★LABO cafe★

日々発見の毎日を、ぽつぽつと綴ります。お菓子作り、フラメンコ、音楽フェス、入院日記。

4月20日、8時8分。

2010-04-23 22:43:52 | 親のこととか。
母の容体が悪化した。
いままでもよくあったが、今回は著しく良くないらしい。
幸い仕事を気にせず病院へ向かう。
覚悟は常にしてるつもりだった。
それが嘘だったことにすぐ気づかされる。

最近よく考えてた。
いまは穏やかに見えるけど、ほんとは苦しいのか、解放されたいのか、
どんな風でもいいから生きていてほしいと思うのはエゴなのだろうか。
どんなに考えても真実は分からないから、流れにまかせるしかなくて。
ただもう苦しま ないでくださいと祈るしかない。

19日の月曜日は病院に泊まった。
翌朝、早朝7時。
状況を伝えるために表へ出て家族や親戚に電話した。
病室へ戻ると主治医の先生やナースの方々の行き来が激しくなった。
血圧は測定不能。
心拍数は40を切り警告音が続いた。
わたしはナースステーションにある装置に張り付いて警告音を聞いていた。

心拍数が30を切ると、先生が言った。
「最期のお別れを…」
手を握り締めた。
まだこんなに温かいのに。

そして0になり、先生は言った。
「8時8分…ご愁傷さまです。お母さまは頑張りました。」
酸素マスクや様々な装置が外されていった。
完全に見届けた。今度は。

部屋には私と母だけになった。
家族と搬送車が来るまで、手を握り締めてた。

ありがとう。
ありがとう。

もうそこから先は、よく分からない。
覚えているのは、婦長さんが母の枕元で名前を呼び続けて泣いてたこと。
搬送車に乗りこむ時、主治医の先生やナースのみなさんが20人くらい見送ってくれたこと。

この病院でほんとに良かった。
清潔で広くて静かで。
なにより、転院しなくて良かったこと。
そうじゃなければ、施設や病院探しに奔走しなきゃならなかった。
また、10年近く寝たきりで褥瘡ひとつないのは、丁寧で的確な介護技術のおかげだと感謝してます。

父と同じ斎場で手続き。
お通夜や告別式の日程を決め、またシステマチックに進んで行く。
頼りない私は二度めの喪主になる。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (えり)
2010-04-28 21:07:14
「お母さまは頑張りました。」ホントだね。
誰のために?
大切な大切な娘のために・・・

素敵な親子だよ、まったく。
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ありがとねー (toshimix)
2010-04-28 23:09:18
しかも最後は呼ばれたしね。
間に合ってよかった。。。

地球上でいちばん好きな人でした。
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Unknown (あさゑ)
2010-05-16 13:35:21
ひとりで看取ったんだね!!
私も、旦那エルと2人で夜11時15分、同じ環境にいたよ。

2人でもキツイ。

私も思い出したその時のこと。
読み泣き・・・



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忘れないように (toshimix)
2010-05-16 22:47:54
薄れないように
曖昧にしたくないから敢えて書いてみた。

それでも受け入れてくんだけどねー
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