東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

水沢

2021-04-13 22:42:06 | 日記
 奥州市は本当に地獄みたいだなあ。俺なんて、20年近く呪われたような日々を送ってるけど、もっとかもしれない。
 
 明治維新の話も怪しいんだけど、明治維新の前に、どういう人たちが奥州市にいたか?。う~ん・・・。どうなんだろう?。
 
 岩手県奥州市の水沢には江戸時代の初め頃に後藤寿庵という人がいて伊達政宗に仕えていたらしいんですが、後藤寿庵はキリシタンで、キリスト教が禁教になって、いなくなってしまったらしいです。後藤寿庵は奥羽のキリシタンの筆頭として、ローマ教皇に文書を送ってるみたいです。
 
 奥州市の水沢に福原というところがあって後藤寿庵の領地で、天主堂もあったらしいんですが、天主堂だった場所には毘沙門堂があります。毘沙門堂の場所からはメダイも見付かってるみたいです。毘沙門堂の近くにクルス場だった場所があって、今は墓地になってます。
 
 後藤寿庵の話も明治維新の後に作られたとか、そんな、まさかって気がするけど、それも有り得る気がしてきたなあ。
 
 後藤寿庵の後に水沢の街には留守氏が来たことになっていて、後藤寿庵に仕えていた人には留守氏に仕えた人たちもいたらしいです。本当か知りませんけど・・・。奥州市の水沢の街に大安寺という臨済宗の寺があって、水沢伊達氏の留守氏の墓所があります。
 
 大安寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

江刺

2021-04-13 22:20:46 | 日記
 日本に来て何世代も経てば日本人とか、そんなの、嘘、嘘、嘘。最初から戸籍乗っ取りとか日本人なりすましのようなことしてるんじゃないの?。別に日本のルールに則って日本に来たならいいけどさ。
 
 奥州藤原氏の初代の藤原清衡は奥州市の江刺で生まれ育ったみたいです。藤原清衡は藤原経清と安倍頼時の娘の息子で、江刺に豊田館跡があって藤原経清の居館跡だそうです。豊田館跡の近くに藤原経清の墓所の五位塚があります。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになってます。藤原経清も安倍氏の人たちと一緒に戦って、首を刎ねられたことになってます。
 
 前九年の役があって、後三年の役があって、その後に藤原清衡は今のほぼ東北六県を治めたことになってるらしい。藤原清衡は拠点を平泉に移す前は江刺にいたことになってるんだろうか?。
 
 奥州市の江刺の街の岩谷堂に光明寺という曹洞宗の寺があって、岩谷堂伊達氏の岩城氏の墓所があります。毎晩、毎晩、凄まじいなあ、この人たちは。
 
 光明寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

2021-04-13 20:56:22 | 日記
 疲れたなあ。
 
 幕末にグラバーというイギリスの商人が日本で武器を売ってたようだけど、グラバーという人はスコットランドの出身のようです。グラバーはグラバー商会という会社を立ち上げたようだけど、ジャーデイン・マセソン商会という会社の長崎代理店として設立したようだ。
 
 ジャーデイン・マセソン商会の設立当初の主な業務はアヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。清では1840年にアヘン戦争があって、1856年にはアロー戦争があったみたいです。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、辛亥革命が1911年から1912年にあって、清が滅びたみたいです。
 
 日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたみたいです。昭和20年(1945年)まで台湾総督府が存続していたようです。
 
 ウィキペディアを見ると、後藤新平は台湾総督府の民政長官に就き、インフラの整備やアヘンの撲滅を行ったようだ。当時の台湾では清と同様にアヘンが蔓延してたようだ。
 
 今は、台湾は中華民国で、中国は中華人民共和国なんだろうか?。
 
 清は満州の人が建国した国だったようだけど、清の前にあった明は1644年に滅びたみたいです。明は南明として存続したみたいだけど、南明は1661年に滅びたみたいです。明が滅びた後に秘密結社のようなものができて、これが中国大陸の裏社会や闇社会の組織に繋がってったようだ。そういうところがアヘンを清で流通させてたようだ。
 
 明ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中国

2021-04-13 20:52:05 | 日記
 俺は何を調べようとしてるんだろう?。
 
 明治維新の後に玄洋社という右翼団体ができたようだけど、福岡藩の藩士だった人たちが中心になって結成されたようだ。黒龍会という玄洋社の海外工作機関といわれる右翼団体もあったようだ。玄洋社も黒龍会も太平洋戦争の終戦の後にGHQによって解散させられたみたいです。
 
 当時の日本にはアジア主義といわれる人たちがいたようだけど、軍や官僚や財閥や政界に強大な影響力を持ち、日本が関わった戦争で情報工作や裏工作をしてたようだ。
 
 明治天皇は孝明天皇と中山慶子という女性の息子らしい。本当か知らない。中山忠能という人の娘が中山慶子のようだけど、中山忠能の孫の中山孝麿という人の邸宅に孫文は日本に来て住んでたようだ。アジア主義の人たちは孫文とも関わりがあって、辛亥革命を支援していたようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、孫文は客家の出身で、中国や台湾では孫中山という名のほうが知られてるようだ。日本に住んでいた時に孫中山という名を使ってたようだ。孫文は初代中華民国臨時大総統で、中国国民党総理を務めたようだ。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、辛亥革命が1911年から1912年にあって、清が滅びたみたいです。
 
 今は、台湾は中華民国で、中国は中華人民共和国なんだろうか?。
 
 共産主義について詳しく知らないけど、ウィキペディアで調べると、マルクスという人はドイツの生まれで、マルクスの家系はユダヤ教のラビだったようだ。ラビはユダヤ教の祭祀者や教育者で、いいんでしょうか?。マルクスの家は父の代にプロテスタントに改宗したみたいです。
 
 中国共産党ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中国

2021-04-13 20:40:29 | 日記
 はあ。
 
 幕末にグラバーというイギリスの商人が日本で武器を売ってたようだけど、グラバーという人はスコットランドの出身のようです。グラバーはグラバー商会という会社を立ち上げたようだけど、ジャーデイン・マセソン商会という会社の長崎代理店として設立したようだ。
 
 ジャーデイン・マセソン商会の設立当初の主な業務はアヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。清では1840年にアヘン戦争があって、1856年にはアロー戦争があったみたいです。
 
 1851年から1864年の間の頃には清では太平天国の乱があって、カルト化したキリスト教の人たちの反乱があったみたいだ。
 
 太平天国の乱の首謀者の洪秀全という人は客家の出身らしく、清の役人の試験に何度も落ちて、寝込んだ時に夢を見たらしく、儒教を捨ててキリスト教を自分の宗教にして、キリスト教を独自の解釈をして拝上帝会という組織を立ち上げたようだ。洪秀全は天王を自称して太平天国を建国したらしいです。1864年に洪秀全が亡くなり、太平天国の乱は1870年代に、ほぼすべて鎮圧されたみたいです。
 
 日本では慶応3年(1867年)に大政奉還があったみたいだけど、明治維新の話も怪しいんだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか