東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

盛岡

2021-05-02 20:51:05 | 日記
 駒形稚児ですか・・・。
 
 岩手県の金ヶ崎町に駒ヶ岳の山頂があって、駒形神社の奥宮があります。江戸時代は伊達藩と南部藩で交代で駒形神社の奥宮を立て替えていたらしく、伊達藩と南部藩の藩境になっていて、沿岸の釜石市の唐丹まで何ヶ所も藩境塚があるみたいです。
 
 まさか、明治維新の後に藩境塚を作ったということは無いと思うけど、そう決めつけるのもなあ。
 
 金ヶ崎町の隣の奥州市の水沢にある駒形神社は明治時代に今の場所に遷座されたらしいけど、水沢公園に駒形神社があるけど、水沢公園は明治時代に作られたらしいけど、どうなんだろうなあ?。
 
 岩手県の金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたそうです。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、ウィキペディアを見ると、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏は奥六郡といわれる岩手県にあった六つの郡を治めてたことになってます。安倍氏の棟梁は安倍貞任で、盛岡にあった厨川柵にいて、厨川次郎といわれるみたいです。
 
 盛岡には盛岡八幡宮があるけど、本当に八幡宮は明治維新の前に日本にあったんだろうか?。
 
 盛岡八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2021-05-02 20:42:51 | 日記
 駒形稚児ですか・・・。
 
 京都に綾戸國中神社という神社があるらしく、綾戸社と國中社が一緒になった神社らしい。國中社ではスサノオの荒魂を祀っていて、八坂神社ではスサノオの和魂を祀っているらしい。意味が解らない。國中社の御神体は駒形といわれる馬の頭の彫刻のようです。
 
 綾戸國中神社の駒形稚児は祇園祭で重要な役目をするらしく、神輿の先導をするらしい。詳しく知らないけど、綾戸國中神社のHPに、そのようなことが書いてある。綾戸國中神社の駒形稚児は八坂神社の境内に馬に乗ったまま入り、本殿にも馬に乗ったまま入るみたいです。
 
 ウィキペディアで調べると、綾戸神社は大井川の祓いの神として祀られていたみたいに書いてある。國中神社は京都盆地は古代は湖で、スサノオが開拓した話に由来するみたいに書いてある。
 
 京都について詳しく知らないけど、桂川は南丹市から亀岡市の辺りでは大堰川で、亀岡市から京都市の嵐山の辺りでは保津川で、場所によって呼び方が変わるんだろうか?。
 
 京都府南丹市八木町にある船井神社には安倍貞任の腕を埋めたといわれる腕守社があるらしい。京都市右京区の辺りから南丹市の辺りには安倍貞任伝説があって、安倍貞任の遺体はバラバラにされ、京都市右京区の下宇津というところの辺りに埋められたことになってるようだ。
 
 安倍貞任の息子が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になったようだけど、安藤氏の発祥の地の藤崎町にある堰神社では堰を作るために人柱になった堰八太郎左衛門安高という人を祀ってるらしい。堰八太郎左衛門安高は安倍氏の子孫の人のようだけど。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになってます。源義家は京都府八幡市にある石清水八幡宮で元服したので八幡太郎といわれるみたいです。
 
 源氏の話は嘘の気がするけど、殺人鬼みたいだなあ、この人たちは。
 
 石清水八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

祇園

2021-05-02 20:16:40 | 日記
 単に嘘の話が作られたわけじゃなく、法則性みたいなものでもあるんだろうか?。嘘の法則性?。
 
 京都に綾戸國中神社という神社があるらしく、綾戸社と國中社が一緒になった神社らしい。國中社ではスサノオの荒魂を祀っていて、八坂神社ではスサノオの和魂を祀っているらしい。意味が解らない。國中社の御神体は駒形といわれる馬の頭の彫刻のようです。
 
