東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

津島

2022-12-27 19:52:30 | 日記
 黒幕ですか・・・。

 安岡正篤という人は陽明学者だったらしいけど、ウィキペディアで調べると、太平洋戦争の後の日本の歴代総理大臣から日本の黒幕といわれるような人だったようだ。昭和最大の黒幕ともいわれるらしいけど、政界や財界や皇室からも頼りにされる人物だったようだ。安岡正篤という人は大阪の富裕層の家の出身らしいけど、堀田家から安岡家に養子に入ったらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、滋賀県にあった宮川藩の藩主と千葉県にあった佐倉藩の藩主と栃木県にあった佐野藩の藩主が堀田氏だったようだ。堀田氏は出自がハッキリしてないようだけど、堀田氏の紋は八坂神社や津島神社と同じ木瓜紋で、堀田氏は八坂神社の系統と津島神社の系統が考えられると載ってる。愛知県津島市にある津島神社の社家が堀田氏らしく、津島神社の近くに堀田家住宅があるらしい。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 堀田正養という人は滋賀県にあった宮川藩の最後の藩主で、堀田正養は秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏から養子で堀田氏に入ったことになってるようだ。本当か知らない。堀田正養は第一次西園寺内閣で逓信大臣を務めたようだけど、第一次西園寺内閣では山縣伊三郎と原敬と堀田正養と逓信大臣が三回変わったようだ。逓信省は交通や通信や電気など幅広く管轄してたみたいだ。
 
 林董という人は日英同盟の調印の時の日本の代表だったようだ。第一次桂内閣の時の明治35年(1902年)に日英同盟が結ばれ、日露戦争は明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあったみたいです。林董は駐英公使だったようだけど、明治36年(1903年)にフリーメイソンに入会し、次の年には日本人初のロッジ・マスターになったようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。林董は第一次西園寺内閣で外務大臣、第二次西園寺内閣では逓信大臣を務め、外務大臣も一時兼任したようだ。林董は千葉県にあった佐倉藩の出身ということになってるらしいけど、佐倉藩の藩主も堀田氏だったようだ。
 
 後藤新平は第二次桂内閣と第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣では内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣でも内務大臣に就いたようだ。第二次桂内閣の時には初代鉄道院総裁に就任し、第二次山本内閣の時には帝都復興院総裁に就いて関東大震災の後の東京の復興計画を立案したようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、後藤新平もフリーメイソンらしい。いつからか知らないけど・・・。
 
 日本の通信はフリーメイソンに筒抜け?。
 
 愛知県津島市にある津島神社ではスサノオを祀ってるようだけど、江戸時代は牛頭天王を祀っていたらしく、全国天王総本社といってるようだ。本当に牛頭天王を祀ってたのか知りませんけど・・・。堀田氏は紀氏の系統の氏族らしいけど、津島神社には弥五郎殿社があって、紀氏の祖先の武内宿禰を祀ってるらしい。
 
 津島神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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