KOfyの「倍行く」人生

バイクで人生を“2倍”楽しみたい。勝手気ままな日記代わりの備忘録。

学校法人の退職にあたって

2019年03月28日 | 自分史あれこれ
2019年3月27日に、評議員として大学の評議会に出席し、
2018年補正予算、2019年事業計画、2019年予算の審議をして役目を終え、
残り2日は有休にしたので、27日が最終の出勤になりました。


2017年6月30日から学校法人にお世話になりました。
入職してからの1年間、我ながら一生懸命働き、そのおかげで、理事長から
昨年の6月15日に、法人事務局長と大学事務局長の兼務のポストを打診されましたがお断りをして、
色々なことがあり、2019年3月で退職する旨の退職届を1月29日の大安の日に提出しました。


転職前から転職後のブログを読み返しましたが、
第2の人生をスタートするにあたって、自分の人生訓の
「クールヘッド、ウォームハート、ストロングボディ」、
「作業はシステム、仕事はこころ」、
「大三現(現場、現物、現実)」、
「割り切る、見切る、やり切るの3キル」で
ストラッグルしていたなぁ、と思いました。


今日退職します - KOfyの「倍行く」人生 2017年6月29日

今日から新職場 - KOfyの「倍行く」人生 2017年6月30日

新職場で1週間経過 - KOfyの「倍行く」人生 2017年7月10日

転職後の初めての給料 - KOfyの「倍行く」人生 2017年7月23日

転職して1ヶ月経過 - KOfyの「倍行く」人生 2017年8月1日

転職して2か月経過 - KOfyの「倍行く」人生 2017年9月4日

転職して5か月半が経過 - KOfyの「倍行く」人生 2017年12月14日

新しいプログラムの10日目(6_30)が終了 - KOfyの「倍行く」人生 2018年7月1日

2018年の休日勤務が12月15日で最終 - KOfyの「倍行く」人生 2018年12月16日


2年前に再就職するにあたって考えていた条件を整理しておきたいと思います。

1.今までの仕事で培ってきた能力を生かせる仕事
  (営業、顧客対応、新規事業開発、ネット、経営管理、労務管理など)

2.通勤に時間がかからず、できればバイクでツーキングできる豊中や吹田の北摂方面

3.収入は多くを望まず、仕事に似合った処遇を受けること

4.望まれて受け入れてもらえること

5.フルタイムで65歳まで働けること


以上の条件からして、2年前に再就職を決めたときには、
5つの条件をすべて満たしていました。


中小企業診断士の知識、監査役時代の労基法、労働契約法の勉強、
ネットビジネスを通じて、新規事業の立ち上げを経験したことなどが
入職してすぐに役立ち、仕事を進めるうえで、戸惑うこともなく、
スムーズに対応してきました。

雇った方も良い買い物をしたと思ったことと思います。
その証拠に、事務局長のポストを1年後に打診されました。


還暦を過ぎ、企業年金含めて、ある程度の収入は確保されるので、
収入のために働くのではなく、人からの感謝、尊敬、やりがいなどが
大事な要素と思っていました。
ところが、人に対する優しさ、思いやりなどがあまり感じられず、
残念な気持ちになることが多くありました。


事務局長は、「村社会の『長 おさ』」として君臨したがる人で、
「文鎮型組織」を作り上げてきました。
ピラミッド型組織など意識してなく、頭の中にあるのは
「小所帯なので、組織的な発想や行動は必要ない。」
「小所帯なので、規程やマニュアルなど整備する必要もなく、
 その場で私が判断すればいい。」
という発想の人です。

今までは、全て自分の管轄下で仕切っていたのです。
当然、労務管理は彼の範疇で、当然のように、自分でコントロールしていました。

私は、「出来上がった組織」に入ってきたいわば預かりモノという
発想が大学事務局長にあったと思います。


その証拠に、私の席は、当初、法人事務局長の下と主張していたくらいですから。
私の就職に動かれた会社の先輩の法人事務局長が、強く大学事務局に置くべきと進言し、
とりあえず、間に合わせの席に座らされ、現在に至っています。

大学事務局長から3,4か月前に、座席をラインの長の場所に移るように言われましたが、
「今頃どのような理由で移動するのか?」と言い、こちらから拒否しました


学長兼理事長もほぼ同じ発想で、コストしか頭になく、思いつき発想、
裸の王様状態で学園の将来を語り、他のメンバーに混乱を及ぼしています。


台風21号で被害を受けられた先生方への対応も思いやりが感じられませんでした。

また、組織的な対応を考え、仕事を通じた人材育成をすることなく、
さぼっているものは放置し、仕事ができる人材をこき使うような
その場しのぎの対応が目に余りました。


オープンの場で、物事を決めるのを避け、密室で決めていくきらいがあり、
内部統制が整っていません。


昨年4月に、一番大きなプロジェクトが無事に立ち上がり、運営も順調になると、
上記のような雰囲気の中で、新たな目標を立てるのが、おっくうになってきました。

そのような時期に、事務方トップの役割を打診されましたが拒否し、
そして、退職の道を選ぶことにしました。



嫁さんは、「あなたは辛抱が足りないのでは?」などと
批判的な言葉をかけてきましたが、若いうちは辛抱して嫌なことも
頑張って取り組んできましたが、歳を重ねると、わざわざしんどい思いを
することもないだろうという気持ちが勝ってきてしまいます。


冷静に考えると、古だぬきや大狸が、もしかしたら今年中に抜け、
別のトップのもとで、様々な改革が実施されていくことになったのかも
しれませんが、そこまでの我慢ができないし、そのためには、
新たに、自分の手足となって動く人材を呼び込んで、場合によっては犠牲者を
生み出すかもしれないことを拒否したことになります。


このような選択をした結果は、数年経過すればはっきりするでしょう。

残された職員を考えると、申し訳ない気持ちが残りますが、
お爺の我がままと許してください。


【追記】
家族がご苦労さん会を開いてくれました。
ありがたいです。

家族からの退職慰労会 - KOfyの「倍行く」人生





【2020年4月1日 追記】

退職して一年後をブログ記事にまとめました。

退職して1年経過しました - KOfyの「倍行く」人生 2020年04月01日
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