 綾戸國中神社の駒形稚児は祇園祭で重要な役目をするらしく、神輿の先導をするらしい。詳しく知らないけど、綾戸國中神社のHPに、そのようなことが書いてある。綾戸國中神社の駒形稚児は八坂神社の境内に馬に乗ったまま入り、本殿にも馬に乗ったまま入るみたいです。
 
 神道の人たちの荒魂と和魂というのが理解できないけど、なぜ、駒形稚児が、そんな重要な役目をするんだろう?。
 
 あんまり荒魂と和魂というのを深く考える必要も無いんだろうか?。誰かと入れ替わってるんじゃないか?とか。
 
 牛頭天王とスサノオは同じということになってるみたいだけど、京都の八坂神社ではスサノオを祀っているらしい。京都の八坂神社には疫神社があって、蘇民将来を祀ってるらしい。
 
 八坂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

田村

2021-05-02 20:09:24 | 日記
 わからんなあ。明治維新の話も怪しいんだけど、単に嘘の話が作られたわけじゃなく、なにかあるんだろうか?。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしい。安場保和という人が大参事という役職に就いたみたいだけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたみたいだ。その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場家は熊本藩の家老の家柄で、安場家の祖先は赤穂事件の時に大石内蔵助の切腹の介錯をしたらしい。大石内蔵助は江戸にあった熊本藩の細川氏の屋敷で切腹したことになってるようだ。
 
 赤穂藩の藩主だった浅野内匠頭は江戸にあった田村家の屋敷で切腹したことになってる。 
 
 田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいたことになってる。田村氏は戦国時代の終わりに途絶えて伊達氏が再興したことになっていて、伊達騒動の後に岩手県一関市に来たことになっていて、一関にあった田村藩は伊達藩の中でも一つの藩のような扱いを幕府から受けてたらしいです。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の棟梁は安倍貞任で、安倍貞任の息子が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になり、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしいです。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったみたいです。
 
 江戸時代の話も怪しいんだけど、福島県も怪しくなってきたなあ。
 
 岩手県一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村藩の田村氏の墓所があります。田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってるけど、毘沙門天の呪いは凄まじいなあ。
 
 祥雲寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

姫路

2021-05-02 19:49:13 | 日記
 姫路藩の酒井氏が謎なんだよなあ。
 
 兵庫県にあった姫路藩の酒井氏は酒井雅楽頭家というようだけど、群馬県にあった伊勢崎藩は姫路藩の支藩だったみたいです。姫路藩の酒井氏は姫路藩に来る前は群馬県にあった前橋藩にいたみたいです。
 
 群馬県前橋市に龍海院という曹洞宗の寺があって、姫路藩の酒井氏の菩提寺らしい。HPがある。酒井氏が姫路藩に移った後も酒井氏の菩提寺のようだ。龍海院は有栖川宮家の祈願所だったらしいけど、嘉永3年(1850年)に有栖川宮家の祈願所になったようだ。
 
 姫路藩の8代目の藩主の酒井忠績は幕府の最後の大老のようです。姫路藩の9代目の藩主の酒井忠惇は酒井忠績の弟のようです。酒井忠惇は老中になり、鳥羽・伏見の戦いでは幕府の側に付いて徳川幕府の将軍の徳川慶喜と行動を共にしていたようです。そのことで姫路藩は朝敵扱いされ、酒井忠惇は隠居謹慎になり、伊勢崎藩から養子を迎えて藩主が代わったみたいです。酒井忠績は酒井氏は徳川家に代々仕えているので天皇には仕えたくないので領地没収でいいみたいな嘆願書を出したようです。藩主が代わった後の姫路藩では新政府軍に命じられ、幕府の側に付いてた人たちを粛清したみたいです。
 
 そういうことらしいんだけど、明治維新の話も怪しいんだよなあ。
 
 兵庫県姫路市にある広峰神社は牛頭天王の総本宮といってるようです。京都の八坂神社は広峰神社から勧請されたという説もあるらしい。広峰神社の今の祭神はスサノオのようです。
 
 広峰神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか