東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

新宮

2022-05-08 23:03:10 | 日記
 サタンですか・・・。
 
 島根県松江市にある佐太神社は出雲国の二宮で、佐太大神は猿田彦大神のことらしい。佐太神社には正中殿と北殿と南殿の3つの社殿が並んでるらしく、正中殿には佐太大神の他に、イザナギとイザナミと事解男と速玉男を祀ってるらしい。
 
 佐太神社は猿田彦大神の他は熊野系の祭神なんだよなあ。
 
 佐太神社のHPを見ると、佐太神社でも神在祭が行われるらしい。佐太神社にはイザナミの陵墓を遷し祀ってあるらしく、佐太神社の神在祭はイザナミに由来するらしい。佐太神社の神在祭は「お忌みさん」といわれるらしく、厳粛な物忌みの祭りで、イザナミのもとに八百万の神が集まってくるらしい。比婆山というところにイザナミの陵墓があるといわれてるようだ。
 
 和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の祭神の速玉大神はイザナギで、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある熊野那智大社の祭神の夫須美大神はイザナミということになってるようです。
 
 新宮市にある神倉神社は熊野速玉大社の元宮らしい。神倉神社では高倉下命と天照大神を祀っているみたいです。高倉下命は神武東征の話に出てきて、建御雷命から渡された剣を神武天皇に渡したことになってるようだ。神倉神社は急な石段を登った先に社殿があって、ゴトビキ岩という巨石があるらしい。
 
 新宮市にある阿須賀神社の祭神は事解男でいいんだろうか?。熊野神社では事解男と速玉男を祀ることも多いようだ。
 
 神倉神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

物部

2022-05-08 22:43:45 | 日記
 悪魔に憑かれてるのかなあ?、俺は。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社のHPを見ると、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天宇受賣命と記載してるようだ。天宇受賣命は猿女君の称号を受けたようだ。
 
 猿田彦大神の子孫の大田命は倭姫命に天照大神を祀る場所に宇治の地を勧めたらしく、その場所に伊勢神宮が創建されたようだ。本当か知らない。
 
 猿田彦大神の子孫が猿田彦神社の宮司家の宇治土公家で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 島根県大田市にある物部神社は石見国の一宮で、物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジを祀っているようです。
 
 物部神社では鎮魂祭が行われるらしく、猿女の鎮魂法というみたいだけど、鎮魂は魂を鎮めるみたいなことではなく、魂を揺り動かし、魂に活力を与えるみたいなことらしい。ウィキペディアで鎮魂祭を調べると、猿女の鎮魂法は巫女さんが箱の上に乗って、箱を矛で突くらしい。物部神社の鎮魂祭は宮中で行われる鎮魂祭に最も近いらしい。
 
 神道の人たちの鎮魂って、こういうことでしょ?。魂振りなのか知らないけど、棒で突いて喝を入れるみたいなことなんでしょ?。
 
 物部神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2022-05-08 22:15:59 | 日記
 なにかもダメだったなあ、俺の人生は。
 
 大学を卒業して就職して1年ちょっと働いたけど、上司と上手くいかなくなって辞めて、その後に東京に出て東京でも1年ちょっと会社務めしたけど、そこでも上司と上手くいかなくなって辞めてさ。
 
 東京に出るつもりなんて、まったく無かったんだけど、せっかく東京に出たんだから自分のやりたいことをやろうと思って音楽の道に進もうとしたら、ドラッグをやってるような人ばかり現れてさ。それで精神的に辛くなってきて、20代の後半に実家に戻ってきてからは、ずっと呪われたような人生を送ってる。
 
 俺は今住んでるところが生まれたところじゃなく、中学と高校と今住んでるところから通ったけど、その頃だって嫌なことがあったもんなあ。まさか20代の後半に戻ってくるなんて思ってもなかった。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしく、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたみたいだけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場保和の安場家は熊本藩の家老の家柄で、安場家の祖先は赤穂事件の時に大石内蔵助の切腹の介錯をしたらしい。大石内蔵助は江戸にあった熊本藩の細川氏の屋敷で切腹したことになってるようだ。
 
 東京都港区にある曹洞宗の寺の泉岳寺には赤穂藩の藩主だった浅野内匠頭と赤穂浪士の墓があるらしい。泉岳寺の山号は萬松山のようです。泉岳寺のHPを見ると、明治時代に義士宝物館が建てられ、関東大震災で義士宝物館が崩壊したらしいけど、再建されたようだ。大石内蔵助の像も大正時代に泉岳寺に移されたみたいです。
 
 京都に法住寺という天台宗の寺があるらしく、法住寺には赤穂浪士の四十七士像があるらしい。法住寺の本尊は身代わり不動明王像のようだけど、大石内蔵助は法住寺の身代わり不動明王像に祈願して討ち入りを成就させたみたいです。
 
 法住寺には後白河天皇の墓所があるようです。後白河天皇は譲位した後に院政を行ったことになってるらしい。後白河上皇の時代には平家の栄華があり、源氏と平家の戦いがあって平家が滅び、奥州藤原氏も源頼朝に滅ぼされたことになってるみたいです。
 
 法住寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

奥州

2022-05-08 21:57:48 | 日記
 呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 俺は50歳近い無職のニートの人間だけど、20代の後半に実家に帰ってきてからは、精神科や心療内科に通ったり、東日本大震災の後は霊能者紛いの人たちに呪い苦しめられ、呪われたような人生を送ってる。
 
 精神科に行くって自分で決めた時も大学時代の知人に、そんなところに行って良くなるのか?と言われ、困った時や苦しい時に誰か助けてくれると思ってるのかと言われ、死にたきゃ死ねとか誰にも迷惑をかけずに1人で死ねって言われたもんなあ。お前のせいでみんな迷惑してるとも言われた。結局、俺に死ねって言いたかったのかなあ?、この人は。
 
 それから15年以上経ってるのに、まだ死ねって言われたことが記憶に残っててさ。最近だって、何度も呪い殺されそうになってるし。
 
 明治維新の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしく、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたみたいだけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、椎名悦三郎という人は後藤家の出身で、後藤新平の姉の嫁ぎ先に養子に入って椎名悦三郎と名乗ったようだ。後藤新平は血縁の無い叔父らしい。椎名悦三郎の息子の椎名素夫という人も政治家だった人です。
 
 椎名悦三郎は岸信介と一緒に満州国の運営に関わったり、太平洋戦争の後は政治家になって、岸内閣では官房長官に就き、池田内閣では通商産業大臣と外務大臣に就き、佐藤内閣でも通商産業大臣と外務大臣に就いたようだ。田中角栄と三木武夫が総理大臣だった時は自民党の副総裁だったようだ。
 
 椎名悦三郎の父の後藤広という人は胆沢川の水利権を得たらしく、胆沢川の水力発電が軌道に乗って経済的に余裕ができたとウィキペディアに載ってる。後藤広という人は岩手県議会議員になり、その後に水沢町長を10年間務めたようだ。
 
 奥州市ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

水沢

2022-05-08 20:34:40 | 日記
 奥州市の隣が金ヶ崎町なんだけど、奥州市から胆沢川を挟んで対岸のすぐのところに鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。
 
 奥州市の水沢の街に日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に留守氏の祖霊社の瑞山神社があります。本当に妙見宮だったのか知りませんけど・・・。日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか