東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

キリスト教

2023-04-04 20:41:23 | 日記
 伊達藩ですか・・・。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいたらしいけど、本当か知らない。幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。
 
 亘理伊達氏は宮城県の亘理町にいたようだ。亘理伊達氏の伊達邦成という人は岩出山伊達氏から来た人のようだけど、明治維新の後に北海道に移住して北海道の伊達市の辺りの開拓に携わったようだ。伊達邦成は日本基督一致教会というところの信者だったようだ。伊達邦成の兄弟で岩出山伊達氏の伊達邦直という人は家臣を引き連れて北海道の当別町の辺りの開拓を行ったようだ。
 
 宮城県の登米市にあった佐沼城には亘理氏がいて、涌谷町にいた涌谷伊達氏も亘理氏の系統らしい。涌谷伊達氏の人は明治時代に亘理氏に戻したようだ。亘理氏と亘理伊達氏は違うらしい。
 
 伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。白石には片倉氏がいて、片倉氏は昔から伊達家に仕えていたみたいだけど、伊達藩の家臣の序列の家格の上位の一門ではなく、一家らしい。
 
 明治維新の頃の片倉氏の片倉景光という人は明治維新の後に北海道に移住したらしいけど、亡くなる前に白石に帰ってきたようだ。片倉景光という人は日本基督一致教会の信者だったらしい。次の片倉氏の片倉健吉という人は愛媛県にあった伊予吉田藩の伊達家から来た人らしい。大正時代に伊達藩の初代藩主の伊達政宗を祀る青葉神社の宮司に就いたようだ。今の青葉神社の宮司の人は片倉氏の人らしい。
 
 明治時代の神奈川県の横浜市には横浜バンドというプロテスタントの信者の人たちの集団がいて、日本基督公会だったみたいだけど、日本基督一致教会になったらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。日本基督一致教会は日本基督教会に改称したらしい。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

キリスト教

2023-04-04 20:06:08 | 日記
 在日韓国人について、東北の田舎に住んでると、ほとんどといっていいほど知らないんだけど、あの大物歌手や大物ロックミュージシャンもみたいだからなあ。
 
 明治維新の後の熊本県には熊本バンドというプロテスタントを信仰する人たちがいて、熊本バンドには徳富蘇峰という人がいたみたいだけど、徳富蘇峰は江戸時代の生まれで、昭和32年(1957年)に亡くなったらしい。徳富蘇峰の洗礼名は掃留(ソウル)ってウィキペディアに載ってるんだけど、徳富蘇峰という人は朝鮮人だったんだろうか?。
 
 徳富蘇峰は近世日本国民史という本を出したみたいだけど、大正7年(1918年)から書き始め、昭和27年(1952年)まで続けていたようだ。織田信長の時代から明治維新の後の西南戦争までを記してるらしく、全100巻あるらしい。
 
 日本の歴史は嘘の気がするけど、明治維新の話も、その後の西南戦争の話も怪しいんだよなあ。
 
 徳富蘇峰は思想家とか歴史家とか、そういう人みたいだけど、明治23年(1890年)に国民新聞を創刊したらしい。日本のマスコミっていうか、日本のジャーナリズムって、不思議だよね?。日本人に対しては反日というか中国や韓国や北朝鮮の仲間というか、そういう人たちに対して報道してるというか、そういう人たちの立場や目線で伝えてるみたいなのに、天皇や皇室に対しては敬意のようなものを払うっていうかさ。天皇や皇室に対して批判的な報道って、あんまり無いでしょ?。
 
 徳富蘇峰は太平洋戦争の戦時中の昭和17年(1942年)に日本文学報国会を設立して会長に就任し、大日本言論報国会の会長にも就任したようだ。大日本言論報国会には内閣情報局が関わってたらしいけど、この人たちが言論統制を行って、戦争を煽ってたってことでいいの?。
 
