東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2023-04-04 17:58:57 | 日記
 俺は何を調べようとしてるんだろう?。
 
 和歌山県田辺市にある熊野本宮大社の祭神は家都美御子大神で、スサノオのことらしい。音無川の上流に船玉神社があって、熊野本宮大社の奥の院ともいわれるらしい。船玉神社が熊野本宮大社の奥の院でいいの?、本当に。
 
 和歌山県和歌山市にある伊達神社では五十猛(イソタケル)と神八井耳命を祀ってるらしい。イソタケルはスサノオの息子ということになってるらしく、紀伊国の神で林業の神らしい。紀伊国は木の国から来てるらしいけど、本当か知らない。
 
 ウィキペディアを見ると、和歌山市にある伊達神社と志磨神社と静火神社は紀三所社ともいわれるらしいけど、大阪府大阪市にある住吉大社にある船玉神社が紀三所社の本社といわれるらしい。よくわからないが、ウィキペディアに、そう載ってる。船玉神社では天鳥船命と猿田彦大神を祀ってるらしい。
 
 船玉神社が熊野本宮大社の奥の院でいいの?、本当に。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦大神の子孫の大田命は倭姫に天照大神を祀る場所に宇治の地を勧めたらしく、その場所に伊勢神宮が創建されたことになってるらしい。伊勢神宮の前に天照大神が祀られていた場所を元伊勢というらしい。天照大神の祭祀は豊鋤入姫に託され、各地を転々として、途中で倭姫に交替して、伊勢神宮に落ち着いたらしい。本当か知らない。
 
 猿田彦大神の子孫が猿田彦神社の宮司家の宇治土公家で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、本当に明治時代の前に伊勢神宮はあったんだろうか?。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大阪

2023-04-04 17:26:38 | 日記
 伊達藩ですか・・・。
 
 和歌山県田辺市にある熊野本宮大社の祭神は家都美御子大神で、スサノオのことらしい。音無川の上流に船玉神社があって、熊野本宮大社の奥の院ともいわれるらしい。船玉神社が熊野本宮大社の奥の院でいいの?、本当に。
 
 和歌山県和歌山市にある伊達神社では五十猛(イソタケル)と神八井耳命を祀ってるらしい。イソタケルはスサノオの息子ということになってるらしく、紀伊国の神で林業の神らしい。紀伊国は木の国から来てるらしいけど、本当か知らない。
 
 ウィキペディアを見ると、和歌山市にある伊達神社と志磨神社と静火神社は紀三所社ともいわれるらしいけど、大阪府大阪市にある住吉大社にある船玉神社が紀三所社の本社といわれるらしい。よくわからないが、ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 う~ん・・・。船玉神社が熊野本宮大社の奥の院でいいの?、本当に。
 
 大阪府大阪市にある住吉大社は住吉神社の総本社で、大阪の住吉大社では住吉三神と神功皇后を祀ってるらしい。住吉大神は神功皇后の三韓征伐に協力したことになってるようだ。住吉大社には船玉神社があって、天鳥船命と猿田彦大神を祀ってるらしい。
 
 住吉大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

伊勢

2023-04-04 17:16:21 | 日記
 はあ。怖いなあ。昨日は朝から真夜中まで呪い殺されそうになってたもんなあ。今日の午前中は寝込んでしまった。
 
 陸奥宗光という人について詳しく知らないけど、陸奥宗光は伊達小次郎と名乗っていたの?。そういう話を昨日は書いてたんだけど、昨日とは違う話なんだけどなあ。
 
 ウィキペディアで調べると、陸奥宗光は紀州藩の出身で、紀州藩にいた伊達氏の子孫らしい。本当か知らない。幕末や明治維新の話は嘘臭いので省略して、明治10年(1877年)にあった西南戦争の後に陸奥宗光は捕まって投獄され、明治16年(1883年)に出所したらしい。その後に陸奥宗光はヨーロッパに留学して、明治19年(1886年)に帰国したらしい。本当か知らない。
 
 陸奥宗光は明治19年(1886年)に帰国した後は外務省に務め、明治21年(1888年)には駐米公使とメキシコ合衆国公使になり、メキシコと日本で最初の平等条約の日墨修好通商条約を結んだらしい。帰国後に第一次山縣内閣の農商務大臣に就任したようだ。明治23年(1890年)には第一回の衆議院選挙に和歌山県から出馬して当選して、衆議院議員を1期務めたようだ。その次の第一次松方内閣でも農商務大臣に留任したようだ。その次の第二次伊藤内閣では外務大臣に就き、明治27年(1894年)にイギリスと日英通商航海条約を結び、アメリカやドイツやイタリアやフランスなどとも同様の条約を結んで領事裁判権の撤廃に成功したらしい。明治27年(1894年)から明治28年(1895年)には日清戦争があって、イギリスとロシアの中立化にも成功したようだ。日清戦争の後には陸奥宗光は伊藤博文と一緒に全権として下関条約の調印をしたようだ。陸奥宗光は明治29年(1896年)に外務大臣を辞職して療養生活を送るようになり、明治30年(1897年)に亡くなったようだ。
 
 宮城県登米市の津山町には伊達政宗の弟の伊達小次郎の墓があるらしいんだよなあ。
 
 伊達政宗は慶長遣欧使節をローマに送っていて、ウィキペディアで調べると、ルイス・ソテロという宣教師が正使で、ルイス・ソテロはスペイン人でフランシスコ会の宣教師だったようだ。支倉常長が慶長遣欧使節の日本人のリーダーだったらしい。
 
 支倉常長が日本に帰って来た時には日本ではキリシタンの弾圧が始まってたみたいだけど、仙台市博物館に慶長遣欧使節に関係するものがあって見たことがある気がするけど、日本のキリスト教の歴史は嘘としか思えないんだよなあ。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大は佐賀の乱の頃はイギリスに留学していて、明治11年(1878年)に帰国したらしい。明治13年(1880年)から明治15年(1882年)までは駐イタリア王国特命全権公使としてイタリアに住んでたらしい。帰国後は日本の近代化政策に関わったようだ。鍋島直大は皇典講究所の3代目の副総裁で、4代目の所長らしい。
 
 鍋島直大の娘の伊都子はローマで生まれたので、イタリアの都ということで伊都子と名付けられたようだ。ウィキペディアにそう載ってる。
 
 鍋島直大の妻の榮子は広橋家の出身で、広橋賢光という人の妹らしい。鍋島直大の娘の伊都子は梨本宮守正王の妻になって、梨本宮守正王と伊都子の娘の規子は広橋賢光の息子の広橋真光の妻になったようだ。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、これでいいんでしょうか?。
 
 祭主は伊勢神宮でのみ置かれてる役職らしいけど、ウィキペディアで調べると、祭主は伊勢神宮で行われる大祭で奉幣使として行って、祝詞を奏上して、天皇の意思を神に伝える役目の人らしい。
 
 祭主は中臣氏がずっと続けていて、中臣氏が大中臣氏になって、大中臣氏の系統の氏族の藤波家が明治時代の前まで伊勢神宮の祭主を務めていたらしい。本当か知らない。藤波言忠という人は広橋賢光と鍋島榮子の兄弟で、広橋家から藤波家に養子にいったらしい。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王が太平洋戦争の終戦の頃の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王は鍋島直大の娘の伊都子を妻にしたようだ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、本当に明治時代の前に伊勢神宮はあったんだろうか?。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2023-04-04 17:08:16 | 日記

お祓い

2023-04-04 17:07:20 | 日記
 牛頭天王ですか・・・。
 
 
 火をつけるか