東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

明治

2022-12-27 19:59:04 | 日記
 俺は何を調べようとしてるんだ?。
 
 太平洋戦争の後の昭和の時代に政治家だった人たちにも明治時代の生まれの人がいたみたいだけど、出自の怪しい人がいるんだよなあ。明治維新の話は嘘の気がするし、明治時代の歴史も、かなり怪しいんだよなあ。
 
 日本の政治家って、地盤を引き継ぐというか、政治家を引き継ぐというか、世襲議員が多いし、なんとなく、わからない?。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 明治時代に神社の合祀が行われたみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治39年(1906年)の第一次西園寺内閣の時に内務大臣だった原敬の勅令で神社の合祀が進められ、次の内閣の第二次桂内閣の内務大臣の平田東助という人が強行したようだ。特に神社の合祀が激しかったのは三重県で、和歌山県と愛媛県も凄かったようだ。
 
 日本の歴史は嘘の気がするし、神社に今のような神様が祀られたのは明治時代になってからとしか思えないんだけど、桂園時代っていうの?、なぜか、この頃が怪しいんだよなあ。
 
 神道ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

津島

2022-12-27 19:52:30 | 日記
 黒幕ですか・・・。

 安岡正篤という人は陽明学者だったらしいけど、ウィキペディアで調べると、太平洋戦争の後の日本の歴代総理大臣から日本の黒幕といわれるような人だったようだ。昭和最大の黒幕ともいわれるらしいけど、政界や財界や皇室からも頼りにされる人物だったようだ。安岡正篤という人は大阪の富裕層の家の出身らしいけど、堀田家から安岡家に養子に入ったらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、滋賀県にあった宮川藩の藩主と千葉県にあった佐倉藩の藩主と栃木県にあった佐野藩の藩主が堀田氏だったようだ。堀田氏は出自がハッキリしてないようだけど、堀田氏の紋は八坂神社や津島神社と同じ木瓜紋で、堀田氏は八坂神社の系統と津島神社の系統が考えられると載ってる。愛知県津島市にある津島神社の社家が堀田氏らしく、津島神社の近くに堀田家住宅があるらしい。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 堀田正養という人は滋賀県にあった宮川藩の最後の藩主で、堀田正養は秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏から養子で堀田氏に入ったことになってるようだ。本当か知らない。堀田正養は第一次西園寺内閣で逓信大臣を務めたようだけど、第一次西園寺内閣では山縣伊三郎と原敬と堀田正養と逓信大臣が三回変わったようだ。逓信省は交通や通信や電気など幅広く管轄してたみたいだ。
 
 林董という人は日英同盟の調印の時の日本の代表だったようだ。第一次桂内閣の時の明治35年(1902年)に日英同盟が結ばれ、日露戦争は明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあったみたいです。林董は駐英公使だったようだけど、明治36年(1903年)にフリーメイソンに入会し、次の年には日本人初のロッジ・マスターになったようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。林董は第一次西園寺内閣で外務大臣、第二次西園寺内閣では逓信大臣を務め、外務大臣も一時兼任したようだ。林董は千葉県にあった佐倉藩の出身ということになってるらしいけど、佐倉藩の藩主も堀田氏だったようだ。
 
 後藤新平は第二次桂内閣と第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣では内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣でも内務大臣に就いたようだ。第二次桂内閣の時には初代鉄道院総裁に就任し、第二次山本内閣の時には帝都復興院総裁に就いて関東大震災の後の東京の復興計画を立案したようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、後藤新平もフリーメイソンらしい。いつからか知らないけど・・・。
 
 日本の通信はフリーメイソンに筒抜け?。
 
 愛知県津島市にある津島神社ではスサノオを祀ってるようだけど、江戸時代は牛頭天王を祀っていたらしく、全国天王総本社といってるようだ。本当に牛頭天王を祀ってたのか知りませんけど・・・。堀田氏は紀氏の系統の氏族らしいけど、津島神社には弥五郎殿社があって、紀氏の祖先の武内宿禰を祀ってるらしい。
 
 津島神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

津島

2022-12-27 19:49:28 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、ほら吹き藩ですか・・・。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいて、幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。
 
 ウィキペディアで調べると、滋賀県にあった宮川藩の藩主と千葉県にあった佐倉藩の藩主と栃木県にあった佐野藩の藩主が堀田氏だったようだ。堀田氏は出自がハッキリしてないようだけど、堀田氏の紋は八坂神社や津島神社と同じ木瓜紋で、堀田氏は八坂神社の系統と津島神社の系統が考えられると載ってる。愛知県津島市にある津島神社の社家が堀田氏らしく、津島神社の近くに堀田家住宅があるらしい。
 
 堀田正敦という人は伊達藩の6代目の藩主の伊達宗村の息子で、堀田氏に養子に入って滋賀県大津市にあった堅田藩の藩主になったらしい。堅田藩の堀田氏はもともと佐野藩にいて、堅田藩に移され、堀田正敦の時に佐野藩に戻ってきたらしい。本当か知らない。
 
 堀田正敦は幕府の政治にも関わってたようだけど、伊達藩の8代目の藩主の伊達斉村は後継ぎを決めずに亡くなったらしく、伊達斉村の息子で産まれたばかりの伊達周宗が伊達藩の藩主になり、堀田正敦は伊達周宗の後見役になったみたいです。伊達周宗が藩主になった次の年に寛政の一揆が起きたみたいです。
 
 伊達藩では寛政9年(1797年)に一揆があって、南部藩の一揆が隣の伊達藩の奥州市の江刺の辺りに伝わってきて、奥州市から岩手県南や宮城県北に広まっていったみたいです。寛政の一揆では正覚坊という修験者と清三郎という農民が一揆の首謀者として処刑されたみたいです。奥州市の水沢にある高根神社の境内に正覚坊の碑と墓があります。
 
