Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ハエとり

2006-07-28 08:11:00 | ひとから学ぶ
 「ボッケニャンドリ家のハエ対策」でハエを虫取り網で捕まえる、という話が書かれていた。そういう発想は我が家にはなかった。今でこそハエの数は昔にくらべると激減しているが、かつてはハエなどとまっていても気にもせずにその食べ物を食べるという姿があった。野にハエの好きなものがたくさんあっただろうに、家の中に来ては食べ物の上にとまっていたものだ。もちろんキンバエもたくさん飛んでいた。かつての自分の家を思い浮かべれば、マヤ(牛小屋)はあったし、豚小屋もあった。加えて〝わたしにとっての「便所」〟でも触れてきたように、便所にはウジは湧いているし、生の汚物への連絡道があったから、ハエがわくのも当たり前であった。そんなところにいたハエが台所や茶の間にやってきては、目の前にとまるのだから、確かに気分のよいものではなかった。

 そんなだからまったく「気にしない」ということはなかった。マヤにはハエ取り紙がいくつも吊るされていたし、茶の間にも台所にもハエ取り紙が吊る下がっていた。そういえばそんなハエ取り紙の吊るされた姿は、ずいぶん昔の記憶このごろはで見たことがない。今でも作られているのだろうか、あるいは売られているのだろうか。マヤに吊るされていたハエ取り紙は、真っ黒になっていたことを思い出す。それでも牛の顔にたくさんのハエがとまり、牛も気になるのだろう、手(足)で払うわけにもいかず、顔を動かしたりして振り払っていた姿が浮かぶ。

 さて、そんな我が家のハエを取る方法に、「手で取る」というものがあった。それを実践していてとくに上手だったのが母である。飛んでいるハエを、両手でさっと挟んで取ってしまうのだ。拍手を打つがごとく、さっとやってしまう。その見事さは感動ものだった。同じような所作は、父も祖父母もやっていたが、母の機敏な動きには勝てなかった。そんなハエの取り方がしてみたいと、わたしも真似たものだが、当時はうまくはいかなかった。それでもハエ叩きが近くに見えず、探すのも厄介となると、今でもそんな取りかたを実践する。とくに確実なのは、とまっているハエの飛び立つところを狙って拍手を打つと、けっこう捕獲できる。ハエは飛び立つ際に、ほぼ真上に飛び立つため、その動きを想定して狙うのだ。こんなときよく失敗するのは、拍手を打ってハエがつぶれて手のひらに〝グチャッ〟とつくのを嫌っていると、両手の平の間に捕獲はできるのだが、〝取れただろうか〟と手の平の様子を伺うと逃げてしまうのだ。そんな失敗がよくある。〝グチャッ〟となってもいいとあきらめて確実につぶすつもりで叩くと見事にハエは死ぬのだ。このとまっているハエの取りかたを覚えてくると、飛んでいるハエも取れるようになる。生まれ育った我が家のハエ取り方法は、わたしに伝承されたが、そんなワザを使うほどハエはいなくなった。
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