例となる。このごろは山が遠いからあまり山の様子で予測できなくなったと述べたが、同じ山を毎日のように眺める余裕すらなくなったことも要因かもしれない。この春からは、犬とともに毎朝散歩に出かけるようになり、朝の山の様子はこのごろになくうかがうようになった。しかし、昔は朝も夕方も、電車に乗る際の傘を持つか持たないかという判断で盛んに様子をうかがっていたようにも記憶するわけで、子どものころの方が持ち物に気を使っていて、「なるべく物を持ちたくない」「軽くしたい」という意識を常に持ちながらいたから、そんな天気予測に執着していたのかもしれない。

 撮影 2007.6.23(尖がっている山は塩見岳)
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