 愛知県津島市にある津島神社ではスサノオを祀ってるようだけど、江戸時代は牛頭天王を祀っていたらしく、全国天王総本社といってるようだ。本当に牛頭天王を祀ってたのか知りませんけど・・・。堀田氏は紀氏の系統の氏族らしいけど、津島神社には弥五郎殿社があって、紀氏の祖先の武内宿禰を祀ってるらしい。
 
 津島神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

津島

2022-12-27 19:45:19 | 日記
 謎だよなあ。太平洋戦争の後の昭和の時代に政治家だった人たちにも明治時代の生まれの人がいたみたいだからなあ。明治維新の話は嘘の気がするし、明治時代の歴史も、かなり怪しいんだよなあ。
 
 福岡県福岡市に香椎宮があって、仲哀天皇と神功皇后を祀ってるみたいです。仲哀天皇と神功皇后の息子が八幡神社の祭神の応神天皇ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 香椎宮の境内図を見ると、高倍神社があって、香椎廟の廟司で香椎武内家の始祖の大膳紀宿禰氏連命を祀ってるらしい。よくわからないが、香椎宮は明治時代の前は香椎廟だったらしい。武内宿禰を祀る武内神社は別にあるらしい。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいて、幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。
 
 岩城氏は戦国時代は福島県いわき市にいたことになっていて、秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏と岩手県奥州市の江刺にいた岩谷堂伊達氏の岩城氏は同族ということになってるらしい。亀田藩の岩城氏は明治時代の終わり頃に岐阜県にあった郡上藩の青山氏の人が継いだようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、滋賀県にあった宮川藩の藩主と千葉県にあった佐倉藩の藩主と栃木県にあった佐野藩の藩主が堀田氏だったようだ。堀田氏は出自がハッキリしてないようだけど、堀田氏の紋は八坂神社や津島神社と同じ木瓜紋で、堀田氏は八坂神社の系統と津島神社の系統が考えられると載ってる。愛知県津島市にある津島神社の社家が堀田氏らしく、津島神社の近くに堀田家住宅があるらしい。
 
 堀田正養という人は滋賀県にあった宮川藩の最後の藩主で、堀田正養は秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏から養子で堀田氏に入ったことになってるようだ。本当か知らない。堀田正養は第一次西園寺内閣で逓信大臣を務めたようだけど、第一次西園寺内閣では山縣伊三郎と原敬と堀田正養と逓信大臣が三回変わったようだ。逓信省は交通や通信や電気など幅広く管轄してたみたいだ。
 
 愛知県津島市にある津島神社ではスサノオを祀ってるようだけど、江戸時代は牛頭天王を祀っていたらしく、全国天王総本社といってるようだ。本当に牛頭天王を祀ってたのか知りませんけど・・・。堀田氏は紀氏の系統の氏族らしいけど、津島神社には弥五郎殿社があって、紀氏の祖先の武内宿禰を祀ってるらしい。
 
 津島神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

福岡

2022-12-27 19:39:10 | 日記
 謎だよなあ。
 
 福岡県福岡市に香椎宮があって、仲哀天皇と神功皇后を祀ってるみたいです。仲哀天皇と神功皇后の息子が八幡神社の祭神の応神天皇ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、椎名悦三郎という人は岸信介と一緒に満州国の運営に関わったり、太平洋戦争の後は政治家になって、岸内閣では官房長官に就き、池田内閣では通商産業大臣と外務大臣に就き、佐藤内閣でも通商産業大臣と外務大臣に就いたようだ。田中角栄と三木武夫が総理大臣だった時は自民党の副総裁だったようだ。椎名悦三郎の息子の椎名素夫という人も政治家だった人です。
 
 椎名悦三郎は後藤家の出身で、後藤新平の姉の嫁ぎ先に養子に入って椎名悦三郎と名乗ったらしい。後藤新平は血縁の無い叔父らしい。椎名悦三郎の父は後藤広という人で、後藤家に婿養子に入ったようだ。後藤広という人は岩手県議会議員になり、その後に水沢町長を10年間務めたようだ。
 
 後藤広という人は胆沢川の水利権を得たらしく、胆沢川の水力発電が軌道に乗って経済的に余裕ができたとウィキペディアに載ってる。ウィキペディアには歴代水沢町長は載ってない。
 
 椎名悦三郎って人も出自が怪しいんだよなあ。
 
 椎名悦三郎は高等小学校4年の時に1人で上京し、奥州市の隣の金ヶ崎町の出身の志賀和多利という人の書生をして中学に通っていたようだ。中学を卒業した後に椎名悦三郎は帰ってきたらしく、仙台の高校に通って、高校卒業後は東京帝国大学に進学したようだ。大学進学の時に椎名家に養子に入ったようだ。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 地元の人もほとんど知らない人みたいだけど、奥州市の隣の金ヶ崎町の出身の志賀和多利という人は弁護士だったようだけど、衆議院議員になったようだ。志賀和多利の妹の孫が志賀節という人で、志賀節という人は第一次海部内閣で内閣官房副長官と環境庁の長官を務めたようだ。
 
 福岡県福岡市にある志賀海神社では綿津見三神を祀っていて、海神の総本社や龍の都ともいわれるらしい。志賀海神社は安曇族の神社で、福岡県大川市にある風浪宮も安曇族の神社で、風浪宮の摂社には安曇磯良丸を祀る磯良丸神社があるみたいです。安曇磯良は神功皇后伝説に出てきて、干珠満珠という珠を龍神から授かってきたらしい。
 
 香椎宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか