東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2024-10-06 23:58:59 | 日記
 疲れたなあ。
 
 京都府宮津市にある籠神社は丹後国の一宮で元伊勢といわれるようだけど、彦火明命を祀っていて、彦火明命は天照国照彦火明命ともいうらしい。籠神社の奥には真名井神社があるらしく、豊受大神を祀ってるらしい。
 
 若狭湾には冠島と沓島があるようだけど、冠島には老人嶋神社があるようだ。インターネットで調べると、老人嶋神社には籠神社の祭神の彦火明命が祀られてるようだけど、わからない。
 
 冠島も沓島も無人島みたいだけど・・・。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の外宮は豊受大神宮というらしく、豊受大神を祀ってるらしい。豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないし、天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

宮津

2024-10-06 23:56:09 | 日記
 疲れたなあ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の外宮は豊受大神宮というらしく、豊受大神を祀ってるらしい。豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 京都府宮津市にある籠神社は丹後国の一宮で元伊勢といわれるようだけど、彦火明命を祀っていて、彦火明命は天照国照彦火明命ともいうらしい。籠神社の奥には真名井神社があるらしく、豊受大神を祀ってるらしい。籠神社のHPを見ると、豊受大神と天之御中主神は同じと書いてある。意味不明だ。
 
 造化三神は天之御中主神とタカミムスビとカミムスビ。ウィキペディアで調べると、造化三神は古事記と日本書紀の最初のほうにある天地開闢の時に現れたことになってるらしく、古事記では最初に現れ、日本書紀では付け足しのように書かれた文に記載されてるらしい。造化三神は別天津神の中に含まれてるらしい。
 
 若狭湾には冠島と沓島があるようだけど、冠島には老人嶋神社があるようだ。インターネットで調べると、老人嶋神社には籠神社の祭神の彦火明命が祀られてるようだけど、わからない。冠島も沓島も無人島みたいだけど・・・。
 
 籠神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

久留米

2024-10-06 23:54:36 | 日記
 疲れたなあ。
 
 徳島県三好市の祖谷というところには平家の落人伝説があるらしく、栗枝渡八幡神社では安徳天皇の遺骨を御神体に祀ってるらしい。源氏と平家の話も作り話の気がするけど、平清盛の娘の徳子は高倉天皇の妻になったことになってるらしく、徳子は高倉平中宮や建礼門院ともいわれるらしい。高倉天皇と徳子の息子が安徳天皇ということになってるらしい。安徳天皇は平家滅亡の時に壇ノ浦の海に沈んで亡くなったことになっているようだけど、日本各地に安徳天皇が落ち延びてきた伝説があるらしい。
 
 山口県下関市には赤間神宮があるらしく、安徳天皇の墓所や平家の人たちの墓があるらしい。赤間神宮は江戸時代は阿弥陀寺だったらしいけど、明治8年(1875年)に赤間宮になって、昭和15年(1940)に赤間神宮になったようだ。本当か知らないけど・・・。
 
 福岡県久留米市にある水天宮は水天宮の総本宮で、東京にある水天宮は久留米藩の有馬氏が祀ったらしい。久留米の水天宮も東京の水天宮も天之御中主神と安徳天皇と平清盛の娘の高倉平中宮と平清盛の妻の二位の尼を祀っているようだ。
 
 造化三神は天之御中主神とタカミムスビとカミムスビ。ウィキペディアで調べると、造化三神は古事記と日本書紀の最初のほうにある天地開闢の時に現れたことになってるらしく、古事記では最初に現れ、日本書紀では付け足しのように書かれた文に記載されてるらしい。造化三神は別天津神の中に含まれてるらしい。
 
 水天宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

鎌倉

2024-10-06 23:52:36 | 日記
 疲れたなあ。
 
 岩手県奥州市の江刺に豊田館跡があって藤原経清の居館跡だそうだ。奥州藤原氏の初代の藤原清衡は藤原経清と安倍貞任の妹の息子ということになってるらしい。藤原清衡は江刺で生まれたことになってるらしい。藤原経清は宮城県の亘理郡にいた人で、亘理権太夫といわれるらしい。豊田館跡の近くに藤原経清の墓所の五位塚がある。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏は前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになっていて、藤原経清も安倍氏の人たちと一緒に戦って首を刎ねられたことになってる。
 
 前九年の役の後に後三年の役があって、その後に奥州藤原氏は今のほぼ東北六県を治めたことになってて、奥州藤原氏の初代が藤原清衡で、2代目が藤原基衡で、3代目が藤原秀衡で、4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて奥州藤原氏は滅びたことになってる。
 
 平泉町にある中尊寺は天台宗の寺で、山号は関山だ。中尊寺の金色堂には藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、鼻と耳が削がれていて、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。
 
 藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるらしい。藤原忠衡は泉三郎(和泉三郎)といわれるらしい。
 
 源頼朝は鎌倉幕府を開いたことになってるけど、神奈川県鎌倉市には鶴岡八幡宮があるらしい。日本の歴史は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 鶴岡八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

八幡

2024-10-06 23:50:52 | 日記
 疲れたなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏は奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 金ヶ崎町の隣の奥州市の江刺に豊田館跡があって藤原経清の居館跡だそうだ。奥州藤原氏の初代の藤原清衡は藤原経清と安倍貞任の妹の息子ということになってるらしい。藤原清衡は江刺で生まれたことになってるらしい。藤原経清は宮城県の亘理郡にいた人で、亘理権太夫といわれるらしい。豊田館跡の近くに藤原経清の墓所の五位塚がある。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏は前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになっていて、藤原経清も安倍氏の人たちと一緒に戦って首を刎ねられたことになってる。源義家は京都府八幡市にある石清水八幡宮で元服したので八幡太郎といわれるらしい。日本の歴史は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 石清水八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか