Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ネット記事の引用について

2007-06-09 09:34:23 | ひとから学ぶ
 6/3中日新聞朝刊の文化欄に「若者を包む宗教環境」というカルチャー記事が掲載されていた。国学院大学の井上順孝氏の記事である。「学生の書くレポートにネット上の記事をそのまま引用する例がここ数年急増していて、教員の悩みの種である。昨年私が担当した学生の卒論が、ネット上の記事を丸ごとダウンロードしたものだということを発見したときは、怒りよりも、虚しさがまさった」という。ネット上の記事を引用しているのかどうかなどというところまで確認することはできないし、ネット上に無記名で掲載されているものは、どちらかというと利用されてもあまり文句も言えない。そんな記事は山ほどあって、今や人の意見や文を、いとも簡単に自分の意見に引用してしまうことなどごく簡単なことである。

 仕事上でも、同僚たちがネット上で検索してはそれらの資料を引用する姿を見て、ネット上の資料がどれほど信憑性が高いかどう確認しているのだ、というようなことを言ったことがあった。従来の論文なら引用文献という形で記載しただろうが、このごろはインターネットのアドレスなんかを引用文献一覧に掲載していたりする。しかし、そのアドレスがいつまで存在しているかはわからない。消え去ることは日常的だろう。ということは、その引用先が、誰のものなのか、あるいはどういった背景のものなのかまったくわからなくなってしまうこともある。だからこそそういう引用はなるべく避けようと条件をだしたくなる。

 わたしが仕事上で引用を避けようといっていたのはもう何年か前のことであって、井上氏の記事を読んでいると、学問の世界でも今やネット上の引用は当たり前のように行なわれているようだ。ネットが登場したことで、人々が言葉を発する機会は多くなったかもしれないが、いっぽうで責任のない言葉が溢れているということになるだろう。それを引用するのが良いとは思えないのだが、学問の世界ではどう規制しているのだろうか、気になるところだ。
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