東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

南方

2024-08-16 16:03:39 | 日記
 疲れたなあ。日本の歴史は嘘の気がするけど、いくら嘘を指摘したところで、自分たちが認めなければ、それは嘘じゃないみたいなことなんだろうか?。面倒臭いよね?、そういう人たちって。
 
 岩手県奥州市には掃部長者伝説という昔話があって、鎌倉時代の話ということになってるらしいけど、松浦小夜姫が来たらしい。掃部長者の屋敷跡には墓地があって、すぐそばに高山稲荷がある。農村集落にあって、田んぼに囲まれてるところに神社が建ってるだけみたいな神社だけど、明治時代に今の社殿が建てられたらしい。
 
 インターネットで調べると、奥州市に、うぐいす沢神楽があって、高山掃部長者という演目があるらしく、掃部長者の先祖は長髄彦の兄の安日だと言ってるらしく、後に安倍という名字を名乗るようになったらしい。
 
 それで、高山掃部長者は安倍さんでいいんだよなあ、たぶん。
 
 南方熊楠という人は生物学者で博物学者で民俗学者らしいけど、南方熊楠は和歌山市の出身で、南方熊楠は南方弥右衛門という人の息子らしい。南方弥右衛門という人は南方家に養子に入って南方弥兵衛と名乗り、家督を譲って南方弥右衛門と名乗ったようだ。南方弥右衛門は南方酒造という酒造会社を設立して、南方熊楠の弟が南方酒造の2代目を継いだらしい。明治40年(1907年)に大隈重信が酒の銘柄を世界一統に名付けたらしい。昭和46年(1971年)に社名が世界一統になったようだ。
 
 南方熊楠は和歌山県海南市にある藤白神社にある子守楠神社から熊楠の字を授かったらしい。藤白神社では物部氏の祖のニギハヤヒを祀っているらしい。ニギハヤヒは神武東征の話に出てきて、神武天皇よりも先に関西に来ていて、長髄彦の妹を妻にしていたことになってるらしい。神武東征の話では神武天皇の敵は長髄彦ということになってるらしい。
 
 南方熊楠は和歌山県田辺市に住んでいたらしく、南方熊楠の妻は田辺市にある闘鶏神社の宮司の田村家の娘らしい。南方熊楠は明治39年(1906年)に結婚したらしい。
 
 南方熊楠は昭和16年(1941年)に亡くなったらしい。南方熊楠の墓は田辺市にある高山寺という真言宗御室派の寺にあるらしい。高山寺の山号は正南面山のようだ。
 
 南方熊楠の脳は大阪大学医学部にあるらしいけど、この人は自分の頭脳に異常な執着心でもあったんだろうか?。頭がズキズキするような頭痛がしてきたりするんだけどさあ。南方熊楠って人も日本人か知らないけど、日本の歴史は嘘の気がするけど、この人も関わってるとしか思えないんだよなあ。
 
 高山寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか。 
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