東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

有馬

2021-06-18 22:19:33 | 日記
 江戸時代の藩も怪しいんだけどなあ。
 
 宮城県仙台市の愛宕神社は仙台総鎮守のようだけど、伊達政宗が仙台に来た時に祀ったみたいです。もともとは山形県米沢市にあった愛宕神社らしく、伊達政宗が宮城県の岩出山町に移った時は岩出山町に遷され、伊達政宗が仙台に来て城下町をつくる時に仙台に移されたみたいです。愛宕神社のHPを見ると、そのようなかんじです。
 
 伊達藩の初代藩主の伊達政宗は山形県米沢市の出身ということになってる。
 
 山形県にあった米沢藩の9代目の藩主で、名君といわれ、上杉鷹山公ともいわれる上杉治憲は宮崎県にあった高鍋藩の秋月氏から上杉氏に来たようです。
 
 山形県米沢市にも愛宕神社があるようだけど、上杉鷹山公は米沢の愛宕神社で雨乞いの祈祷をしたらしい。
 
 上杉鷹山公の話も怪しいんだけど、米沢藩の上杉氏も本当に米沢にいたんだろうか?。
 
 インターネットで調べると、江戸時代の宮崎県には延岡藩と高鍋藩と佐土原藩と飫肥藩があって、人吉藩と薩摩藩だったところもあって、幕府の直轄地だったところもあるようだ。
 
 宮崎県にあった延岡藩の最初の藩主は高橋元種という人で、ウィキペディアで調べると、高橋元種は秋月氏から来た人らしい。延岡市には愛宕山があって、愛宕神社があるらしい。延岡藩の初代藩主の高橋元種が遷座したようだけど、山頂には愛宕神社の奥宮があって、極天さんといわれるようだ。
 
 愛宕山は女人禁制だったようだけど、延岡藩の藩主だった有馬直純の妻で、徳川家康のひ孫の日向御前が女人禁制を破って愛宕山に登ったらしく、その後に愛宕山の女人禁制が解かれたらしい。
 
 それで、結局、どうなってんだろう?。江戸時代の藩も怪しいんだけどなあ。
 
 戦国時代に長崎県にいた有馬氏は南蛮貿易で大きな利益を上げていたようだ。有馬義貞の兄弟の大村純忠は日本初のキリシタン大名で、有馬義貞もキリスト教の洗礼を受けたみたいです。
 
 有馬義貞の息子が有馬晴信で、大友宗麟と大村純忠と有馬晴信が中心になって天正遣欧少年使節を送ったみたいです。戦国時代の大分県には大友氏がいたみたいです。
 
 島原半島の辺りは江戸時代の初めは日野江藩で、日野江藩が島原藩になったようだけど、日野江藩の初代藩主は有馬晴信で、有馬晴信の息子の有馬直純の時に宮崎県にあった延岡藩に移ったみたいです。
 
 長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建てられ、次の年に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というみたいです。明治維新の後も、日本では、しばらくキリスト教は禁教だったようだけど、明治6年(1873年)にキリスト教の禁教が解かれたみたいです。
 
 島原の乱は寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にあって、島原の乱から200年以上経って、元治2年(1865年)に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れて信徒発見ということになってるみたいです。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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