Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

消えた村をもう一度⑤

2006-07-12 08:09:45 | 歴史から学ぶ
 昭和54年3月に発行された「信州望月」は、B6判の34ページ立てのパンフレットで、前回の上山田町のものと同様しっかりした冊子である。このころの観光パンフレットをみると、こうした冊子風の立派なものが多い。流行だったのかもしれない。パンフレットを見れば(読めば)、ほぼその地域の特徴がわかる、そんなオールラウンドな作り方である。今のパンフレットのように観光地だけをクローズアップしたものではなく、文化財、それもかなりマイナーなものも時には光を当てていて、かつてのパンフレットの方が「やらせ」が少なかったのではないかと思う。だから美しい今のパンフレットよりもずいぶん価値あるものに仕上がっていると思う。

 旧望月町の中心部は中仙道望月の宿にあたり、この町は平成17年4月1日に新佐久市にという形で合併したが、よそからみると吸収されてしまったという感は否めない。北佐久郡望月町であるからその中心地である佐久市と合併するのは必然なのかもしれないが、望月の中心部から佐久市中心部まで距離はけっこうある。今でこそ国道のバイパスが整備されて連絡は良いが、昔のイメージならちょっと〝遠い〟という印象がある。パンフレットの背表紙にある位置図をみると、まだ中央自動車道は全通しておらず、伊北インターから大月インターあたりまでしか開通していない。

 中仙道の宿場町ということで、パンフレットでは宿場町のことを中心に触れている。そして文化財、温泉、蓼科山の北側の高原地帯を紹介してまとめている。わたしがこの望月町に興味を示したのは、パンフレットでも触れられているが、「石仏の里」としてとりあげられている道祖神に始まる。このパンフレットとは別に、「石仏の里」という別刷りのパンフレットを送っていただいた。そこには望月町の特徴ある石仏が案内図に示されており、代表的な石仏を回るには十分の内容である。このパンフレットを参考に実際にわたしのように石仏を訪れた人は、おそらく少ないとは思うが、そんなマイナーな案内がされていることに驚く。しかし、この案内図には示されているものの、望月町でも特徴的なものといえる万治の石仏が写真として掲載されていないのは少し残念である。紹介しいる冊子の中でも道祖神について触れているのだが、道祖神といえば安曇野というイメージがあるが、意外にも望月の道祖神も特徴的である。

 実は望月町を意識したのは石仏を訪れたよりも早く、20年以上前に仕事で行ったのが最初である。何度か現場を訪れ、近くにあった春日温泉に2度ほど泊まった。今もその温泉宿があるのか知らないが、印象深い。その後平成になったころ、鹿曲川林道を大河原峠まで走ったことがあったが記憶にはあまりない。

 写真は入布施にある双体道祖神である。光の具合で見難いが、向って左側の像は右手を、右側の像は左手を上げて拝んでいる姿で、片手で拝んでいる像は珍しい、というよりは他に例をみない。右側の像の方が背が高いから男の神、左側が女の神という設定なのだろうか。普通男女神を刻んだものは、左が男、右が女、という設定であるから、この像は逆である。容姿だけでは必ずしも男女を現しているかどうかははっきりしない。昭和58年9月18日に撮影したものである。



 消えた村をもう一度④
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