Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地方都市の地方虐め

2007-06-18 05:45:57 | 農村環境
 佐久地域広域連合で30年以上共同運営してきた火葬場とは別に、佐久市が単独で新たな火葬場を建設するといって、同じ広域連合内で不協和音が生じているという。同広域連合内には二つの施設が現在あるという。小諸市と小海町にあるが、この地域にはもともと南と北という二つの郡域があったことから、それぞれの地域で一箇所の火葬場を運営していたのだろう。それが郡は現在でも二つあるものの、北の中心であった佐久市と南の中心であった臼田町が合併して佐久市になってしまったということで、ふたつの地域、今は同じ地域としてとらえられているものの、全体が一つという意識は今ひとつという印象がある。それが今回のような佐久市の独り善がりな行動を生む。関係者でもないから独り善がりというのも言い過ぎかもしれないが、これから先、同じような現象は全国的に起きるだろう。

 佐久市が単独で火葬場を建設するという意図は、広域施設に対しての運営費負担を減らすためだという。なぜ広域だと負担が大きく、分散すると負担が小さくなるのか、具体的なことはわからないが、一般的には広域的な施設の方が経済的だと思うのだが違うのだろうか。火葬場というものは、自治体に一つずつあっても運営できるものではない。それほどフル稼働するほどのニーズはないはずだ。となれば、自治体の枠を越えて火葬場を運営する自治体や、あるいは広域施設に頼らざるを得なくなる。病院などの場合でもよく聞く話であるが、小さな自治体に自前で運営できる施設を設置することは財政的に無理である。となれば小規模地域は地域の中心的市部の力を借りたり、広域体を設けて助け合ったりすることが必然となる。「市営病院なのによその町の患者がたくさんやってきて、市民が苦労するようでは本末転倒」という言葉もあるが、だからといって小規模な自治体は自分でなんとかしろというのも不可能だ。しかし、いろいろな場面でこのごろはそういう言葉を聞く。そして自立を選択したからには当たり前だ、とあからさまに言う人も少なくない。「それが嫌なら合併しろ」とまで言う。自治体がそけほど大きくなかった時代には単独運営は難しかったものの、自治体が大きくなるに従い単独でも運営できる規模になる。すると佐久市のように「よそと一緒にやらなくてもいいだろう」ということになる。地域でたまたま中心にあったから立地条件は良いに決まっている。そこへ集中的に人々が集まりだしたから、たまたま隣接していた二つの地域の中心地が合併した。ただそれだけのことである。自分たちはもう一人歩きできるようになったから、あとはあなたたちで頑張ってください、みたいな行動は、やはり独り善がりというものではないだろうか。しだいに取り残された小規模自治体は身動きできなくなる。予想されたことではあるが、地方であればあるほどに大きくなった中心自治体の行動は問われると思うが違うだろうか。もしかしたら東京都と地方との関係に似ている。
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