Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

包装のあり方

2007-06-25 08:30:43 | ひとから学ぶ
 包装紙や買い物袋は、最近は変化してきた。ご存知のように買い物の際に「このままでよいですか」とコンビニでも聞くのが当たり前になっている。レジ袋がどれだけ環境に負荷を与えているかは、情報がいろいろであるが、ダイオキシンが話題になる前は問題のある袋が多かったのだろうが、今や燃やしても有害なものが出ない袋がレジ袋では一般的だ。むしろ市販されている袋を購入したほうが、危ないといえるかもしれない。それは、レジ袋は捨てられるのを前提に作られているためで、いわゆる行き場所がある程度限定されているからだ。

 POFニュースというページにおいて、レジ袋について触れている。2003年のページだから現在とはまたデータ的には異なるのだろうが、「レジ袋が欲しい人24%」とレジ袋を欲している人も少なくない。悪の根源のように捉えられて利用しないことが環境配慮のレッテルのように言うが、それだけではないだろうと思う。レジ袋有料化が現実味を帯びてきたこのごろ、レジ袋がどう利用されているかちょっと考えて見る。自宅のどこかにレジ袋を丸めて保存している家庭は多いだろう。なぜかといえば利用価値があるからだ。発泡スチロールのトレイを保存している人はなかなかいないだろうが、レジ袋は保存する。何に利用するかといえば、人に野菜でもおすそ分けしようとすればレジ袋に入れる。ちょっとしたものをくるんでバックのどこかに入れたり、分別する際にもよく利用する。何よりレジ袋は大きさがさまざまなところがよい。これをもし店で売っていたとしたら、1枚単位では売らないだろうから、百枚単位ごと購入てなことになるだろう。そうすると規格のまちまちなものを手に入れるということはなかなか難しくなる。とはいえ、確かに何を買うにも、そして一点を買うにも袋に入れてくれると袋はあり余る。それほどたくさんのレジ袋を利用する用途はない。だから近ごろの多くの人がコンビニを多用しているなかで、コンビニのレジ袋の対応の仕方はいい感じになっていると思う。

 そのいっぽうでスーパーなどのレジ袋だ。毎日買い物をするような人はともかく、週に数回、あるいは1、2回という買い物だったら、あのでかいレジ袋は結構利用価値がある。保存してあるレジ袋の多くが、幅20センチ程度の小型のものだ。前述のコンビにでの買い物ではこのタイプが多い。もっと大きなものをと探すと、意外にも少ない。ところが野菜をおすそ分けしたり、衣類をカバンの分別して入れようとする際に使いたいような大きさのものは大型のものとなる。とすると、スーパーなどでたくさん買い物をする際は、このレジ袋が大変ありがたいのだ。確かにマイバックを利用することにこしたことはないが、燃やしても有害なガスを出さない袋を手軽に利用できるという事実もけして環境負荷の悪玉ではないと思うわけだ。POFニュースのQ&Aにも
「ごみを出す時に、スーパーなどで貰ったレジ袋を使ってはいけないのでしょうか」というものがあり、回答として次のようにある。

「レジ袋を含めポリ袋は、燃やしても有害なガスなど出しませんから、ごみ袋には適した素材なのです。使い終わったレジ袋に生ごみなどを入れて捨てるのは、衛生面や防臭等の点からもむしろ望ましいといえます。もちろん、水を十分に切ってなかったり、分別ルールに反するものを入れたりしてはいけませんよね。最近では、レジ袋をごみ袋として再利用することを積極的に認めている自治体もあるぐらいですが、ごみの行政は各自治体によって異なりますから、一度確認をしてみて下さい。 」

とある。ここで問題になるのは、やはりモラルとなる。レジ袋はほとんど白くて中が透き通らない。だからゴミ袋に入れるにもレジ袋に一度くるんで入れると中がよく見えない。ということは中身を偽る、という行為にはうってつけであって、レジ袋が悪玉に捉われる要因にもなっている。レジ袋は使わずに新聞などにくるんで入れてください、なんていう説明をすることもあるが、新聞でくるむのが果たして本当にベストなのかどうなのかも疑問はある。

 ということで、レジ袋よりも問題なものがあると思うがどうだろう。

 先日ある博物館で本を購入した。PP系のちょっと分厚いビニール袋にその本を入れてくれる。上には持ちやすいように取っ手用の穴が開いていて、もしかしたら下げて歩いても格好良く見せられるように考えているのかもしれない。透明だから何が入っているか一目瞭然である。よくみると片面に「○○博物館」とちょっと格好よく博物館をイメージ化した図柄と博物館の名前を入れたシールが貼ってある。宣伝効果を狙っているのだろうが、包装紙の原材料を示すような表示はされていない。この場合貼ってあるシールは紙だろうとはがそうとすると、うまくははがれない。たまに経験するのだが、上手にはがそうとすると、べったりビニールについている部分と表面が分離してめくれてしまう。仕方ないから捨てる場合にも分離することはせずに、そのままビニールとして廃棄することとなる。ちょっと格好のよい袋だから捨てることを前提に考えていないのかもしれないが、これは考えようによってはレジ袋以上に手ごわい問題だ。

 長野で単身赴任していた際、自宅から玉子を持ってくることを忘れ(玉子は妻の実家の地鶏の玉子)、玉子を買うことにした。常に地鶏の玉子を食べていたから、一応気を使って高級なものを買ったのだが、ケースの貼紙に容器などの材質が表示されていて、もちろんラベルは「紙」というリサイクルマークがある。ということではがそうとするが、前述の博物館のものと同様に、うまくはがれないのだ。仕方なくそのままプラスチックとしてゴミに出すことにしたのだが、せっかくリサイクル表示されていてもはがれないとなると意味をなさない。

 さて、博物館で袋に入れてくれる際に「不要です」と言えば良かったのに言えなかった。そんな経験も多いのだが、手早く作業をされていると制止しして「待った」とは言えないときもある。これもまた人の迷いの世界で経験の楽しみだ。ということでまたいつかそんなことも触れたい。
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