東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

チベット

2022-12-17 20:15:00 | 日記
 凄いよね?、征夷といって日本人を呪う人たちって。日本人は悪ってことで・・・。
 
 明治維新の話は嘘の気がするし、この頃に日本に来た人たちがいたとしか思えないって何度も書いてるんだけどなあ。
 
 明治時代に河口慧海という黄檗宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしい。本当に日本人か知らないけど・・・。河口慧海はチベット仏教を学んできて、帰国後にチベットの旅行記を書いたり、仏教関連の書籍をたくさん書いたようだ。河口慧海は大正時代に2回目のチベット入りをして、その後は僧籍を返上して在家仏教信者になったようだ。
 
 多田等観という人は岩手県花巻市に疎開してたらしいけど、多田等観は浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞の援助を受けてチベットにいたようだ。多田等観はダライ・ラマ13世とも懇意にしてたみたいです。浄土真宗本願寺派がチベットと交換留学もしていたようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、ダライ・ラマは1642年にチベット政府の長になって、1959年までチベット政府の長だったようだ。チベットのラサというところにポタラ宮という宮殿があるみたいです。今のダライ・ラマは14世のようです。
 
 ポタラ宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

真言宗

2022-12-17 20:12:38 | 日記
 真言宗が今のようになったのも明治時代になってからとしか思えないんだけど、仁和寺の僧が関わってるんだろうか?、やっぱり、って昨日もブログに書いてるなあ。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているようです。真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の御廟があるみたいです。
 
 覚鑁上人は佐賀県鹿島市の出身らしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁上人の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正時代に鹿島藩の最後の藩主の鍋島直彬が再興したらしい。鹿島藩の鍋島氏は鍋島直彬の次は佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の息子が継いでるようだ。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海上人の御廟のようです。空海上人は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というみたいです。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平群

2022-12-17 20:09:05 | 日記
 俺は、ずっと呪われたような人生を送ってきたし、霊能者みたいな人や神社の人や寺の人にも呪い苦しめられ、そういう人じゃなくても、普通の人みたいな人にも呪い苦しめられてきたからなあ。宗教って怖ろしいよね?。
 
 奈良県生駒郡平群町にある信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗の総本山で、毘沙門天王の総本山といっているらしい。朝護孫子寺の由緒は聖徳太子の物部守屋討伐の話と関係あるらしく、信ずべし貴ぶべき山ということで信貴山になったらしい。本当か知らない。平安時代に朝護孫子寺の僧の命蓮上人が醍醐天皇の病気平癒の祈祷をしたらしく、朝護孫子寺の寺号を賜ったことになってるようだ。
 
 物部守屋が聖徳太子に討たれたという話は嘘の気がするけど、お寺の人たちも仲間なんでしょ?、天皇崇拝のカルト神道の人たちの。
 
 朝護孫子寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

醍醐

2022-12-17 20:02:00 | 日記
 このブログを誰が読んでるのか知らないけど、自分で何もしないで、俺がなんとかしてくれると思ってる人のために俺はなにかするつもりは無いよ。
 
 江戸時代の修験道は統制されていて、天台系の本山派と真言系の当山派があって、羽黒山のような地方の修験組織もあったみたいだけど、羽黒山は天台系の修験道だったらしい。本当か知らない。
 
 天台系の修験道の本山派の総本山は京都にある聖護院で、増誉という僧が本山派の開祖とされていたようだ。増誉は天台宗でも寺門派の三井寺で修行したことになってるらしい。
 
 真言系の修験道の当山派の総本山は京都にある醍醐寺の三宝院というところだったらしい。醍醐寺は平安時代に醍醐天皇の勅願で聖宝という僧が創建したことになっていて、聖宝は当山派の開祖とされていたみたいです。醍醐寺は今は真言宗醍醐派の総本山のようです。
 
 延喜式は平安時代の中頃に醍醐天皇の命で編纂されたことになってるみたいだけど、延喜式の神名帳に載ってる神社を式内社というらしい。神仏分離や廃仏毀釈の話も修験道の廃止の嘘の気がするし、神社に今のような神様が祀られたのは明治時代になってからとしか思えないんだけど、仁和寺の僧が関わってるんだろうか?、やっぱり。
 
 醍醐寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2022-12-17 20:00:02 | 日記
 吉田兼好の書いた徒然草に仁和寺の法師の話があって、仁和寺の僧が石清水八幡宮に初めて参拝して、山の上のほうにある石清水八幡宮の本殿には行かないで、下にある摂社の高良神社に参拝して帰ってきたという話でいいんでしょうか?。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山のようだけど、仁和寺は皇族の人が出家して住職を務めていた門跡寺院ということになってるらしい。明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。
 
 釈雲照という僧は高野山で密教を学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照は十善会という会を発足したらしい。次の仁和寺の門跡の泉智等という僧も高野山で学び、真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡や江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、高野山派管長や金剛峰寺の座主にもなり、真言宗連合総裁にも就いたようです。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたみたいです。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようです。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか