東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

織田

2021-04-15 20:00:06 | 日記
 マフィアですか・・・。
 
 兵庫県宝塚市に中山寺という寺があって、明治天皇の母が安産祈願をして無事に明治天皇を出産したということから、日本で唯一の明治天皇勅願所らしい。
 
 中山寺は聖徳太子が仲哀天皇の先后の大中姫と息子の忍熊皇子と麛坂皇子の追善供養のために創建したといわれてるようだ。聖徳太子が物部守屋の霊を鎮めるために創建されたともいわれてるみたいです。
 
 仲哀天皇と神功皇后の息子が八幡神社の祭神の応神天皇ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 福井県丹生郡越前町にある剣神社ではスサノオと気比大神と忍熊王を祀ってるみたいです。忍熊王は越前を開拓したようです。越前町の剣神社は織田氏の神社らしい。
 
 忍熊王は八幡神社の祭神の応神天皇の異母兄弟で、三韓征伐から帰還した神功皇后に反乱を起こしたことになってるようだ。
 
 グーグルマップを見ると、鯖江市から山を越えた山間部のようなところに織田というところがあって、街というかんじのところみたいだけど、なにか、あるんだろうか?。
 
 山形県天童市に織田信長を祀る建勲神社があって、行ったことあります。ウィキペディアで調べると、天童市の建勲神社は天童藩の最後の藩主の織田信敏が東京の邸宅に織田社を祀って、明治2年(1869年)に神祇官から織田社に健織田社という神号が与えられ、明治3年(1870年)に天童市に祀られて建勲社になったみたいです。
 
 京都の船岡山にある建勲神社は明治13年(1880年)に東京から遷され、明治43年(1910年)に船岡山の今の場所に社殿が建てられたみたいです。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

八幡

2021-04-15 19:39:23 | 日記
 天皇崇拝のカルト神道の人たちは自分達から災いを引き起こしてるんだろうか?。それで他人のせいにしたりしてさあ。
 
 明治天皇は孝明天皇と中山慶子という女性の息子らしい。本当か知らない。中山忠能という人の娘が中山慶子のようだけど、中山忠能の孫の中山孝麿という人の邸宅に孫文は日本に来て住んでたようだ。アジア主義の人たちは孫文とも関わりがあって、辛亥革命を支援していたようだ。
 
 兵庫県宝塚市に中山寺という寺があって、明治天皇の母が安産祈願をして無事に明治天皇を出産したということから、日本で唯一の明治天皇勅願所らしい。
 
 中山寺は聖徳太子が仲哀天皇の先后の大中姫と息子の忍熊皇子と麛坂皇子の追善供養のために創建したといわれてるようだ。聖徳太子が物部守屋の霊を鎮めるために創建されたともいわれてるみたいです。
 
 中山寺のHPを見ると、中山寺の奥の院には厄神が祀られてるらしい。中山寺の奥の院は山の中にあるらしく、磐座があって、忍熊王の御霊が厄神として磐座の岩窟に祀られてるようだ。日本で最初の厄神らしい。
 
 仲哀天皇と神功皇后の息子が八幡神社の祭神の応神天皇ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 八幡神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

神道

2021-04-15 19:29:08 | 日記
 俺は東日本大震災から9年近く、一人で被災地を巡って、沿岸の寺や神社を巡って、岩手県の内陸や東北の寺や神社を巡って、復興祈願や震災で亡くなった人たちに手を合わせてきたけど、なんだったんだろうなあ?。
 
 原発事故があった福島県だって、福島市には震災があった年も含め、3回、行ってきたけど、安易な同情なんて意味無いんだろうなあって思うもんなあ。何かあれば、風評被害、風評被害って、自分たちから騒ぎ出すんでしょ?。
 
 原発事故とか、どうすんだろう?、福島に住んでる人たちは。
 
 明治維新の後に神道が日本の宗教になるように宣言されたみたいだけど、ウィキペディアの神祇官のところを見ると、島根県にあった津和野藩にいた国学者の人たちが主導したみたいに載ってる。福羽美静という国学者が津和野藩にいたようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、西周という人が日本で最初のフリーメイソンの会員らしい。西周は津和野藩の出身で、明治維新の後に様々な省の官僚を歴任し、軍政の整備や軍の精神の確立を行った人のようだ。西周は啓蒙家で、西洋哲学の翻訳や紹介をしたり、哲学の基礎を作ったり、様々な和製漢語を作ったようだ。
 
 「哲学」という言葉は西周が作ったみたいだけど、ウィキペディアを見ると、「理性」「意識」「知識」「概念」「心理学」も西周の作った言葉らしい。「芸術」や「科学」も、そうみたいだ。
 
 津田真道という人も最初の会員みたいだけど、西周と津田真道は明六社という啓蒙思想の団体の初期メンバーの10人の中に入ってるようだ。その中には福沢諭吉も入ってるようだ。
 
 日本赤十字社の創始者の佐野常民という人は佐賀藩の出身らしい、佐野常民の息子の佐野常羽はボーイスカウトに関わってたようだ。佐野常羽の息子の佐野常光という人は一条家から来た人で、一条実輝の息子らしい。
 
 岩手県奥州市の水沢の出身の医者で政治家の後藤新平はボーイスカウト日本連盟の初代総長らしい。新幹線の水沢江刺駅には後藤新平と少年の像がある。
 
 ボーイスカウトはフリーメイソンと関係あるらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 フリーメイソンですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2021-04-15 19:13:48 | 日記
 明治維新の話も怪しいんだけど、明治維新の後に廃仏毀釈が行われて仏教が大打撃と思ってたけど、明治維新の後だって密教の僧はいたみたいだし、どうなんだろうなあ?。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山で、皇族や公家の人が出家して住職を務めていた門跡寺院ということになってるみたいです。
 
 小松宮彰仁親王が皇族出身の最後の仁和寺の門跡らしく、還俗して明治維新の時に軍事総裁を務め、戊辰戦争では奥羽征討総督に就いたようです。佐賀の乱でも征討総督を務め、西南戦争にも行ったみたいです。その後も軍の要職に就き、日清戦争では征清大総督を務めたみたいです。小松宮彰仁親王はヨーロッパ諸国を歴訪したり、社会事業でも日本赤十字社や各種団体の総裁を務めたみたいです。小松宮家は小松宮彰仁親王で途絶えたようです。
 
 仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。
 
 釈雲照という僧は高野山で密教を学び、戒律の仏教を提唱したようだ。戒律と密教が、どう両立するのか、わからないけど、真言宗には真言律宗という宗派があるみたいです。釈雲照という僧は十善会という会を発足したようです。
 
 次の仁和寺の門跡の泉智等という僧は真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡になり、江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老も務めたみたいです。高野山派管長や金剛峰寺の座主も務め真言宗連合総裁になったようです。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には山岡鉄舟や久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王だったり、明治維新に関わった人も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍はシカゴで行われた万国宗教会議に日本代表として行ったり、西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたみたいです。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようです。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

チベット

2021-04-15 18:57:30 | 日記
 チベットの問題とか、安易な同情は無意味なんだなあって思うもんなあ。
 
 清はチベットにも介入してったみたいだけど、江戸時代の頃のチベットにはダライ・ラマがいたようです。ウィキペディアで調べると、ダライ・ラマは1642年にチベット政府の長になって、1959年までチベット政府の長だったようだ。今のダライ・ラマは14世のようです。チベットのラサというところにポタラ宮という宮殿があるみたいです。
 
 明治維新の後に河口慧海という臨済宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしく、チベット仏教を学んで、帰国してチベットの旅行記を書いたり、仏教関連の書籍をたくさん書いたようだ。後に僧籍を返上して、在家仏教信者になったようだ。
 
 多田等観という人は岩手県花巻市に疎開してたらしく、その関係で花巻市博物館にはチベット仏教関連のものがある。多田等観もチベットに行って、チベット仏教を学んできたみたいです。ダライ・ラマ13世とも懇意にしてたみたいです。
 
 ポタラ宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか