Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

給水量と下水

2007-06-10 09:51:21 | ひとから学ぶ
 「江戸名所図会に見る下水」「井戸と下水溝」で下水に触れてみた。不思議なことに節水しても下水の単位排水量は変わらない。上水にしても下水にしても、1人1日どれだけ給水するか、あるいは排水するかという基準の数値というものがある。それがなかったら、上水施設も下水施設も容量は決まらない。しかし、世のなかが環境に優しいとか、あるいは消費エネルギーを減少させようとすれば、給水にしても排水にしても必要量は減少するはずなのだが、その割にはそんな視点の数値は人前には現れてこない。

 合併浄化槽では、一般住宅における1人1日あたりの汚水量を200リットルとしている。その内容は、便水50、台所30、洗濯40、風呂50、洗面20、掃除用10と想定しているのだ。また、田舎の下水道である農業集落排水では、1人1日300リットルとしている(近ごろこ270リットルに基準が変わったようだが、なぜ変わったかといえば実績によっての修正だという)。たとえば200リットルの内訳をみたとき、自らあまり料理をせず、カップラーメンばかり食べていたり、あるいは外食ばかりしていれば30リットルが多いのか少ないのか一概にはいえなくなる。もちろん外食していてもよそへ行って排水しているから原単位はそれほど変わらないといえるかもしれないが、洗濯や風呂にいたってはその回数で排水量は明らかに違ってくるだろう。年寄りなら毎日洗濯したり風呂に入ったりしないだろうから、老人世帯では排水が少ないだろう。もっといえば昔の暮らしなら水を無駄に使うことはなかった。水洗化によって暮らしは快適になったというかもしれないが、水洗化ということは水を使うわけで、たまたま稲を作らなくなって世の中に水が余っているように見えるかもしれないが、これが増産時代の戦後間もないころだったら、水争いで大変なことになっていただろう。いずれ食料不足がやってくるといわれているが、果たして下水にまわす水はどうなんだ、などと考える人も今はいないだろう。

 さて、水道の利用量に比例して下水道料金が上下するシステムは日本中の常識だろう。給水量は、1日あたり710リットル程度が1戸当たりの値だという。この給水に対しての排水量は給水量に対して80%から90%という。10から20%が洗車とか散水に利用されているということになる。しかしこれもあくまでも平均的な想定値であって、個々違うだろう。我が家のように植木に水道水を利用すると、そのまま下水道料金に跳ね返る。それを解消することは水道を利用している以上不可能だ。どうしてもそれが嫌なら井戸を掘るしかない。せっかく作ったのだからといって、下水への加入を促進するが、人それぞれ生活スタイルが違うのだから、必要ないと思う人がいても当然かもしれない。
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