東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

大仙

2024-08-16 12:59:45 | 日記
 どう考えても桂園時代って時代が怪しいんだよなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。 
 
 安倍貞任の息子の高星丸が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になったらしいけど、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしい。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 福島県にあった三春藩の藩主は秋田氏で、三春藩の最後の藩主は秋田映季で、明治40年(1907年)に亡くなったらしい。次の秋田氏の秋田重季は大原氏から養子で入った人で、秋田重季の時に太平洋戦争の終戦を迎えて華族制度が廃止になったようだ。
 
 安東実季という人が秋田氏を名乗ったらしいけど、秋田実季は国替えで秋田県から茨城県笠間市にあった宍戸藩に移され、幕府の命で三重県伊勢市の朝熊というところで隠居生活をさせられて亡くなったらしい。秋田氏は宍戸藩から福島県の三春町に移って三春藩の藩主になったらしい。本当か知らないけど・・・。
  
 ウィキペディアを見ると、秋田氏の祖を長髄彦の兄の安日彦とする系図があるらしい。秋田実季が記した秋田家系図に載ってるらしい。
 
 神武東征の話では神武天皇の敵は長髄彦ということになっていて、長髄彦は奈良県の生駒山地のあたりにいたことになってるらしく、那賀須泥毘古や登美能那賀須泥毘古や登美毘古とも記載されてるようだ。
 
 秋田県大仙市にある唐松神社には天日宮があって物部氏の祖のニギハヤヒを祀ってる。ウィキペディアを見ると、天日宮の今の社殿は大正3年(1914年)に建てられたらしい。庭園は昭和7年(1932年)に完成したらしい。唐松神社の本殿とは別で天日宮がある。ニギハヤヒは神武東征の話に出てきて、神武天皇よりも先に関西に来ていて、長髄彦の妹を妻にしていたことになってるらしい。
 
 唐松神社のそばに物部長穂記念館があって、入ったことは無いけど、ウィキペディアを見ると、物部長穂という人は唐松神社の生まれで、大正時代から昭和初期の土木工学の第一人者で、特に河川工学とダム工学で当時の日本で多大な影響を与えた人のようだ。弟の物部長鉾という人は陸軍の軍人で、弟の物部長照という人は唐松神社の名誉宮司らしい。
 
 唐松神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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