Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

郡境域の実感

2006-07-31 08:10:22 | ひとから学ぶ
 郡境域の意識ということを先日も触れたが、ここに具体的なことをひとつ例にとってみる。

 信濃毎日新聞社が発行している地域の無料の新聞がある。「週刊いいだ」あるいは「週刊いな」という新聞である。普通の新聞の半分の版で、ページ数は最近号をみると「週刊いな」は8ページ立て、「週刊いいだ」は12ページ立てである。どちらも基本的なスタイルは似たようなもので、以前のものはもっとよく似ていたが、最近のものを見る限り少し雰囲気は変えてある。編集している会社が違うのだから違って当たり前なのだが、以前は同じ会社が作っているのかと思うほどよく似ていた。

 このふたつの新聞はそれぞれ新聞の名前の通り、「いな」は伊那市を中心とした上伊那郡をエリアとして、「いいだ」は飯田市を中心とした下伊那郡をエリアとしている。発行部数はほぼ同じくらいであるが、同紙には配布エリアというものが記されている。普通なら上伊那郡と下伊那郡に明確に分離されれば良いものなのだろうが、実は重複しているエリアがある。最近号の配布エリアによると、「週刊いいだ」には飯島町の一部と中川村の一部に配布しているとある。両者は上伊那郡である。「一部」とあるからその一部とはどこなのだ、と興味も湧くが、詳細はわからない。わざわざ配布エリアを明示するのにどういう意図があるのか、と考えたりする。いっぽう「週刊いな」には下伊那郡内のエリアに配布しているような明記はないが、実際は下伊那郡松川町まで配布されている(一部地域なのか全域なのかはわからないが)。こうしてみると、郡境域の隣接地には、両者が配布されているわけだ。そしてわが家はそのエリアにあるから、両者が新聞に入ってくる。前述したように信濃毎日新聞社が発行元だから、同紙を購読している人に無料配布されているのだろうが、なぜエリアが重複するのか、ということになる。実はこれは簡単なことで、新聞店のエリアに関係しいるようだ。地形上から新聞配達のエリアを分けたら、上下伊那の郡境は、たまたま一つのエリアに入っていた、程度のことなのだとは思う。

 当初こうした重複エリアのことを知ったとき、昭和の合併によって上下伊那の郡境が変更されたことがまだまだ尾を引いていて、そういうことに配慮されて重複しているのだろう、程度に思っていたものだ。しかし、現実はそんなことが理由ではなかったのだろう、と最近は思っている。

 これらの新聞は週刊であるが、別に「月刊かみいな」という新聞もある。その名からして上伊那郡をエリアとした新聞なのだろうが、発行部数が「週刊いな」に比較すると1.5倍ある。おそらく信濃毎日新聞の購読者以外の新聞を購読している人にも配布されているのだろう。68ページ立てという分厚い新聞で、これもまた無料である。この新聞もまた、配布エリアとして松川町がエリアになっている。細かい話ではあるが、「週刊いな」は配布エリアとして岡谷市川岸の一部が明記されているが、この「月刊かみいな」には川岸は明記されていない。実際のところはどうなのかわからないが、ほかの隣接地よりも上下伊那郡境域が、曖昧な世界であることがうかがえる。

 さて、両紙が配布されるということは儲けたような気がする。両地域の情報がそこにはある。どちらにも距離的に似かよっているものがあるから、そうした情報を与える側も、郡境域という意識ではなく、コマーシャルエリアとして捉えているだけなのかもしれない。しかし、現実的にそこに暮らしている人たちの気持ちは、そんな単純なものではなくなる。それが人の心なのである。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****