東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

キリスト教

2023-04-04 19:15:50 | 日記
 疲れたなあ。
 
 ウィキペディアで調べると、新島襄という人は群馬県にあった安中藩の藩士の息子で、江戸時代に密航してアメリカに行ってキリスト教の洗礼を受けたらしい。新島襄は函館から出航したらしいけど、函館にいたロシア正教の司祭のニコライに日本語を教えたり、ニコライからは英語や世界情勢について教わったらしい。新島襄はアメリカでアーモスト大学とアンドーヴァー神学校を卒業し、アメリカンボードというアメリカのキリスト教の伝道のための組織に加わり、日本に帰国したようだ。新島襄の帰国は明治8年(1875年)で、その年に新島襄は同志社英学校を設立したようだ。本当か知らないけど・・・。
 
 ウィキペディアの日本ハリストス正教会のところを見ると、旧伊達藩領に日本ハリストス正教会の教会が多いらしい。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて、岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれて、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたらしいけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 山崎為徳という人も安場保和に見出された少年の1人で、山崎為徳はキリスト教の信者で、同志社英学校で熊本バンドに加わってたようだ。京都に同志社墓地があって、新島襄と新島襄の妻の新島八重の墓があるらしいけど、山崎為徳の墓も同志社墓地にあるらしい。同志社大学のHPに同志社墓地に埋葬されてる人たちのことが載ってる。
 
 新島襄の妻の新島八重は会津戦争の時に鶴ヶ城に籠城して戦ったらしいけど、本当か知らない。新島八重は会津藩の出身で、山本覚馬という人の妹らしい。山本覚馬という人もキリスト教の信者になったようだ。
 
 熊本県には熊本バンドというプロテスタントを信仰する人たちがいて、熊本バンドの人たちは熊本洋学校の生徒の人たちだったようだけど、新島襄の同志社英学校に移ったようだ。アメリカンボードの関係教会と熊本バンドの人たちが中心になって日本組合基督教会を創設したようだ。
 
 熊本バンドには徳富蘇峰という人がいたみたいだけど、徳富蘇峰は江戸時代の生まれで、昭和32年(1957年)に亡くなったらしい。徳富蘇峰の洗礼名は掃留(ソウル)ってウィキペディアに載ってるんだけど、徳富蘇峰という人は朝鮮人だったんだろうか?。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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