Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

最後の部活

2006-07-03 08:13:50 | ひとから学ぶ
 息子の中学部活生活は、早ければ6月中旬には終わり、次のステップへという考えであったが、郡大会での上位入賞に引き続き、南信大会でも上位入賞し、いまだに続いている。母は「県大会行かなくてもいいんだよ」というが、息子は嫌そうでもない。昨年までは常にレギュラーとしてメンバーに加わっていたが、しだいにダブルスの選手にされ、さらにはレギュラーからはずされていった。もちろん実力的にもそんな程度なのかもしれないが、長時間の練習に絶えず出ていることが優先された。長時間練習しているのだから、へたくそだった子どもたちもそこそこの実力をつけてきた。すべてが部活ではなく、部の数名の積極的なメンバーによる自主練習という時間が長い。そんな練習に出て行っても、その数名の子どもたちの言うなりで、彼らには、玉拾い程度でしかない。

 郡大会では予選で2試合ほどなのだろうか出場したようだ。南信大会では絶対勝てないという下條中学との決勝戦にだけ出場した。県大会に行っても、おそらく出してはもらえない。加えて、個人で1人だけ県大会に出場する選手がいて、団体戦の翌日に行なわれる個人戦の応援に行くように、といわれているようだ。母は「2日目は絶対行かなくてよい。行くなら自分で弁当作って、自分で歩いていけ」とまでいう。息子が卓球部で受けたいじめの根は深い。息子の部活の不運を作り出した数名の同年生の1人に、個人戦に出場する子どもがいた。だからそんな子どもたちの応援に行く必要はない、そう言うのである。「行ったら馬鹿だ」とまでいう。

 息子が部長を退く際に、いじめた子どもたちが息子にはもちろん、母にもずいぶんひどいことを言ったようだ。そのことは母にとって大きい。息子が続けたいというから母も続けることに異論はなかった。しかし、父は「そこまでされて残って気持ちよくやっていけるのか」と何度も聞いた。母は「ひどい3年間だった」というが、続けたのが良かったのかどうか、今問い直しても仕方がないが、ちょうどこの3年間、父が単身赴任しているという現実は、父には何もしてあげられなかったという悔いだけが残る。だからといって、わたしがいて何が出来たのだろう、とも思う。しかし、あまりにも理不尽で、先生の対応への行動も、母よりは父の方が大きかっただろうと、母はいう。

 南信2位という成績から、主力や先生は北信越大会まで狙っているという。県大会で出場機会がなかったら、きっとわたしも「もう行かなくて良い」というに違いない。
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