Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

空間に生きる

2007-06-27 08:26:50 | つぶやき
 空間はたたずんで車窓の色は流れる。電車の中でさまざまな世界を見ることができればと思うが、常に空間は変わりばえしない。しかし、変わりばえしないから、こうしてゆっくりとキーをたたく。夜9時以降の電車は空いていて、自由きままだ。人が少ないから、隣近所の会話がよく聞こえる。耳を済ませてみよう。そこからまた違う世界が見えてくるかもしれない。

 今日は教育論議だ。年配の方が飲んできたのだろう、機嫌よく会話が続く。話の様子では教育者だったようだ。いや、だったではないだろう。きっと今でも教育者てある。教育者はいつまでたっても教育者だ。退職してもその道を抜けることはない。考えてみればだれでもそういう傾向はあるかもしれない。サラリーマンだって技術畑にいた人は、退職しても技術者だ。そういう意識を持っているから、それが人間としてのプライドになるのだろう。しかし、そうした意識を強く持つ人たちは、自信ある経験を積んできた証なのかもしれない。ところが自らはどうだったと問うまでもない。自らは退職してもそれ以前の自信を口にすることなどまったくないだろう。それは自信がないからだ、ということにもなるかもしれないが、地位も意識も果てしなくくすんでいる。

 「○○は勉強が足らん」などというフレーズが耳に入る。きっと地位を持つほどに人はそうして評価される。でもそれはこの空間での、年寄りたちの言葉に過ぎない。どこまでも人は人を口にしながら棺桶の蓋を開ける。どこかに自分の逃げる場所はないか、どこかに自分の身をおく場所はないかと、永久の空間を探す。とはいえ、あの世において自らの意識があるはずもない。

 男たちの生前の栄光は、こうして声高らかに中を飛ぶ。そんな意識をもてるのは、今までは男に限られていた。女が退職しても自らの道をくどくど言っていたら、誰も相手にしてくれなかったにちがいない。それがこれからは違うかもしれない。女たちが電車の中で生前の経験を持ち出して人を評価していたら、ちょっとたまらない。井戸端会議なら許せるが、不特定多数の空間でそんなフレーズか飛び交ってほしくない。


 自らが何処に行こうが、つまるところあの世であることに変わりはない。そのあの世で死して何を見ることができるというのだ。死して、銅像の建つ者もあれば、勇敢に戦ったとしばらくの後まで語り草になる人もいる。しかし死したことに変わりはないし、そこに歴然とした生前のような格差が存在するはずもないのに、この生前の世界は、死者にすら階級を与える。靖国とはまさにそんな存在の象徴かもしれない。いかに偉大に生きることが大事かと、人々は認識を強める。

 何も必要ないと悟ったのはこのごろだろうか。その先に何があろうと、どうされようとこの世の終わりにわたしは無言でさよならだ。

 かつて社会にたてついていたころの自分の詩とは、こんなようなものが内的なもの、そして外的にはもっと和らいだ「死」を見据えていた。しかし、内的なものこそ自噴してきた言葉であって、どこにも行きようがない若さゆえの苦しみをもっていたと思う。比較して人はものを言う。対比するものがないとなかなか人がみえなかったりするからだ。そんな比較が嫌だと逃げると、大人に嫌われた。

 さて、教育論者の言葉がどれほど意味を持つかは不明だ。誰も彼も酔いにまぎれると大きなことをいう。そして人を批評する。そんなものさ、と思うが、そんな逃げができるから人は生き続けられるのかもしれない。悩み多き時代である。自らが良かれと思っていても、なぜかそれだけでは生きられなくなったような気もする。自由を奪われた子どもたち、そして大人たち、どこか遠くへ逃げておくれ、と寒々しく言葉を吐くだけだ。


 朝、いつも近くの席で同じ駅で乗る女子高生がいた。このごろそこから一人欠けた。その前兆は以前からあった。リーダー的な投げやりな女の子、まじめそうでおとなしい女の子、そしてどちらともないがリーダー的な子に従う女の子。その先は見えてくる。狭い空間で生きるとは難しくもあり、いとも優しい構図であったりする。事実は事実としてそれ以上のものはないが、大人にはどうすることもできない空間現象である。
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