 日本のマスコミが、日本人は太平洋戦争で酷いことをしたみたいなことばかり言って、自分たちは何の責任も取らないっていうのは、なるほどって気がするなあ。
 
 日本基督教団が日本で一番大きなプロテスタントの教団らしいけど、日本基督教団は昭和16年(1941年)に日本国内のプロテスタントの教団が合同で設立した教団らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。日本基督教団の設立時には君が代斉唱や宮城遥拝が行われ、皇国に忠誠を尽くすみたいなことも宣誓されたようだ。
 
 富田満という人が日本基督教団の教団統理者に就いたようだけど、富田満は伊勢神宮に参拝して、教団の成立を報告したらしい。日本基督教団は軍用機を献納したらしいし、富田満は昭和天皇にも会ったらしい。太平洋戦争の後に日本基督教団から離脱してできた教団もあるようだ。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の東久邇宮稔彦王は太平洋戦争の終戦後に日本の総理大臣に就任し、一億総懺悔みたいなことを言ったようだ。一億総懺悔と言った背景には賀川豊彦という日本基督教団の人の助言があったようだ。賀川豊彦は太平洋戦争の後にノーベル文学賞やノーベル平和賞の候補にもなったようだ。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか。 

キリスト教

2023-04-04 19:50:29 | 日記
 在日韓国人について、東北の田舎に住んでる人って知識に乏しい気がするけど、東京周辺に、そういう人たちが多いっていうのは、まあ、納得だけど、京都や大阪や神戸だったり、関西の辺りにも、特に多く住んでるの?。
 
 それに、スポーツ選手や芸能人にも、そういう人が多いんでしょ?。お笑いとかミュージシャンにもさあ。インターネットで調べると、有名な人がたくさんいる。
 
 明治維新の後の熊本県には熊本バンドというプロテスタントを信仰する人たちがいて、熊本バンドには徳富蘇峰という人がいたみたいだけど、徳富蘇峰は江戸時代の生まれで、昭和32年(1957年)に亡くなったらしい。徳富蘇峰の洗礼名は掃留(ソウル)ってウィキペディアに載ってるんだけど、徳富蘇峰という人は朝鮮人だったんだろうか?。
 
 L.L.ジェーンズというアメリカ人が熊本バンドの創設に関係してるらしいけど、L.L.ジェーンズはフルベッキというキリスト教の宣教師の斡旋で日本に来て、熊本洋学校の教師になったらしい。熊本バンドの人たちは熊本洋学校の生徒の人たちだったようだけど、新島襄の同志社英学校に移ったようだ。
 
 大隈重信もフルベッキに教わった人の1人らしいけど、大隈重信は佐賀藩の出身らしいけど、本当か知らない。大隈重信は日本の総理大臣に2度就任したらしいけど、大隈重信は早稲田大学の創設者らしい。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

キリスト教

2023-04-04 19:15:50 | 日記
 疲れたなあ。
 
 ウィキペディアで調べると、新島襄という人は群馬県にあった安中藩の藩士の息子で、江戸時代に密航してアメリカに行ってキリスト教の洗礼を受けたらしい。新島襄は函館から出航したらしいけど、函館にいたロシア正教の司祭のニコライに日本語を教えたり、ニコライからは英語や世界情勢について教わったらしい。新島襄はアメリカでアーモスト大学とアンドーヴァー神学校を卒業し、アメリカンボードというアメリカのキリスト教の伝道のための組織に加わり、日本に帰国したようだ。新島襄の帰国は明治8年(1875年)で、その年に新島襄は同志社英学校を設立したようだ。本当か知らないけど・・・。
 
 ウィキペディアの日本ハリストス正教会のところを見ると、旧伊達藩領に日本ハリストス正教会の教会が多いらしい。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて、岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれて、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたらしいけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 山崎為徳という人も安場保和に見出された少年の1人で、山崎為徳はキリスト教の信者で、同志社英学校で熊本バンドに加わってたようだ。京都に同志社墓地があって、新島襄と新島襄の妻の新島八重の墓があるらしいけど、山崎為徳の墓も同志社墓地にあるらしい。同志社大学のHPに同志社墓地に埋葬されてる人たちのことが載ってる。
 
