福岡県福岡市にある香椎宮はHPが変わってる。夫婦の宮って書いてあるけど、そんなアホな・・・。
インターネットで調べると、香椎宮の宮司さんは木下という名字らしいけど、朴さんではないらしい、たぶん。香椎宮の宮司だった人で木下祝夫という人がいて、太平洋戦争の後に香椎宮の宮司になったらしいけど、ドイツの大学を卒業してドイツ語の翻訳家で、ドイツ語訳の古事記を刊行したらしい。
福岡県福岡市に香椎宮があって、仲哀天皇と神功皇后を祀ってるみたいです。仲哀天皇と神功皇后の息子が八幡神社の祭神の応神天皇ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
香椎宮の境内図を見ると、高倍神社があって、香椎廟の廟司で香椎武内家の始祖の大膳紀宿禰氏連命を祀ってるらしい。よくわからないが、香椎宮は明治時代の前は香椎廟だったらしい。武内宿禰を祀る武内神社は別にあるらしい。
奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、磐鹿六雁命は高橋氏の祖神で、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様のようです。高橋氏は、もともとは膳氏という氏族で、天皇の食事を作る氏族ということになってるらしい。膳氏の祖が磐鹿六雁命ということになってるようだ。
ウィキペディアで調べると、滋賀県にあった宮川藩の藩主と千葉県にあった佐倉藩の藩主と栃木県にあった佐野藩の藩主が堀田氏だったようだ。堀田氏は出自がハッキリしてないようだけど、堀田氏の紋は八坂神社や津島神社と同じ木瓜紋で、堀田氏は八坂神社の系統と津島神社の系統が考えられると載ってる。愛知県津島市にある津島神社の社家が堀田氏らしく、津島神社の近くに堀田家住宅があるらしい。
堀田正養という人は滋賀県にあった宮川藩の最後の藩主で、堀田正養は秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏から養子で堀田氏に入ったことになってるようだ。本当か知らない。堀田正養は第一次西園寺内閣で逓信大臣を務めたようだけど、第一次西園寺内閣では山縣伊三郎と原敬と堀田正養と逓信大臣が三回変わったようだ。逓信省は交通や通信や電気など幅広く管轄してたみたいだ。
岩城氏は戦国時代は福島県いわき市にいたことになっていて、秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏と岩手県奥州市の江刺にいた岩谷堂伊達氏の岩城氏は同族ということになってるらしい。亀田藩の岩城氏は明治時代の終わり頃に岐阜県にあった郡上藩の青山氏の人が継いだようだ。
岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいて、幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。
愛知県津島市にある津島神社ではスサノオを祀ってるようだけど、江戸時代は牛頭天王を祀っていたらしく、全国天王総本社といってるようだ。本当に牛頭天王を祀ってたのか知りませんけど・・・。堀田氏は紀氏の系統の氏族らしいけど、津島神社には弥五郎殿社があって、紀氏の祖先の武内宿禰を祀ってるらしい。
津島神社ですか・・・。
火をつけるか
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