会社形態のウンチクの続きです。もうしばらくお付き合いくださいませ。
4.合資会社
出資者=経営者、である点は合名会社と同じですが、その他に出資のみ行う者も
参加しているという点で、合名会社とは異なります。
とはいえ、その他の出資者も、親族や知り合いだったりすることが多いですから、
家族経営の小規模な会社であることには変わりないです。
当然、これを採用している蔵元も小さいものが多く、その数も少ないです。
例えば、
・植園酒造合資会社、
・合資会社甲斐商店、
・村尾酒造合資会社、といったところ。
ちなみに、村尾酒造といえば村尾さんが1人で全ての仕事をこなしていることで
有名ですが、合資会社という会社形態を採っていますから、資本的には他にも出資
者として参加していらっしゃる方がいるということなんでしょうね。
5.個人事業
会社としての形態を採っていない、いわゆる個人経営の形態です。
個人的な財産や信用において経営していますから、当然小規模となります。
また、敷地や設備などは全て個人の財産です。
この形態をとっている南九州の蔵元は、宮崎の3つだけだと思います。
・川越酒造場
・岩倉酒造場
・落合酒造場
やはり、どこも小さいです。
ちなみに、会社の形態を採っているところは法律で「○○会社」と名前をつけな
ければならないことになっていますし、逆に個人経営のところが「○○会社」を
名乗ってはいけないことになっていますから、上記の3蔵はいずれも「酒造場」と
名乗っていますね。
岩倉さんと川越さんは、経営者である個人名もラベルに併記されています。
あと、余計な心配なんですけど、個人経営の蔵元さんについて、
例えば不幸があった場合の相続(縁起でもないですが)などの場合、余計な手間
がかかってしまうので、形だけでも会社の形態を採られた方がイイんじゃないか
な~、なんて思っています。余計な心配ですが…。
ただし、逆に、個人経営=小さい=丁寧な造り、というセールスポイントになって
いるとも言えるかもしれませんので(現に上の3蔵は小規模少量生産だからこそ
人気がありますし)、その辺り何とも言えないところですが。。。
6.協業組合
もともとは小さな別々の会社(または個人事業)だったものが、合体して一緒に
経営をしているという事業形態。
小さな事業所では大手の生産・流通に対抗することができないため、それらが合体
して一体的な経営をしているというもの。
これは「中小企業団体の組織に関する法律」において、昭和40年代前半ころに
規定された企業形態のようです。
時期的には高度成長期のころですから、焼酎の瓶詰めなどオートメーションが
進んでいた時代ということになります。
そんな中、複数の蔵元が別々で造った焼酎を、一つの瓶詰め工場にて瓶詰めをする
という形態を採るに当たって、この「協業組合」の形態を採用するのが有利だった
のではないかと思われます。
それ以後、焼酎の仕込み自体も一箇所で集中することとなり、その結果、
「一箇所で仕込み・瓶詰めするけれど、会社形態は協業組合」といったような
現在の協業組合の形になってきているようです。
この形態を採っているのは、
・国分酒造協業組合、
・大海酒造協業組合、
・若潮酒造協業組合、
・寿海酒造協業組合、などがあります。
複数の蔵元が合体していますから、それなりの規模はありますね。
なお、各社のホームページによると、国分酒造協業組合は6蔵の集合、
大海酒造協業組合は9蔵の集合、寿海酒造協業組合は5蔵の集合ということに
なっているようです。
協業組合の蔵元がある地域では、周辺に小さな蔵元が存在しませんが、それは
全部が一つにまとまってしまったためみたいです。
今となっては、小さな蔵元がたくさん存在して、それぞれの蔵の焼酎を飲み比べ
られたら楽しかっただろうな、と思いますよね。
ちなみに、協業組合がその後組織変更して、株式会社になってしまったところも
あります。
例えば、
・大口酒造株式会社、
・小鹿酒造株式会社、
といったところは、つい最近まで、
・大口酒造協業組合
・小鹿酒造協業組合
といった名称だったと思います。
ちょっと古めの焼酎のラベルは、まだこちらの名称ではないでしょうか?
さて、今回このような分類をしてみて思ったのは、小さなところが少なくなっ
てきているんだろうな、ということ。ほんの一昔前までは、小さな個人経営的な
蔵元が今の2倍、3倍はあったそうですから。
経営の集約化、合理化というのは、収支的には必要なことなのかもしれませんが、
いち焼酎ファンとしては、やはり小さな多数の蔵元が乱立して、それぞれの個性
をもって競い合ってほしいと思ってしまいます。
今回の焼酎ブームにより、現在でも残っている小さな蔵元が注目され、収支も
改善できたという点について見れば、それもよかったのではないでしょうか。
以上、長々とウンチク書きましたが、何かの参考になればと…。
4.合資会社
出資者=経営者、である点は合名会社と同じですが、その他に出資のみ行う者も
参加しているという点で、合名会社とは異なります。
とはいえ、その他の出資者も、親族や知り合いだったりすることが多いですから、
家族経営の小規模な会社であることには変わりないです。
当然、これを採用している蔵元も小さいものが多く、その数も少ないです。
例えば、
・植園酒造合資会社、
・合資会社甲斐商店、
・村尾酒造合資会社、といったところ。
ちなみに、村尾酒造といえば村尾さんが1人で全ての仕事をこなしていることで
有名ですが、合資会社という会社形態を採っていますから、資本的には他にも出資
者として参加していらっしゃる方がいるということなんでしょうね。
5.個人事業
会社としての形態を採っていない、いわゆる個人経営の形態です。
個人的な財産や信用において経営していますから、当然小規模となります。
また、敷地や設備などは全て個人の財産です。
この形態をとっている南九州の蔵元は、宮崎の3つだけだと思います。
・川越酒造場
・岩倉酒造場
・落合酒造場
やはり、どこも小さいです。
ちなみに、会社の形態を採っているところは法律で「○○会社」と名前をつけな
ければならないことになっていますし、逆に個人経営のところが「○○会社」を
名乗ってはいけないことになっていますから、上記の3蔵はいずれも「酒造場」と
名乗っていますね。
岩倉さんと川越さんは、経営者である個人名もラベルに併記されています。
あと、余計な心配なんですけど、個人経営の蔵元さんについて、
例えば不幸があった場合の相続(縁起でもないですが)などの場合、余計な手間
がかかってしまうので、形だけでも会社の形態を採られた方がイイんじゃないか
な~、なんて思っています。余計な心配ですが…。
ただし、逆に、個人経営=小さい=丁寧な造り、というセールスポイントになって
いるとも言えるかもしれませんので(現に上の3蔵は小規模少量生産だからこそ
人気がありますし)、その辺り何とも言えないところですが。。。
6.協業組合
もともとは小さな別々の会社(または個人事業)だったものが、合体して一緒に
経営をしているという事業形態。
小さな事業所では大手の生産・流通に対抗することができないため、それらが合体
して一体的な経営をしているというもの。
これは「中小企業団体の組織に関する法律」において、昭和40年代前半ころに
規定された企業形態のようです。
時期的には高度成長期のころですから、焼酎の瓶詰めなどオートメーションが
進んでいた時代ということになります。
そんな中、複数の蔵元が別々で造った焼酎を、一つの瓶詰め工場にて瓶詰めをする
という形態を採るに当たって、この「協業組合」の形態を採用するのが有利だった
のではないかと思われます。
それ以後、焼酎の仕込み自体も一箇所で集中することとなり、その結果、
「一箇所で仕込み・瓶詰めするけれど、会社形態は協業組合」といったような
現在の協業組合の形になってきているようです。
この形態を採っているのは、
・国分酒造協業組合、
・大海酒造協業組合、
・若潮酒造協業組合、
・寿海酒造協業組合、などがあります。
複数の蔵元が合体していますから、それなりの規模はありますね。
なお、各社のホームページによると、国分酒造協業組合は6蔵の集合、
大海酒造協業組合は9蔵の集合、寿海酒造協業組合は5蔵の集合ということに
なっているようです。
協業組合の蔵元がある地域では、周辺に小さな蔵元が存在しませんが、それは
全部が一つにまとまってしまったためみたいです。
今となっては、小さな蔵元がたくさん存在して、それぞれの蔵の焼酎を飲み比べ
られたら楽しかっただろうな、と思いますよね。
ちなみに、協業組合がその後組織変更して、株式会社になってしまったところも
あります。
例えば、
・大口酒造株式会社、
・小鹿酒造株式会社、
といったところは、つい最近まで、
・大口酒造協業組合
・小鹿酒造協業組合
といった名称だったと思います。
ちょっと古めの焼酎のラベルは、まだこちらの名称ではないでしょうか?
さて、今回このような分類をしてみて思ったのは、小さなところが少なくなっ
てきているんだろうな、ということ。ほんの一昔前までは、小さな個人経営的な
蔵元が今の2倍、3倍はあったそうですから。
経営の集約化、合理化というのは、収支的には必要なことなのかもしれませんが、
いち焼酎ファンとしては、やはり小さな多数の蔵元が乱立して、それぞれの個性
をもって競い合ってほしいと思ってしまいます。
今回の焼酎ブームにより、現在でも残っている小さな蔵元が注目され、収支も
改善できたという点について見れば、それもよかったのではないでしょうか。
以上、長々とウンチク書きましたが、何かの参考になればと…。
酒造場ってなにかと思っていただけに・・・
長島研醸さんは昭和42年に共同瓶詰め場を設置したということです
が、他の協業組合が協業化した時期と近いですから、
昔は協業組合だったかもしれませんね。想像ですが。
今でも5つの場所で造ってるんでしたっけ?
1つの会社で5つの免許をもったままなんでしょうね。
>のむりん様
昔は「個人名」の蔵ももっとたくさんあったみたいです。
酒造免許は個人に与えられていたものですから。
焼酎ブーム前までは、小さなところは本当に苦しかったようです。
ブームのおかげでようやく「まともな経営」ができるようになった
ということらしいです。
最近は小さいところも若い後継者がいらっしゃいますよね。
うれしいことです。