 新島襄の妻の新島八重は会津戦争の時に鶴ヶ城に籠城して戦ったらしいけど、本当か知らない。新島八重は会津藩の出身で、山本覚馬という人の妹らしい。山本覚馬という人もキリスト教の信者になったようだ。
 
 熊本県には熊本バンドというプロテスタントを信仰する人たちがいて、熊本バンドの人たちは熊本洋学校の生徒の人たちだったようだけど、新島襄の同志社英学校に移ったようだ。アメリカンボードの関係教会と熊本バンドの人たちが中心になって日本組合基督教会を創設したようだ。
 
 熊本バンドには徳富蘇峰という人がいたみたいだけど、徳富蘇峰は江戸時代の生まれで、昭和32年(1957年)に亡くなったらしい。徳富蘇峰の洗礼名は掃留(ソウル)ってウィキペディアに載ってるんだけど、徳富蘇峰という人は朝鮮人だったんだろうか?。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

キリスト教

2023-04-04 19:10:31 | 日記
 なんだろうなあ?、この納得がいかない感覚は。話が繋がるからといって、それが合ってるかは、わからないよなあ。
 
 それに、伊達藩は本当にあったの?。
 
 伊達政宗は慶長遣欧使節をローマに送っていて、ウィキペディアで調べると、ルイス・ソテロという宣教師が正使で、ルイス・ソテロはスペイン人でフランシスコ会の宣教師だったようだ。支倉常長が慶長遣欧使節の日本人のリーダーだったらしい。
 
 支倉常長が日本に帰って来た時には日本ではキリシタンの弾圧が始まってたみたいだけど、仙台市博物館に慶長遣欧使節に関係するものがあって見たことがある気がするけど、日本のキリスト教の歴史は嘘としか思えないんだよなあ。
 
 岩手県奥州市の水沢には江戸時代の初め頃に後藤寿庵という人がいて、伊達政宗に仕えていたらしいけど、後藤寿庵はキリシタンで、キリスト教が禁教になって、いなくなってしまったらしい。後藤寿庵は葛西氏の家臣の岩淵氏の出身という説が有力で、長崎県の五島列島で洗礼を受け、寿庵はヨハネのことらしい。ウィキペディアにも、そう載ってる。
 
 奥州市の水沢に福原というところがあって、後藤寿庵の領地だったらしく、天主堂もあったらしいけど、天主堂だった場所には毘沙門堂がある。毘沙門堂の場所からはメダイも見付かってるらしい。毘沙門堂の近くにクルス場だった場所があって、今は墓地になってる。後藤寿庵の後に留守氏が水沢に来て、後藤寿庵に仕えていた人たちには改宗して留守氏に仕えた人たちもいたらしい。
 
 寿庵堰は後藤寿庵が掘り始め、後藤寿庵がいなくなってから完成したらしい。ウィキペディアを見ると、その功績が認められて、大正13年(1924年)に従五位が送られたらしい。福原にある寿庵廟は昭和6年(1931年)に建てられたようだ。
 
 後藤寿庵は奥羽の信徒の筆頭としてローマ教皇に文書を送ってるらしいんだよなあ。
 
 幕末や明治維新の頃の日本にはカトリックの中のパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、ウィキペディアで調べると、日本でのカトリックの布教は明治維新の後もパリ外国宣教会の独占状態だったらしく、日露戦争の後の明治38年(1905年)にローマ教皇から明治天皇に文書が送られ、他の修道会も日本に来るようになったらしい。本当か知らない。
 
 カトリックは分派が無くて、カトリックの中に~会という修道会が幾つもあるみたいです。カトリックの総本山はバチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で、ローマ教皇が最高権威者でいいんでしょうか?。今のローマ教皇はイエズス会の人のようです。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか